キャンディキャンディ長編二次小説(バラの薫る季節に) -7ページ目

キャンディキャンディ長編二次小説(バラの薫る季節に)

アンソニーメインの二次創作・ファンフィクション「バラの薫る季節に」を掲載しております。

同じ時刻。テリィが行きつけのショットバー。
今さっきアルバートからの電話を受けたアーチーが、青い顔で戻ってきた。
話の内容が何だったのか一刻も早く聞き出そうと、アンソニーとテリィは呼吸する間も惜しいほどアーチーを急き立てる。

「何の話だったんだ」
「大変だぞ。スタンレーの正体が分かった」

二人はごくりと唾(つば)をのむ。

「聞いて驚くなよ。君らもよく知ってる人物だ」
「だから誰なんだ!」

アンソニーは椅子を蹴って立ち上がり、今にも胸倉を掴みそうな勢いで食いつく。
テリィの目も興奮でギラギラしている。

「ストラスフォードの役者だよ」

アーチーの声は震えていた。
「まさか」という表情で残りの二人は顔を見合わせ、ほぼ同時に呟く。

「役者って・・・あのトップスターか?」
「そのとおり。レイモンド――レイモンド・ブラッドリーだよ。奴がスタンレーだったんだ」

アンソニーもテリィも言葉を失ったままアーチーの瞳を見つめる。
二人の無言の問いかけに応じ、アーチーはこれまでのいきさつ――レイモンドがなぜアンソニーやアードレー家を恨んで暴挙に出たのか――を、アルバートから聞かされたとおり、こと細かに説明していく。

「それでやっと分かったよ。あいつの周りがなぜあんなにキナ臭かったのか。今思えばおかしな言動ばかりしてたっけ。どうしてこいつがそんなことまで知ってるんだろうと思ったことが何回もあった。次に起こりそうなことを思わせぶりにほのめかしたり・・・」

爪を噛みながらテリィが憎々しげに言い放つと、「その予言がまた見事に当たるんだ。気味が悪いほどにね」とアーチーが応じる。

「当然のことだったのさ。あいつ本人が仕掛けた罠だったんだから」とアンソニーも唇を噛んで同調する。

「レイモンドの写真が載ってるタブロイド紙を、アルバートさんから初めて見せてもらったとき胸騒ぎがしたんだ。あの面構え・・・どこかで見た気がするって。そういえばアルバートさんも言ってたよ。あいつの目の輝きをどこかで見たことがあるって。それから大分経ってからだと思う。酒場から出てくる『奴』を偶然見かけたとき、プルシアンブルーの瞳を見て急に思い出したんだ。あの眼はウォルターとそっくり同じ色だってことをね。なぜもっと追求しなかったんだろう。もしあのとき奴の正体が分かっていたなら、お前はフェリシア嬢と婚約する必要はなかったんじゃないか?」

目の前のアンソニーをじっと見つめ、アーチーは悔しそうに拳を握りしめた。
俯いたままのアンソニーにアーチーの言葉が届いたかどうかは分からない。
それほどまでに心は掻き乱され、脳裏にはレイモンドとキャンディとフェリシアの顔が交互に浮かんでは消えた。

(なぜだ?なぜあいつは僕を追いつめてキャンディと引き離したんだ。ウォルターを恨み、アードレー家を憎んで復讐を始めたのは分からないじゃない。でもどうしてターゲットが僕だったんだ。総長のアルバートさんではなく、なぜ?理由は母さんか?僕の母がローザさんと瓜二つだったからか。自分はどん底の人生を送ってきたのに、ローザさんとそっくりな母を持つ僕が、富豪の家で何不自由なく生きてきたことが許せなかった・・・そういうことか)

「おい!聞いてるのか」

思索の淵に沈み込んでいたら、真横でアーチーの怒号が聞こえた。

「しっかりしろ。眠り込むには早すぎる時間だぜ」

続いてテリィの声もはっきり聞こえ、やっと我に返る。

「ごめん、ぼんやりして。なぜあいつが僕を復讐の的にしたのか考えてたんだ。どう思う?」
「知るか!そんなこと。本人に直接聞いてみなけりゃ分かりっこない。だからアジトに踏み込もうって、さっきから相談してるんじゃないか。なあ?」

