「今は以前より、キャンディを大切に思うようになったかもしれない。一度は手放そうと思ったからこそ、余計にいとおしい。でも同時に分かったよ。どんなに好きでも、男女の間に『絶対』はありえないって。俺のそばにいながら、ずっとアンソニーを想い続けるキャンディ・・・正直歯がゆかったし、許せないって思ったこともある。でも今なら分かるんだ。だから決して無理強いはしない。もしあいつが俺以外の男を選ぶって言うなら、素直に手を放すつもりでいる。こんな気持ちになれたのはシェリルに惚れたおかげかな」
照れ隠しなのか、鼻の下に人差し指をあてがい、テリィはふふっと笑った。
「良かったじゃないか、見識が広がって。『人間万事塞翁が馬』ってことさ。だけど君以外の男をキャンディが選ぶとは思えないけどな」
「いやいや、大事な人物を忘れてやしないか」
え?という顔をするアンソニー。
「よく考えてみろよ。すぐそばにいるじゃないか」
「だから誰?」
じらされて少々語気を強めた瞬間、意外な答えにハッとする。
「君の叔父上だよ」
あまりに唐突に、思ってもみない人物の名を聞かされたから、返す言葉を失ってしまう。
青い目を大きく見開いたまま自分を見ているアンソニーの肩をつかんでテリィは大きく揺さぶった。
「おい!しっかりしろ。心臓でも止まったか?俺のせいで、もう一度死ぬようなことになったらアードレー家に申し訳が立たないからな」
冗談めかして言われ、やっと我に返る。
「君があまりに突飛なことを言い出すからさ。キャンディがアルバートさんを選ぶだって?君を差し置いて、あのアルバートさんを?」
頭に浮かんできた叔父は、温厚で包容力に溢れ、常に冷静な大人の男だ。
激しい恋や情熱とは無縁のところにいると思っていた。
それに、悩み苦しんでいるときには的確なアドバイスをくれるし、親身になってくれるありがたい存在だ。
自分と同じ土俵にいるはずのない、ある意味、雲の上の人であるアルバートが、テリィの恋敵になるなんて考えもしなかった。
「可能性がないわけじゃないぜ。キャンディがあの人と人生を共にすること」
「あまりに身近にいたんで意識したこともないよ」
「だろ?キャンディも同じさ。ずっと前から空気みたいに当たり前の存在だったあの人に、ある日突然運命を感じて意識し始めるんだ、男として。あの人には、それだけの魅力がある」
「確かに・・・」
テリィの指摘がいちいち的を得ているので感心し、それと同時に怖くなってくる。
アンソニーは腕組みして硬く目を閉じた。
実のところ、心の奥底でずっと引っかかっていたのだ。
ポニーの丘に一人で登ったときも、無意識のうちに「それ」は心に浮かんできた。
アルバートが自分に放った、決定的な言葉。
それを聞いた瞬間から、わけもなく胸をかき乱され、ときに恐怖すら覚えていた。
あまりに辛くて、ずっとずっと意識の底に沈めてきた。
叔父と甥なのに──
血の繋がりがあるからこそ、互いに遠慮し、相手を傷つけないように慎んでいる。
だが一旦タガが外れたら、肉親ゆえに、想像もつかないほど深い傷を負ってしまうだろう。
だから敢えて考えないようにしているのかもしれない。
本当のところ、今、アルバートがキャンディをどう思っているのか。
まさか同じことをテリィも直観していたとは!
