こんにちは!
管理人の長谷川です。
1989年6月4日、中国、北京にて
100万もの人を動員した民主化運動は
事件後、世界にどういう影響を与えたのでしょうか?
当時の運動の中心となった方は共産党により
一斉検挙が行われました。
そのため、アメリカ大使館や香港を経由し
西側諸国へ亡命しました。
■事件を「なかった」ことに 完全隠匿。
今でも中国では国内の放送に政府が規制をかけていますが
天安門事件に関しては国内では「なかった」ことにしています。
当時の事件にかかわる資料を一切破棄し
関わった方からも口外しないよう押さえつけています。
また、国外へも事件自体に残虐性がなかったと宣伝をし続けています。
例えば、中国共産党、国防部部長の遅浩田(ちこうでん)は、
1996年にアメリカ合衆国を訪れた際に、
「天安門広場では1人も殺されなかった」と発言しています。
もちろん、世界各国から反発を受けたのですが。。。
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○遅浩田(ちこうでん)
■ネット検閲システム「金盾」 ~全土に張り巡らされた規制~
事件後、特に共産党が苦心して構築したのが
ネット検閲システムです。
「金盾」(グレートファイアウォール)とよばれる監視システムで
常に中国全土でみられているネットを強制閲覧し、
特定の単語が検索できないようにしています。
また、Twitterやhotmailなどのコミュニケーションツールについても、
事件発生日の6月4日前後に遮断したり、
国内向けの衛星放送などで、海外ニュースから
天安門事件を報じると、突如放送を停止させたりしています。
さらには海外メディア対策として、
外国人カメラマンが天安門広場を撮影しようとすると、
目の前で傘を開いて、天安門を写させないようにしたりする始末です。
■香港での追悼と、責任追及のための運動
中国とは異なる政治システムをもつ香港では
検閲がされないため
毎年、事件が起きた6月4日になると追悼集会が行われます。
2007年には5万5千人、2012年には約18万人にも参加者が増大しています。
■民主活動家・劉暁波のノーベル平和賞受賞
2010年、長年、中国の民主化のために運動をしてきた
劉暁波がノーベル平和賞を受賞しました。
劉暁波は、「この受賞は天安門事件で
犠牲になった人々の魂に贈られたものだ」
と語り、涙を流し受賞を喜びました。
とざっと書きましたが
日本では、事件後、一部メディアが中国の圧力により
「虐殺はなかった」と報じて以来、
世界で起きた様々なことをあまり報じてきませんでした。
しかも、天安門事件後
西欧諸国は中国へ経済制裁を行いましたが
時の宮澤内閣は、経済制裁もせず。。。
さて明日はまた現代の中国問題でもやろうかなと。
そういえば、船の沈没とかこうしている間に
また、問題が起きていますが…
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