アーチーは同意を求めてテリィを見る。

「そういうこと。俺たち三人でああだこうだ推測しても埒(らち)が明かないさ。幸いレイモンドの住まいがどこかは知ってる。アッパーイーストサイドにある高級マンションのペントハウスだ。家主が不在でないことを祈って、今から乗り込もうじゃないか」
「同感だね。善は急げだ。勿論異論はないだろ?」

また思索の世界に入り込みかけている相棒の肩を、アーチーはがっしり掴んでゆらゆら揺する。

「君らに従うよ。ここまで来たら当たって砕けるしかない。起きてしまったことは今更変えられないけど、せめてあいつの本心だけは知っておきたいし」
「よし!じゃあ決まりだ。レイモンドの奴め、今夜こそ逃がさないぞ。すべて吐き出すまで容赦しない」

息まくアーチーの隣でテリィも頷く。
高揚している二人の向かいで、アンソニーはごくりと唾を飲み込んだ。
握りしめた両の掌は汗でびっしょり濡れ、背中にまで生温いものがスーッと流れていくのを気味悪く感じていた。




遡ること二日前。
ここはボストン。ハーバード大付属病院のリハビリ病棟。
そろそろ面会時間も終わりという頃、ローザの病室に慌てて飛び込んできた人物が一人。
娘の二コラだ。

「一体どうしたの?こんな時間に」

あっけにとられる母親に前置きもしないまま、待ちきれない様子で二コラは切り出す。

「ママ、これを見て!」

差し出されたのはタブロイド紙のトップ記事。
でかでかと出ている俳優の写真を見た途端、ローザの呼吸は止まった。

「これは・・・!」

そう言ったきり、次の言葉が出てこない。
真剣な眼差しの二コラは、母を見据えて大きく頷く。

「スタンレー兄さんよ。間違いないわよね?」

だが役者の名前はスタンレー・ヘイワードではなく、レイモンド・ブラッドリーとある。
それに写真の顔はショービズの世界に生きるトップスターらしいオーラに満ち溢れている。

どう見ても、ただの一般人とは違う。

15歳で家出したときのスタンレーも類まれな美貌に恵まれた少年だったが、ここに出ている俳優は比べ物にならない輝きを放っている。
どん底を生きてきた少年とは、天と地ほども境遇が異なる。
そういう意味では全くの別人だ。
それでも母と娘に「スタンレー」と確信させたのは、妖艶なプルシアンブルーの瞳と艶(あで)やかなブロンド。

そして何より、どことなく寂しげな佇(たたず)まい。

挑戦的な目をしているのに、本当は憐れみを乞うているような、なぜか放っておけない、それどころかどんどん引き込まれてしまう、抗(あらが)いきれない魔性だった。

「まさか俳優になってたなんて。しかもブロードウェーのストラスフォード劇団で!いくら演劇に疎い私でさえ知ってるくらい、名門中の名門よ。そこのトップスターだなんて、どんなにすごいことか分かる?」

興奮が収まらない娘を前に、ローザはひたすら混乱する。

(スタンレーが有名な劇団の俳優?しかもトップスター?)

いきなりそんなことを言われてもピンとこない。
脳裏に浮かんでくるのは、貧弱な身なりをした薄幸の我が子。
血の繋がらない父に虐待されながらも、自分と二コラを常に気遣ってくれた健気(けなげ)な我が子。
15歳で家を飛び出してから、一日たりと忘れたことのない愛しい我が子――
今はこんなに成長し、輝くばかりの美貌で見る者を虜(とりこ)にする息子の姿に、ローザは目を細めた。

(なんて大人になったこと・・・!私のもとを巣立ってから、あなたは一人で立派に生きていたのね)

エメラルドの瞳が感涙で潤む。

「私がもっと演劇通だったら、とっくの昔に兄さんを見つけてたのに残念だわ。ブロードウェーとボストンは、やっぱり遠く離れてるのね。それか、せめて本名を使ってくれてたら良かったのに。レイモンド・ブラッドリーなんていう芸名じゃ気づかないわ。それとも本名だと何か都合が悪かったのかしら」