「まだそれほど遠くない話だ。キャンディとアーチーと、それにアルバートさんの四人で会食したとき、面と向かって言われたんだ。『キャンディをよろしく頼む』って。そのときの目が怖いくらい真剣で、正直足がすくんだよ。長い付き合いなのに、あんな顔をされたのは初めてだった。君の目に似てたよ。同じ深いブルーだからかもしれないが、奥に秘めた底知れない情熱・・・きっとキャンディへの溢れる愛なんだろうけど、そういうものを痛いほど感じた。怖かったよ」
テリィの話を聞いているうち、叔父とのやり取りが脳裏にくっきり蘇ってきた。
あれはまだハーバードの医学生だった頃、アルバートがボストンを訪れた冬の日。
二人きりになったチャンスを逃さず、思い切って切り出したのだ。「キャンディを愛していたんですか」と。
返ってきた言葉は明快だった。
──そうかもしれない。僕はキャンディを愛していたのかもしれない。──
あのときの、挑戦状をつきつけるような目は今でも忘れられない。
穏やかで陽だまりのような優しさしか感じたことがなかったのに、初めて突き放されたような不思議な感覚に陥った。
アルバートが突然、赤の他人になった気がした。
戸惑ったし、なんだか無性に淋しかった。
信頼していた叔父が、遠くへ行ってしまったような気がして。
そのときの情景をテリィに話すと、彼も深いため息をついた。
「きっとそのときのアルバートさんは、俺に宣戦布告したときと同じ目をしてたに違いないさ」
「多分な」
「俺たち若造を、今までどんなふうに見てきたんだろう、あの人は」
そのときだ。
VIPルームの入口に人影が現れて、「一体誰の話で盛り上がってるんだい?」と言っているのが聞こえたのは。
それはとても聞き慣れた声。
意外な場所で耳にしても間き違えるはずのない声。
もしや・・・と、アンソニーの胸は躍った。
「そこにいるのは・・・いや、だけどありえないよな。だってテリィとあいつは犬猿の仲だし」
言いかけた言葉を、またも人影は遮った。
「ありえないことが起こるのが人生の面白いところさ」
言いながら、ぬっと顔を出したのはアーチー。やっぱりだ。
声を聞き間違うはずはないが、彼がテリィのいる場所にのこのこ現れるなんて(しかも偶然ではなさそうだし)、アンソニーは信じられなかった。
「よお!今夜あたり来るんじゃないかと思ってたよ」
テリィはテリィで当たり前のように片手を上げて微笑むから、これまた死ぬほど驚いた。
「もしかして君がさっき言ってた『意外な人物が来るかも』って言うのは、アーチーのことだったのか?」
「ご名答!」
テリィはニッと笑い、ウィンクする。
「ひょんなことで意気投合して、それからはこのとおり飲み友達さ」とアーチー。
「この世には思いがけない奇跡が起こるっていうけど、本当だな」
「それはこっちの台詞!アンソニーが恋敵と仲良く酒を飲んでるんだからね~。摩訶不思議の極みだよ、全く。でももっと驚いたのはフェリシアの件だ。あれほど『シカゴに戻るまで待ってろ』って言ったのに、なぜ先走って婚約しちまうんだよ」
アーチーは本気で怒っているようだ。
その目が怖いくらい真剣なので、アンソニーは防戦一方になる。
「いや、ホントに悪かった」と、何度も頭を下げるばかり。
「今更謝ってくれたってどうにもならないさ。っていうか、別に僕が被害を被ったわけじゃないんだから、謝られる筋合いはないんだよな。ただ残念なんだ。せっかくのチャンス・・・いや、またとないチャンスだったのに」
悔しそうに唇を噛むアーチーを見て、聞かずにいられなくなった。
「チャンスって?そもそも僕に何を伝えようとしてたんだ?まあそれこそ、今更・・・だけどな」
アーチーはテリィをちらっと見やり、彼が薄ら笑いを浮かべてウィンクするのを確認した。
