何かを知らされたとき、すぐにそれについて自分の意見を述べようとはせず、静かに敬虔な態度で対することは、判断の上での奴隷的な態度を意味しません。

何事かを深く認識している人は、それが自分勝手な個人的判断によるのではなく、静かに傾聴し理解した結果であることを知っています。

自分で評価を下すことのできる事柄は、改めて学び取る必要のない事柄です。

このことを常に念頭において下さい。もっぱら判断を下してばかりいる人は、そもそも何も学んでいないのです。しかし、神秘道においては、「学ぶ」という行為がすべてです。



 理解できないことに出会ったなら、それに対して否定的な態度を取ろうとせずに、むしろ全然判断を停止した方がいいです。そして理解を将来に残しておけばよいのです。

認識のはしごを高く登れば登るほど、この静かで敬虔な傾聴が必要になってきます。霊界における認識行為それに伴う一切の生活と行動が高い領域に到れば到るほど、物質界の通常の認識行為に比べ、一層微妙となり繊細となります。

したがって、高次の領域に関しては実にさまざまの「見解」や「観点」が存在することになります。しかし実際には、真理内容に対してただ一つの意見だけがあるのみです。この「ただ一つの意見」を持つことができるためには、努力と敬虔な態度を通して真実を洞察するしかないのです。

数学の定理に関して、ただ一つの見解しか存在しないように、高次の世界についても同じことが言えます。しかしその真なる見解に達するためには、それにふさわしい十分な準備がなされなくてはなりません。

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