その一言でローザは我に返った。

(スタンレーという本名だと都合が悪いって――まさかアンソニー先生に起きた事件にあの子が関係してるの?一連の騒動を引き起こしたのは、やっぱりあの子なの?それで素性を隠すために芸名を使ったのかしら。だとしたら説得しなくちゃ。先生は私の命の恩人。あの方がいてくれたから、私は今生きていられるのよ。恨むなんてお門違いだわ。ああスタンレー、これ以上問題を起こさないで。私や二コラを苦しめたくないなら、おとなしくしていてちょうだい)

母が青い顔をしているのに気づいた二コラは「ママ、どうしたの?気分でも悪い?」と心配そうに覗き込む。

「大丈夫よ。それよりお願い。今すぐ外泊許可をもらってきて欲しいの。これからニューヨークへ行くわ。あなたも付いてきてくれるわね?」

唐突の申し出に、二コラは驚くばかり。

「ニューヨークって・・・一体何しに行くの?」
「会いに行くのよ」
「だから誰に?」

意を決したローザは、既に落ち着きを取り戻していた。
娘を正面から見据えると、はっきりした口調で告げる。

「ブロードウェーの劇団を訪ねるの。スタンレーに会うためにね」

聞いた瞬間、二コラは両目を大きく見開き、瞬き一つしなかった。





ショットバーを出た後、テリィの案内でアンソニーとアーチーは高級マンションに直行する。
狙いは勿論、ペントハウスに暮らすレイモンド・ブラッドリー、いや、スタンレー・ヘイワード。
エレベーターで一気に最上階まで上がり、懸案の部屋の前に三人は揃って立った。

「意外にガードが緩かったな。簡単にここまで来れて良かったよ」

アーチーが言うと他の二人は頷き、皆で顔を見合わせる。

「じゃあ押すぞ。覚悟はいいな?」

テリィの声に、アンソニーとアーチーはフーッと息を吐き出した。

押された呼び鈴が鳴り響く。
薄明かりに照らされた廊下の空気が、ベルの音に呼応して揺れ動く気配がする。
がらんとした暗がりの中で、三人の心臓がドクンドクンと規則正しく脈打つのが聞こえる気がする。
呼び鈴を鳴らしてから一分と経たないだろうに、ひどく時間が流れたような錯覚に陥る。
だが返答はない。
部屋の主(ぬし)が玄関先へ歩いてくる様子もない。
テリィは他の二人の顔を交互に見つめ、もう一度呼び鈴を押す。
それでも反応はない。
はるか先まで暗闇に包まれているだけだ。
たまりかねてドアノブに手をかけ、一気に回す。
するとどうだろう。テリィの手を拒否することなく、ドアはかちりと音を立てて簡単に開いた。
あまりのあっけなさに、三人は思わず顔を見合わせる。

「無施錠か。一体どうなってるんだ?」
「留守にしては不用心だな」

ブツブツ呟くテリィとアーチーの前に出て、アンソニーはドアを押し、勢いよく中へ入る。
足が震えていたが、今ここで踏み込まなければ、スタンレーに真相を聞くチャンスは二度と巡ってこない気がしたから。




中は真っ暗だった。

「Hello?」

アンソニーが呼びかけても返事はない。

「Hello? Anybody home?」

それでも声は返ってこない。
真後ろにいるテリィがスイッチらしきものを見つけて押すと、周囲がパッと明るくなった。
だだっ広いリビングが目の前に広がる。
だがスタンレーの姿はない。

「他の部屋にいるのかもしれない」

最後に入ってきたアーチーが、隣室に続くドアを見つけて指をさす。
アンソニーは黙ったまま大股で歩き、そのドアを勢いよく開けた。

その瞬間目に飛び込んだのは――「あの日」とよく似た悪夢のような光景。
一瞬にして、記憶は八年前のニューヨークで起きた惨劇を脳裏に浮き上がらせた。

片手にナイフを持ち、恨めしそうにこちらを見据えるウォルター。
止める間もなく心臓に突き立てたのは次の瞬間だった。
あのときのウォルターの顔が息子のスタンレーに変わり、アンソニーはハッとする。

(これは幻じゃない!今ここで死のうとしてるのはスタンレー自身なんだ。まさか父親と同じことをしようとするなんて・・・)

どんな事情があろうと、やはり親子だ。
血は争えないと確信した途端、強い決意がアンソニーの全身を支配した。

(あの日の悲劇を繰り返させないぞ。ウォルターと同じ最期になんかさせてたまるか。絶対死なせない。君は生きろ!いや、生きなきゃいけないんだ!)