どうやらもう、アンソニーに「例の告白」をしたらしい。
それなら包み隠さず真実を言える。
「テリィから聞いただろ?シェリルに惚れてたっていう話と、キャンディを手放す決心がついたっていう話」
アンソニーは頷く。
「やっとすべてが丸く収まりそうだったんだ。そしたら今度こそ、晴れてキャンディを迎えに行けるはずだったのさ。テリィだって納得してた。なのにお前は一人相撲を取ってフェリシアに義理立てしちまった。この大馬鹿野郎!自分で自分の首を絞めちまったんだぜ」
そこまで言われ、アンソニーはさすがに蒼白になった。
失ったものが大きすぎたことに今頃気づき、犯した過ちに慌てふためく。
だがあとの祭りだ。
キャンディはもう帰ってこない。
手の届かないところに、またも飛翔してしまった。
一度は放しかけた手を、再びテリィがしっかり握り直し、今度という今度は放すはずがない。
それに「放してくれないか」とは言えない。
なぜなら今はもう、テリィとは酒を酌み交わして本音を言い合う仲になってしまったから。
それは嬉しくもあり、同時に都合の悪いことでもあった。
今や「友人」となった彼に対する遠慮から、本気でキャンディを奪い取るなんてこと、考えられなくなったのだから。
「正直者は馬鹿を見る──先人はうまいことを言ったもんさ」
テーブルにぼんやり視線を落とすアンソニーを見て、アーチーはなんだか悔しそうに呟いた。
まるで自分が大失態を犯したみたいに。
「おいおい、二人ともそんなにがっかりするなよ。居心地悪いじゃないか」
困り果てたのはテリィだ。
「なんだか俺一人、悪者みたいだな」
苦笑いしながら残っているマルゴーを一気に飲み干すと、アーチーのグラスにも上物(じょうもの)を注ぐ。
部屋に入ってアンソニーがいるのを認めるや、慌てて話し始めたから、まだろくに座ってもいないことに気づき、アーチーはフーッと深い息をついた。
「まあ落ち着いて座れよ。世にも奇妙な面子がサシ飲みしてた現場に立ち会ったんだ。こんな機会、そうそうあるもんじゃない。だから今夜はとことん付き合え」
アンソニーが笑いながら煽る。
「悪くないな。明日はゆっくり出来そうだし。ここで独身貴族の二人にくだを巻くのも一興だ」
「それだけは勘弁してくれ」と、アンソニーとテリィは口を揃えた。
そのとき部屋の入口にマネージャーが再び現れ、注文してあったサラダとスナックを持ってきた。BGMには心地良いジャズが流れる。
セピア色の照明が気持ちを和ませ、三人とも日常の慌しさから解放されていた。
極上の空間に極上の音色、それに極上のワイン──マンハッタンの夜は静かに更けていく。
「さっきの続きだけど、君は悪者なんかじゃないさ。僕がキャンディと縁がなかったのは、ひとえにタイミングが悪かっただけ。誰のせいでもないんだ」
アンソニーが言い切ったからテリィは救われた気がした。
アーチーもすかさず付け足す。
「そりゃそうだ。でなきゃ、キャンディと結婚する男はみんな悪者になっちまう」
三人ともどっと声を立てて笑った。
「それにしてもフェリシア嬢のことは厳しいな。何度考えても」
「まるで俺にとっての『スザナ』そのものだ」
「僕にとってはアニーかな」
ボソッと言ってのけた瞬間、アンソニーとテリィは「え?」という顔つきで同時にアーチーを見た。
尤も二人は全く別のことを考えたのだが。
当の本人であるアーチーは実に開き直ったもので、グラスを口元へ持っていき、一気にマルゴーを飲み干した。
そして深いため息をつく。
「どういうことなんだ」
サファイアの瞳が、怖いくらい真剣に責め立ててきた。
それを見てテリィは胸騒ぎを覚える。
(おいアーチー、こいつに打ち明けていいのか?アニーへの思いを。生真面目な「奴」のことだ、怒り出すに決まってる)
案の定、納得がいかないという顔つきでアンソニーが食いついてきた。
