神秘学概論15


人間はみずからの内に、神的なものを見出すことができます。

なぜなら、人間のもっとも根源的な存在部分は、神的なものからとってこられたのだから。



アストラル体を通して、外的な意識を獲得するように、自我というみずからの中の神的なものを通して、自分自身についての内的な意識を獲得します。

それゆえ人智学は、魂のこの第三分肢を「意識魂」と呼んでいます。



魂は、感覚魂、悟性魂、意識魂の三つからなっています。

肉体は、肉体、エーテル体、アストラル体の三つから成り立っています。



意識魂の中で初めて「わたし」の本当の性質が明かされます。

魂は、感覚と悟性においては、外なる事柄に没頭していますが、

意識魂の中では、その本性を手に入れます。



「わたし」は、意識魂を通して、まさに内的な活動を通して、知覚されるのです。



外なる対象の像は、この対象の在り方に従って形成されます。

そしてこの像自身の性質が、悟性の中でも働き続けます。

<りんご➡「りんご」の像>


けれども「わたし」を知覚しようとするのなら、自分を「わたし」にゆだねるだけでなく、

内的な活動を通して、「わたし」の本性を自分の内部の奥底から取り出してきましょう。



意識




「わたし」の知覚、「わたし」の自己内省とともに、「わたし」の内的な活動が始まります。



この内的な活動を通して、意識魂が自我を知覚する場合は、肉体や感覚魂、悟性魂を通して働きかけてくるものを観察する場合<いわゆる通常の自我、意識>とは、まったく異なる意味を持っています。


意識魂の中で、「わたし」を開示する力は、すべての外界の中に働く力と同じものです。

ただその力は、肉体と低次の魂の部分では、直接現れるのではなく、段階的にその結果だけが現れ、肉体の中ではもっとも低次の現れ方をします。


言い換えれば、一段上るごとに、隠されたものを覆うベールがひとつ、取り除かれていきます。

意識魂を作り出すとき、この隠された力は、一切の覆いを取り、明らかな姿をとって、魂の内奥に歩み入ります。

これをまず自分の中に認識すれば、外界のさまざまな働きにも見出すことができるでしょう。


(「神秘学概論」ルドルフ・シュタイナー 高橋巌訳 ちくま学芸文庫 P72~P75より要約・抜粋 アンダーラインおよび<>内ぴかびあ補足)




最近、エックハルト・トールという人の書いた「ニュー・アース」という本を読みました。

シュタイナーの補完本かと思うほど、内容が似ていると感じました。

(大体スピリチュアル系の本は同じ世界のことが書いてあるので当然ですが)



特にこの「意識」という言葉。

今まで、「意識魂」と言われても何かピンとこなかったのですが、この本を読んで、何の「意識」なのかようやくわかりました。

意識魂は真理や神的なものを源泉としているのだから、「真理魂」でもいいじゃないかと思っていたのですが、そうじゃなくて、真理を「意識」している魂という意味だったんですね。

ようやく腑に落ちました。



シュタイナーが言う「感覚魂:感覚、欲望、感情」と「悟性魂:思考、記憶、判断」は、トールまたは現代心理学で言われる「エゴ」に当たるのかもしれません。


エゴとは、自分を守ることであり、同一化であり、所有欲であり、頭の中の声。


「気づき」とは、外からの何かを気づくのではなく、自分の中の「エゴ」に気づくこと、「神的なもの」に気づくこと、それを意識している魂。


それはいつでも自分の中にあって、いつでも取りに行くことができるんだと、わかりました。





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