 

アンソニーは危険も顧みず、本能のままに駆け寄り、ナイフを奪おうとスタンレーに飛びかかる。
だが相手も必死だ。
もしナイフを取られたら、自分が殺されると思ったのだろう。
やぶから棒にナイフを振り回すうち、アンソニーの左手首をかすり、鮮血がほとばしった。

「この野郎、何するんだ!」

アーチーが絶叫して体当たりすると、テリィは無言のまま姿勢を低くしてスタンレーの足をすくう。

「うわあ~!」という悲鳴と共にスタンレーは倒れ込み、その隙にアーチーがナイフをもぎ取る。
三人の連携プレーが功を奏し、あっという間に「獲物」は床に這いつくばった。

手首を押さえ、荒い呼吸で肩を上下させるアンソニーを気遣い、「大丈夫か?」と言いながらテリィはポケットから素早くハンカチを取り出し、傷口を縛る。

「大したことない。ほんのかすり傷さ」

スタンレーに馬乗りになっていたアーチーは、相手の胸倉を掴んで上体を起こすと、「ほら立てよ」と吊り上げる。

「逃げても無駄だぞ。僕らはすべてお見通しさ。ストラスフォードのトップスターさん。いや、スタンレー・ヘイワードと言ったほうがいいかもな」

厳しい口調でアーチーが言い放つと、男はビクッとして顔を上げた。
自分を取り囲んでいる人物を一人ずつ確認し、アンソニーのところで止まる。
しばらく凝視したあとも視線が動くことはない。
アンソニーも負けじと睨み返した。

「なぜ馬鹿な真似をするんだ。死のうとしたのか?」

ハンカチが巻かれた手首を掴んだまま問い詰めたが、スタンレーは何も言わない。
まだじっとこちらを見ている。

「もう逃げられないと観念したから、死のうとしたのか?」

もう一度問いかけたとき、スタンレーは初めて重い口を開いた。

「申し訳なかった・・・」  

 

その直後、プルシアンブルーの瞳から滴(しずく)がこぼれ落ちる。
思ってもみなかった「悪人の涙」に三人ともハッとし、一様に目を大きく見開いた。

「逃げようとしたんじゃない。死ぬことでしか償えないと思ったんだ。俺があんたに対してやったことの一つ一つを」

許しを請うような目でアンソニーを見上げると、サファイアの瞳は怒りに燃えていた。

「逃げようとしたのと同じさ。もし君が死んだら、母上はどんなに悲しむだろう。悩んで苦しんで、もしかしたら後を追うかもしれないんだぞ。だからあの人のためにも君は絶対死んじゃいけない。どんな恥をさらそうと、死ぬより辛い思いをしようと、生き続けなきゃいけないんだ」
「でも俺はあんたを陥(おとしい)れた。病弱な母を救ってくれたあんたに、恩を仇で返すような仕打ちをしてしまったんだ。最愛のキャンディを遠ざけ、望みもしない婚約を押し付けて、あんたの運命を変えちまった。取り返しのつかないことを俺は・・・どうすりゃいんだ!」

頭を抱えて慟哭するスタンレーに駆け寄ると、アンソニーは静かにその肩を抱いた。

「だから言っただろう。君は生きるんだ。僕にすまないと思う気持ちがほんの少しでもあるなら生き続けてくれ。それでローザさんは幸せになれるんだから。彼女が幸せなら僕も幸せでいられる。それが君の償いってことでいいだろう?」

スタンレーは「信じられない」という顔をしてサファイアの瞳を見上げる。

「根っからのお人好しなんだな。重々知ってたつもりだけど改めて驚いたよ。あんたみたいな人が本当にいるなんてさ。ウォルターに二度も殺されそうになった上、今度は息子の俺にハメられ、それでも庇ってくれるなんて信じられない」
「世の中にはそういう奴もいるんだよ。俺も驚いた一人だから」