「今まで何回も聞いたけど、そのたびに曖昧な返事しかしなかったよな。今日という今日は本音で答えてもらおうか。アニーのこと、一体どう思ってるんだ?」
アーチーは観念したように笑うと、幼なじみに向き直って言葉を絞り出す。
「わかった、全部話すよ。今日は、はぐらかしたりしないって約束する。だけどその前に乾杯くらいしようじゃないか。せっかく珍らしい顔ぶれが揃ったんだから」
「言われてみるとそうだな。俺たち三人、それぞれに仲が悪くて顔を合わせれば、つっかかってばかりだったもんな」
「それは君一人に限った話だろう!」
アンソニーとアーチーは口を揃えてテリィを冷やかす。
「あはは、そうだった。俺一人が浮いてただけで、君ら二人は問題なしだったな」
ばつが悪そうに鼻を掻くと、アンソニーがいたずらっぽく笑った。
「浮いてた君がこうして輪に溶け込んでるんだ。結構な話じゃないか」
そして各人がグラスを手にすると、「Cheers!」と唱和しながらカチンと心地良い音を響かせた。
「さあ、さっきの続きを聞かせてもらおう。いよいよ本題に入るぞ」
待ちきれないという顔つきでアンソニーは目をギラギラさせる。
それに応えるように、アーチーはおもむろにグラスを置き、幼なじみのほうへ体を向けた。
「結婚して子供が出来て、これで漸くアニーだけを見つめる日が来たんだと思ってた。いや、今となれば、そう思いたかっただけなのかも、って気がする。確かに心の半分は大切な家族に注がれてるんだ。そいつは間違いない。でも残りの半分は、やっぱり・・・」
そこまで言うと、急に口をつぐんだ。
そしてアンソニーの視線を避けるかのように、テーブルに置かれた自分の指先を見つめる。
「やっぱり・・・なんなんだ?」
先を急かすアンソニー。
意を決したように切なげな声がそれに続く。
「僕の心の半分は、今でもキャンディを想ってる。そりゃ、どんなにか忘れようとしたさ。アレクシスを猫かわいがりして、アニーのご機嫌を取って、夢中で仕事して・・・。頭の中にキャンディが浮かんでこないように、必死で気持ちを紛らわした。でもダメだった。忘れようとすればするほど、あの緑の瞳が僕を追い立てるんだ。中途半端にあきらめた恋を、もう一度取り戻せって叫ぶんだ。どんなに抵抗しても無駄だ。僕はキャンディに溺れてる。まるで底なし沼にはまったようにね」
心中を一挙に吐露したあと、サイドに流れるブロンドの髪を両手で押さえつけ、独り言のように呟いた。
「申し訳ないんだ、アニーにもアレクシスにも。夫として父親として、僕はどうしようもない男さ。こんな愛し方しか出来ないなら、どうして初めからアニーを突き放さなかったんだろう」
そのとき、優しい感触が肩にそっと触れた。
アンソニーの手だ。
「突き放したら放したで、嫌なもんだぜ。ほんの一瞬だけ、『自分は正しいことをしたんだ』っていう気になるけど、人を振るってのは、やっぱり拷問だよ」
「あの看護婦・・・レイクウッドまで君に付き添ってきた美人のことか?確かレイチェルって呼んでたな」
テリィが尋ねる。
「ああ、その通りさ。この前、キャンディと同じ病院の医者と結婚したけどね。それでやっと胸のつかえが下りたよ。幸せになってほしいって心から思った。まあ正直言うと、ちょっとばかり葛藤はあったけど。女性って覚悟を決めた後は過去を断ち切るのが早いな・・・なんて」
サファイアの瞳が、少しだけ皮肉っぽく揺れて笑った。
「なるほど、そうか。レイモンドが茶化しに来たのはその医者と彼女の結婚式だったんだな」
アンソニーはうなずいて、今度はアーチーに念押しする。
「お前も知ってるあのレイチェル、ジェフ先生と結婚したろ?喜ばしいはずなのに、なんか切ないんだ。妙な気分だったよ。自分を慕ってくれる女性を振ると、後々まで複雑な気持ちが残る。きっとアニーも同じだ。だから彼女の手を離さなくて良かったのさ。離したら、きっと今頃後悔してる」
