どれほど健康であるかは当人の意志だけでは決められないものですが、健康であろうと努力することは誰にでもできます。そしてそういう人間からしか健全な認識は育ってきません。神秘修行が健康でない人間を退けることはあり得ませんが、健康であろうとする意志、健全な生活への意志を持つことは必ず要求されます。
そしてその意志は、できる限りご自分を主体となさってください。他人は、大抵はこちらが何も尋ねないのに健康に関して色々教えてくれようとしますが、それらは概ね不要であることが多いです。それよりも、自分自身のことに注意する努力が必要です。むしろ肉体に関して何より大切なことは、有害な影響を受けないようにすることです。
義務を果たすためには、しばしば健康に良くない行動を敢えてする場合があります。しかしそんな場合にも、最低限の健康への配慮は必要です。
時として義務は、健康や生命よりも大切な場合があります。しかしその義務のところに享楽が取って代わることはどんな場合にも許されません。
享楽は、健康と生命のための手段でなければなりません。そしてこのためには、自分自身に対して正直であり真剣であることが非常に大切です。
禁欲生活といえども、それが享楽と同じ動機から発したものである限り、何の役にも立ちません。ある人が飲酒に際して味わうのと共通の満足感を、他の人が禁欲生活で味わう場合もあります。
多くの人は、高次の認識への歩みを妨げる事柄をすべて自分の生活環境のせいにして、
「こんな環境では進歩できるはずがない」
と言います。別の目的のためなら、生活環境を変える必要もあるでしょう。しかし神秘修行のためには、誰であろうと、このような変化を求める必要はありません。
修行にとっては、まさに今の環境の中で、可能な限り肉体と魂の健康のために努力することが大切です。どんな仕事も人類全体のためにそれを役立たせることができます。
人間の魂の偉大さが発揮されるのは、
「この仕事は私にはひどすぎる。私には別の仕事が向いている」
と信じるときよりも、
「人類全体のためにそのつまらぬ、おそらくは嫌な仕事がどんなに必要なものだろうか」
と考えるときの方なのです。
(125p)
(125p)