そう言ってテリィがふっと笑う。

「お人好しにかけてはコイツは王様だからな」

アーチーも笑いながらスタンレーの肩をポンと叩く。

「ハメた相手がアンソニーで良かったな。そうでなきゃ、君の俳優生命は間違いなく終わってたはずだ。倍返し・・・いや百倍返しを食らってムショ暮らし決定だからな」

苦笑するテリィに同調し、アーチーも「命拾いしたよ、あんた」とウィンクする。

三人に完全包囲されて絶体絶命のはずなのに、なぜかスタンレーの心は満たされていた。

久しく味わったことのない感覚が胸いっぱいに広がり、今は素直に思える。

(母は俺を手元に置いて育ててくれた。貧しいなりに精一杯の愛情を注いでくれたんだ。それに比べて弟のフランシスは公爵家に養子に出されて何不自由なく生活出来たろうが、母の愛に包まれることは叶わなかった。だから俺たち二人のうち、どっちが幸せだったかなんて分からない。少なくとも俺は不幸じゃなかった。なのに俺ときたらアードレー家を憎み、アンソニーを逆恨みしてひどい仕打ちを繰り返してきた。思いどおりにならないと他人のせいにする性格は親父譲りなのか。余計なところは似なきゃ良かったのにな。全くどうしようもない親子だよ)

スタンレーは涙で濡れた顔を右手でそっと拭うと、突然アンソニーの足元にひれ伏した。
そして驚く三人を見上げながら素直な気持ちをぶちまける。

「本当に申し訳ない。この上はどんな罰でも受けましょう。あなたの気が済むまで僕を打ち据えてください。大切な母を救ってもらいながら、あなたの未来を台無しにしてしまったんですから。キャンディと共に生きていくはずだった未来を。出来ることならシャルヴィ家の娘との婚約を帳消しにしたいですが、無力な僕がどこまで役に立てるか。それでもシャルヴィ家を説得してみましょう。すべて僕が仕組んだことだと分かれば、当主のパトリックだって・・・」

言葉遣いがガラッと変わったスタンレーの真意を汲み取ったアンソニーは、自らも跪(ひざまず)き、彼の手を取って静かに上へ引き上げた。

「心配しなくていい。その気持ちだけで十分だよ。君が仕組まなくたって、いずれキャンディは結婚することになったろう。そこにいるテリィとね」
「でも・・・あなたがキャンディと離れ離れになる原因を作ったのは、僕の父だそうじゃないですか。きつね狩りで落馬さえしなければ、あなたたちの運命は変わっていた。だからやっぱり僕ら親子のせいなんだ」
「もしウォルターが仕掛けた罠がなくて落馬しなかったとしても、キャンディがずっと僕を好きだったかは分からない。運命の糸はテリィに続いていたかもしれない。神のみぞ知るってことさ。だから恨んだりしないよ。誰のこともね」

微笑むアンソニーの青い瞳が、心の琴線を激しく揺さぶった。
かつてこんな男に会ったことがあるだろうか。
苦い境遇も切ない恋もすべて受け入れ、一人で背負い、ひたすら前を見て歩いて行く姿に胸が熱くなった。
善意の塊(かたまり)のようなアンソニーを奈落へ落とそうとした自分が情けなくなり、再び涙が滲んでくる。
悔恨の情に打ちのめされ、これ以上アンソニーを見ることは出来なかった。

「僕ら親子は、どうすればあなたに償えますか。なんでもいい、言ってください!」

すがるような瞳が恐る恐るこちらを窺(うかが)っている。

「そこまで言うなら一つだけ教えてほしい。僕に復讐しようとしたのは、君の母上が僕の母ローズマリーに瓜二つだったから・・・だね?」

スタンレーはハッとした表情になったが、しばしの沈黙のあと、静かに頷いた。

「おっしゃるとおりです。細かい経緯(いきさつ)は、すべて探偵に調べさせました」

「やはり」という顔をしながら、アンソニーは冷静に切り出す。

「君の父ウォルターは僕の母を愛していた。だけど想いは叶わなかった。成就しなかった恋の代わりに見初めたのが、そっくりな顔立ちをしたローザさんだ。身代わりとして愛された彼女は君たち兄弟を産み、そのあとたった一人で子供を育てることになった。物心ついた君を待っていたのは貧しい暮らし。母親を捨てたウォルターを、さぞや恨んだだろうね。のちに僕の存在を知ったとき、怒りは頂点に達したろう。君と似た容姿の僕がアードレー家でのうのうと暮らしてきたことが許せなかったと思う。分かるよ、僕が君の立場だったらきっと同じように感じたはずさ。それぞれの母親は姿かたちがそっくりなのに、僕だけが裕福な人生を歩んで、一方の君は苦しみ抜いたんだから。すべての発端はウォルターだ。彼がローザさんを愛しさえしなければ、誰も不幸にならずに済んだのに・・・」