「心の半分でこんなにキャンディを想っていても?」
自分を責めているのか、やり場のない感情を持て余し、アーチーは急に語気を強めた。
「勿論さ。恐らくアニーは全部承知の上でお前と結婚することを決めたはずだ」
「俺もそう思う。心にキャンディが住み着いてようが、振られるよりずっとマシだからな」
アンソニーとテリィは交互にアーチーを励ましたが、それでも納得がいかないのだろう。相変わらず俯いたままの口元から絶望的な声が漏れ出た。
「それでアニーは救われたとして、僕はこの先どうなるんだ?いや、どうすりゃいいんだ?満たされない恋心を封印したまま、家族を欺きながら、一生引きずって生きていくしかないのか」
救いを求めるかのように、やっと顔を上げたアーチーの目には暗黒の闇がまとわりついて見えた。
なんとか力づけてやりたいとアンソニーは懸命に言葉を探る。
「無理に封印しようとするからいけないんだ。今からでも遅くない、当たって砕けろ!」
「え?」
アーチーとテリィは同時に叫び、顔を見合わせた。
「どういうことだ」
「伝えられなかった言葉をキャンディにぶつけるのさ。10年遅れの告白でも、しないよりましだろ?残念なことに結果は見えてるけどな」
サファイアの瞳は、切ない色を宿しながらも優しく笑った。
「馬鹿言え。そんなことしたら殴られる。『ふざけないで!』ってね」
「上等さ。却って殴られたほうがいいんだ。それで目が覚める。おまけに心も満たされる。今度こそ本当の意味で彼女の幸せを願うことが出来るよ。そのくらいアニーだって許してくれるさ」
言われて納得したのか、アーチーは頼もしげに幼なじみを見上げ、僅かだが笑みさえ浮かべて見せた。
「俺も同感だね。もう一度だけ時を戻せよ、あの聖ポール学院の頃に。『アニーをお願いね』ってお茶を濁されたせいで君の心は不完全燃焼しちまったんだから、言えなかったその先をあいつにぶつけろ。一体なんて言い返されるか楽しみじゃないか」
テリィはウィンクしながらアーチーの肩をポンと叩いた。
「二人ともありがとう。なんだかその気になってきたよ。気のすむまでキャンディと向き合えば、少年時代の思いは昇華されるんだろうな。いや、しなけりゃまずい。だから『その時』が来たら迷わず告白してみるさ。そしてそれを限りに卒業したい。キャンディに未練タラタラのアーチーボルトは」
「その意気だ!めでたく解放されたらまたここで祝杯を挙げようぜ。キャンディに振られた者同士で」
酔いが回ってきたのか、アンソニーはすこぶる陽気になってアーチーの肩に手を回す。
「ちょっと待った~。水臭いなあ。二人だけで盛り上がらないで俺も仲間に入れろ」
テリィが恨めしそうに言うと、アーチーが両手で大きな×を作って見せた。
「ダメダメ!君はKeep Out」
「なんで?」
「決まってるだろ。なんせキャンディと結婚するんだぜ。この世で一番の幸せ者はお呼びじゃないの」
「馬鹿だな、そう簡単にいくと思ってるのか?超えなきゃいけないデカすぎる壁が目の前にバーンと立ちはだかってるじゃないか」
テリィの疑念を耳にした途端、二人ともハッとした。
「さっきアンソニーには言いかけただろ?『あの人』のことさ。俺とキャンディが長いこと婚約したまま結婚する気配がないから相当気を揉んでるはずだ。それに追い討ちをかけるように、今度はアンソニーが婚約することになった。今やもう、彼女を守ってやれるのは自分しかいない・・・そんなふうに思ってるんじゃないだろうか」
不安な胸の内を言い切ると、テリィは眉間に皺を寄せた。
今言ったことが単なる絵空事に思えず、心は益々苦しくなっていく。
アンソニーもアーチーも納得し、それぞれの思索に沈む。