いたわるような、庇うような口調で語るアンソニーを、スタンレーは驚愕の眼差しで見つめた。

「すべてお見通しなんですね」
「母上を診ているとき、すっかり仲良くなっていろいろ聞かせてもらったからね。君のことをたいそう心配してらしたよ」
「母が?」
「ローザさんだけじゃない。ウォルターだってそうだ。彼が今際の際(いまわのきわ)に言っていたことを今もはっきり覚えてるよ」
「父はなんて?」
「『スタン、申し訳なかった』って」

そう聞いた途端、頭の奥がしびれるような感覚に襲われ、そのあと体中に熱い液体が流れていくように感じた。

(申し訳なかった――あの傲慢な男がそんなことを?)

ウォルターが自分に赦しを請うて最期を迎えたことを知り、父の中に流れていた人間らしい感情を初めて認め、なんとも不思議な気持ちになった。

「さあ、もう気が済んだかい?これ以上自分を責めるのはやめて、今までどおりのレイモンド・ブラッドリーに戻れよ」

まるで何事もなかったかのように、不幸な事件など一つも起きなかったかのような冴え冴えとした声が響き渡ったのでスタンレーは改めて驚いた。
恨みごとを言うでもなく、罵(ののし)るわけでもなく、穏やかな笑顔を浮かべる余裕さえある、この男の懐の深さに目を見張る。
実際アンソニーには、他人を憎む負の感情が一切存在しないのだろうか。
それが気になって、一瞬たりとも目を離せなくなっていた。

「君はストラスフォードをしょって立つ役者じゃないか。スターはスターらしく、堂々としてればいい。ファンの子たちはそういう君を見るのを楽しみにしてるんだろう?彼女たちの夢を壊しちゃいけないよ。君はファンにとって生きる糧なんだ。太陽なんだ。ただそこにいるだけで人を幸せに出来る職業なんて、そうそうあるもんじゃない。だから君は生きなきゃ!これから先もファンを照らし続けるために。それと母上を大切にしてあげてほしい。君という存在は、ローザさんにとって唯一無二の希望なんだから」

言い終えて満足したのか、アンソニーは息を大きく吸い込み、一気にふーっと吐き出した。

「・・・と、まあそういうことだ。こいつがそういうつもりなら、僕らは黙って引き下がるしかないな」

アーチーがウィンクするとテリィも頷く。

「自殺なんてもう考えないって約束するなら、おとなしく引き上げてやるよ」

低いトーンの、それでいて限りなく優しい先輩俳優の声を耳にして、スタンレーは弱々しい視線を向ける。

「テリュース、あなたにも申し訳ないことをしました。新参者のくせに俺はやりたい放題で、あなたの立場を脅かし続けた。大した実力もないのにです。俺の武器は若さだけだった。苦労して一から積み上げてきたあなたのキャリアに適(かな)うはずないのに」
「それは違うな」

意外な言葉に驚き、スタンレーはうなだれていた頭を俄(にわ)かに上げた。

「ショウビズの世界がそんなに甘くないことは君だって知ってるだろう。若さしか魅力のない役者なんて、たちまち淘汰されていくさ。レイモンド・ブラッドリーがトップスターとして生き残ってるのは、君の中に稀有な役者魂が宿ってるからだ。それこそがファンをつかんで離さない最大の魅力なんだ」
「以前一度だけ、君が主役を張った舞台を見たことがあるけど見事だったよ。容姿の美しさだけであれほど観客を引きつけることは出来ないと思う。君の芝居には、なんかこう・・・光るものがあった。上手く表現出来ないんだけどね。それくらい素人の僕にも分かるよ」