三人とも、暫くは声を出すことすら出来なかった。
何分経ったろう。
内ポケットからタバコを取り出し、テリィは火をつけた。
煙をくゆらせながら深いため息を一つつく。
「あの人はキャンディを妻に望んでるはずだ。アードレー家の総長として重責を担う身には、あいつが持ってる天性の明るさと温かさが何より救いになるんだ。俺には分かる。だからしっかりしなきゃ、彼女を失うことになるだろう。あの人はいつの日か、俺の手からキャンディをさらっていく・・・そんな気がする」
「信じられない!あの優しいアルバートさんがそんなことするかな。第一、君とキャンディは婚約してるじゃないか。いくらアードレー家の総長だからって、二人の仲を裂く権限はないさ」
爪を噛み、難しい顔つきでアーチーは反論した。
「優しいからこそ、だよ。俺が揺れてることを、あの人は一発で見抜いたはずだ。そんな男に大事な養女・・・いや、愛する女(ひと)を託せるわけない。なのに一言も非難したりしなかったんだ。それどころかシェリルに惹かれながら、キャンディの婚約者であり続けようとした俺を気づかってくれてた。それだけ器が広いのさ、アルバートさんは。俺たちが束になったって太刀打ちできないほど大人なんだよ。優しくて包容力があって財にも恵まれて、しかもあの美貌だ──何もかも持ってるあの人に、キャンディが惚れないはずはない」
アンソニーの頭は真っ白になっていた。
テリィが言っていることをなんとか打ち消そうと自分を奮い立たせるのだが、一向に光が見えてこない。
浮かび上がるのはアルバートの笑顔だけ。
幼い頃から今に至るまで、いつも変わらず彼が見せてくれた優しい笑顔──それに嘘偽りはないだろう。
だが、一点の曇りもなかった叔父の愛情の中に、初めてひとかたまりの黒雲を見出したことが哀しかった。
恐怖ですらあった。
同じ女性を愛してしまったなら、それは運命。
これから先、何らかの形で対峙することがあるというなら、それは避けて通れない道。
もしも本当にアルバートがキャンディを愛しているのなら。
養女や妹としてではなく、一人の女として。
婚約を白紙に戻して妻に望むほど、強く深く。
「テリィの言ってること、よく分かるよ」
沈黙を縫うようにアーチーの声が聞こえた。
思いに耽っていたアンソニーはハッと我に返る。
「アルバートさんは何も言わない。今まで胸の内をさらけ出したことは多分ないと思う。それは僕らが彼よりずっと年下のせいもあるだろう。でも僕だけじゃなく、アニーもパティも気づいてた。アルバートさんの気持ち。あの人はずっとキャンディを支えてた。テリィと別れたあとの彼女を陰からそっと。それは養父としての慈愛からじゃない、愛し始めてたんだよ、キャンディを。一人の女性として。だからいつの日か切り出すんじゃないかと思ってた、養女を解く話を。キャンディもなびき始めたんじゃないかな、アルバートさんの優しさに。あのままいったら二人は、そう遠くない将来、恋人同士になったろう。でも絶妙のタイミングでアンソニーがレイクウッドへ戻ってきて、その上テリィはスザナと別れちまった。途端、キャンディの関心は二人の男に釘付けになった。アルバートさんにしてみたら、想定外の邪魔が立て続けに入ったってことさ。言葉は悪いけどね」
少しばかり申し訳なさそうに、アーチーは人差し指を鼻先へ持っていって、ふふっと笑った。
やっぱり!
アーチーも気づいていたのか。アルバートの切なる想いに。
皆、口に出さないだけで、彼の溢れる愛情を察知していたのだ。
それほどまでにキャンディとの仲が近づいていたことを知り、アンソニーは愕然とした。
自分が「死んでいた」間に、周りの状況は一変していたのだ。
テリィだけではない、アルバートまでがキャンディに想いを寄せていたなんて!
何も知らなかったのは自分だけ。
取り残されたのは自分だけ。
時が与えた残酷な試練の前に呆然とするしかなかった。
「今になって白状するけど、俺はあのとき焦ってたんだ」
アーチーの鋭い洞察に刺激されたのか、今度はテリィが語り出す。
「スザナが本物の恋に目覚めて俺のもとから去った頃だと思う。正体を現したばかりのアードレー家当主が、今度は花嫁探しに奔走してるって記事をたまたま見たんだ。それからは生きた心地がしなかったさ。アルバートさんが望んでるのはキャンディに違いないって分かってたから。だからスザナと別れたあとは、取るものも取りあえずにアードレー家へ走ったよ」
「そうしたら思いもよらない奴が生き返ってて、尚更びっくりしたってわけか?」
アーチーがニヤッと笑うと、「まあそんなところだ」とテリィ。
アンソニーはばつが悪そうに、「おあいにくさまだったな」と舌を出す。
「今となればそれも懐かしい話じゃないか。とにかくアルバートさんっていう大物が、相も変わらず彼女のそばで睨みをきかせてるんだ。のんびりしてるわけにはいかない。かといって俺たち三人、キャンディにはフェアで行こうぜ!いっさい抜け駆けなしだ」
テリィが宣言した途端、アンソニーとアーチーは顔を見合わせた。「え?」という表情で。
いがみあってばかりいた「キザ貴族」が、今ではすっかり仲間のように溶け込んでいる。
変われば変わるもんだと、嬉しくさえなった。
我知らず、笑みがこぼれる。
「なんだよ、二人とも薄気味悪いな。ニヤついたりしてさ」
「いや、君からそんな言葉を聞こうとは思ってもみなかったんでね」
しみじみ言うアンソニーに同調し、「ホントホント!レイクウッドでじゃれあってた頃が頭に浮かんだよ」と、アーチーも感慨深げ。
「聖ポール学院で君がキャンディに会うよりずっと前の話さ。ステアとアーチーと僕の三人は、レイクウッドでキャンディと一緒に過ごしてた。毎日が夢のようでさ。本当に楽しかった。で、そのときの合言葉が『キャンディにはフェアで行こうぜ』だったんだ」
「そう言いつつ、しょっちゅう抜け駆けのチャンスを狙ってたけどね」
「なんだい、随分といい加減な三銃士じゃないか」
茶々を入れるテリィに、二人とも声を立てて笑った。
「これからは僕ら三人がキャンディの三銃士になってやろうよ」
アンソニーの提案に、テリィもアーチーも力強くうなずき、重苦しい空気が一挙に吹き飛んだ。
三人とも上機嫌になり、酒が進む。
酒精が体の奥を気持ちよく満たし始めたとき、ドア口にマネージャーが現れ、申し訳なさそうに口を挟んだ。
「お楽しみのところ恐縮ですが、テリュース様のお連れ様に、アーチーボルト・コーンウェルとおっしゃる方はおいででしょうか」
「僕ですが」
即答すると、「ウィリアム・アードレー様からお電話が入っております」とマネージャー。
三人は顔を見合わせ、一体何が起こったんだという表情になる。
「緊急の連絡があるときはこの店にかけてくれって電話番号を教えてあったんだ。ともかく行ってくるよ」
そう言うなりアーチーは立ち上がってドア口まで行き、マネージャーに案内されて電話のある部屋へ向かった。
アンソニーとテリィは不安げな顔を突き合わせ、アルバートが何を連絡してきたのか、あれこれ思い浮かべてみた。
だがあいにく、店内に流れるジャズと体に回ったアルコールに邪魔され、まともな考えは浮かんでこない。
なんの話しなのだろう。まさかキャンディの身に何か起こって・・・。
良からぬ方向にばかり考えが向いてしまい、いても立ってもいられなくなったところへ、血相を変えたアーチーが戻ってきた。
開口一番、彼は叫ぶ。
「大変だ!スタンレーの正体が分かった。今さっき、雇った探偵から連絡が入ったそうだ」
「なんだって!」
二人同時に絶叫する。
「誰なんだ、そいつ。もったいぶってないで早く教えてくれ」
悲痛な面持ちのアンソニーが、呼吸をする間も惜しいような切羽詰まった表情でせっついた。