アンソニーが熱っぽく語ると、「それなら近いうちに是非拝まないとな、レイモンド・ブラッドリーの舞台を」とアーチーが微笑んだ。




これ以上は問題を起こしそうもないと確認したあと、テリィは自分のアパートに帰り、アンソニーはアーチーと共にアードレー家のマンションへ向かった。
ここはアルバートとアーチーがニューヨーク滞在中に生活の拠点にしているところだ。
翌朝はジェフリーとクリストファーが勤務するアンドリュース病院に顔を出す心づもりなので、二人とも早めに床に就いた。
怒涛の一日だったが心は晴れやかだった。
始末に負えない悪人だと思い込んでいたスタンレーが、意外に好人物だったことが何より嬉しい。
キャンディを失った哀しみも、フェリシアと婚約しなければならない息苦しさも久々に忘れ、徐々に体を包み込む心地よい眠気に身を委ねられそうな気がしていた。




そして朝が訪れ、アーチーは一人でオフィスに出かけ、クライアントとの折衝に備える。
一方のアンソニーは、予定どおりアンドリュース病院にジェフリーとクリストファーを訪ねた。
ニューヨークまで来ていて挨拶せずに帰るわけにはいかない。
それ以前に、ただただ彼らの顔が見たかった。話がしたかった。

久々の再会に胸を躍らせ、足取りも軽く病院を目指す。
幸い、歩いて行ける距離にあるので敢えて車は使わず、汗ばみながらもひたすら歩く。
昨夜の重苦しい残像が嘘のように消え、晩夏の日差しが名残惜しそうにアンソニーを照らした。

アンドリュース病院が見えてくる。
キャンディがここで働いていると思うと、理性を裏切って心臓が妙に大きな音を立て始めた。

受付で名前を継げスタッフルームに通されると、ほどなくしてジェフリーが現れた。
変わらぬ人懐こい笑顔。
人の心を奥の奥まで癒してくれる極上の笑みが歓迎してくれる。
彼の顔を拝めただけで来て良かったと心底思えた。

アンソニーは椅子から跳ね上がって「先生!」と叫ぶ。

「よお、久しぶり!なんだか見るたびに逞しくなってくな、こいつめ」

アンソニーももういい歳なのに昔の癖が抜けないのだろう、弟分の肩をがっちり抱いたあと、ブロンドの前髪をかき混ぜてジェフリーはニッと笑った。

「立派にやってる研修医を子供扱いしちゃいけないのは分かってるんだ。けど、お前を見てるとついついからかいたくなってな」
「いいんですよ、僕はいつまでも16歳のアンソニーですから」
「冗談抜きでいくつになった?」
「来月で24です」
「え!?もうそんなになるのか・・・」

月日の流れの早さにジェフリーは言葉を失う。

「あの金髪坊やが20代半ばだって?道理でこっちは老け込むわけだ」

神妙な顔つきの兄貴分を諭すように穏やかな声がそれに続く。

「時は止まってない、いつまでも昔と同じじゃないですよ。そういう先生だって、もうすぐパパになるんじゃないですか!本当におめでとうございます。出会った頃からのお二人を知ってる僕としては、『嬉しい』の一言ですよ。それにしても人生って何が起こるか分からないもんですね。まさかレイチェルが先生の子供を産むことになるなんて、あの頃は思いもしませんでしたから」

初めはけんもほろろだった彼女の態度を思い出したのか、アンソニーは懐かしそうな目をしてふふっと笑った。

「こいつ!恩人に対してたいそうな口をきくようになったな」

ジェフリーはふざけて自分の掌(てのひら)を弟分の口元に押し付けて黙らすと、両手で思い切り頬を引っ張った。

「痛いですよ~。やめてくださいってば」

薄目を開けて見ているアンソニーは、吹き出したい衝動を抑えるのに必死だった。

「おっと!ふざけてる場合じゃないんだ。俺はお前を呼びに来たのさ。大事なお客が応接室で待ってるぜ」
「僕を?誰ですか?」
「それは会ってからのお楽しみ」

ジェフリーはついて来いと言わんばかりに顎でドア口を指し示す。

「忙しいのによく来てくれた。思いがけずに会えて嬉しいぜ」

照れ臭そうな声が本音をのぞかせた。