キャンディキャンディ長編二次小説(バラの薫る季節に) -6ページ目

キャンディキャンディ長編二次小説(バラの薫る季節に)

アンソニーメインの二次創作・ファンフィクション「バラの薫る季節に」を掲載しております。

応接室の入口まで来ると、そこで待っていたのはクリストファーとモニカ。
二人とも変わらず元気そうなのを確認してホッとする。
積もる話はあるが、これ以上客を待たせてはいけないという配慮から一緒に来たジェフリーが客室のドアをノックして中に入る。

「お待たせして申し訳ありません。アンソニーを連れてきました」

一体誰が待っているのだろう。
息をする間も惜しいほど急いた心を落ち着かせ、アンソニーは来客の顔をとくと拝んだ。

真っ先に視界に飛び込んだのはブライアン。

(え!どうして君がここにいるの?)

混乱する頭で彼の隣を見ると、驚いたことにローザと二コラが神妙な顔つきでこちらを見つめている。

「お揃いで一体どうしたんですか?」

想像だにしなかった母娘がボストンから遠く離れたニューヨークにいるのが信じられず、アンソニーは思わず二人に駆け寄った。

「ローザさんの体調が落ち着いているから外泊許可を取って出てきたんだ。万が一に備えて俺がお供してね。今朝早くこっちに着いたばかりさ」

ブライアンが切り出すとローザは急に椅子から立ち上がり、狂わんばかりの勢いでアンソニーの手を取った。

「娘の二コラが新聞記事で見つけたんです、レイモンド・ブラッドリーという俳優を。見てすぐ分かりましたわ。息子のスタンレーだって」

母親の発言を裏付けるように二コラはバッグの中からタブロイド紙を取り出し、一面に大きく載っている俳優の写真を指差した。
ブロンドにプルシアンブルーの瞳でロミオの衣装をまとったストラスフォードの看板俳優は眩しいオーラに彩られ、見る者を射抜くような眼差しを投げている。
まるでギリシャ神話から抜け出たアドーニスのようにキラキラ輝いて。
それは間違いなくレイモンド・ブラッドリーだった。

「兄ですわ。15歳で家を飛び出してそれっきりですけど、見た途端、懐かしい気持ちでいっぱいになりました。どんなに立派なスターになろうと、私にとってはあの頃のままの兄なんです」

モニカは褐色の瞳に涙を浮かべて俯いた。

「申し訳ありません。息子はあなた様に数々のご迷惑をかけたはずです。母としてこれ以上は放っておけませんわ。ストラスフォードにあの子を訪ねてこれ以上問題を起こさないように言い含めて参ります。そのために外泊許可を取ってニューヨークへ来たんですの。ブライアン先生にたいそうご迷惑をかけてしまいましたけれど」

ローザは申し訳なさそうにアンソニーとブライアンの顔を交互に見て深々と頭を下げ、ジェフリーたちにまでお辞儀をした。
そしてアンソニーの右手をそっと包み込む。

「まだ本調子じゃないのに、しかもこんなに遠くまで来ていただいて感謝します」

握られた手をアンソニーは強く握り返す。
サファイアの瞳が僅かに潤んでいる。
無理を押して自分のためにわざわざ足を運んでくれたローザの真心がよほど嬉しかったのだろう。
本当の母親と少しも変わらない慈愛の念が彼の胸を激しく揺さぶった。

「どうか心配しないでください。スタンレー君はもう十分反省していますよ。何度も僕に謝って、どんな償いをすればいいのかと言ってくれましたから」

ローザは驚き、エメラルドの瞳を大きく見開いた。

「先生、知っていらしたんですか?息子の正体を」
「ええ、まあ。尤も知ったのは昨夜ですが」

その直後、安堵に満ちた深いため息が漏れ、ローザはへなへなとソファーに倒れこんだ。
アンソニーは慌てて駆け寄り、二コラと共に細い肩を支える。

「彼はローザさんに会いたいと思ってるはずです。それはもう、あなたのことをひどく心配していましたから」
「あの子が?・・・まさか」

アンソニーの言葉が信じられなかった。
貧しかったせいで幼い頃から苦労ばかりさせ、贅沢など何一つさせてやれなかった、良い思い出を少しも残してやれなかったと思い込んでいたから。

「せっかくはるばるいらしたんです。これからストラスフォードに行きましょう。スタンレー君はさぞかし喜ぶに違いありません。勿論お供しますよ」

アンソニーはローザと二コラにウィンクしながら優しく微笑んだ。





病院に残ったブライアンが兄妹やクリストファーと再会を喜んでいる間、アンソニーはローザと二コラを伴ってストラスフォード劇団を訪れた。
幸い役者たちは稽古の合間だったので簡単にテリィをつかまえることが出来た。
彼に取り次ぎを頼み、応接室で待機していると、ややあって件(くだん)の看板俳優が決まり悪そうに顔を出した。
レイモンド、いや、スタンレーの姿を見た途端、はじかれたようにローザと二コラが駆け寄る。

「こんな・・・こんな立派になって!」

母の瞳からは熱い滴(しずく)が幾筋も幾筋も流れてはこぼれ落ちた。
スタンレーはたまらなくなり、歳を重ねて弱々しくなった肩をそっと抱きしめる。

「母さん、ごめん」

次の言葉が出てこない。
いつも挑戦的だったプルシアンブルーの目には大粒の涙が溢れて瞼をしっとり濡らした。
二コラは母と兄の背を代わる代わる優しくさする。
その様子を見ているアンソニーにもテリィにも胸を震わす感動が伝わり、涙の連鎖が波及しようとしていた。

「稽古が再開するまでしばらく時間がある。気にしないでゆっくり話せよ」

テリィがそう言うと、三人は同時に深く頭を下げた。

「じゃあ、僕らはこれで」

言葉少なに会釈し、アンソニーが退出しようとするとローザが呼び止める。

「ありがとうございます。何もかも先生のおかげです」

涙ながらに感謝を述べ、もう一度深く頭を下げた。
スタンレーも二コラもそれに倣う。

「いいえ、僕は何もしてませんよ。すべては神様のお導きです」

サファイアの瞳が穏やかに微笑んだ。






応接室を後にし、エントランスに向かってアンソニーとテリィは歩いて行く。
どちらからともなく安堵のため息が漏れた。

「やれやれ、これでやっと一段落だな。僕を付け狙ってた犯人は分かったし、ローザさんも二コラも尋ね人に会えて幸せそうだし、文句なしのハッピーエンドだよな」

伸びをしながら屈託ない笑顔を見せる相棒と並んで歩きながら、テリィはふっと笑う。

「安心するのはまだ早いぜ。文句なしのハッピーエンドなんかじゃないだろう」

いきなり水を差されてアンソニーの表情は曇る。「なぜハッピーエンドじゃないんだ」とでも言いたげに。

「これだから困るんだよ。お人好しのお坊ちゃんは」
「なんだと!」

出し抜けに指摘され、ほんの一瞬だが昔の険悪なムードが蘇った。
アンソニーは眉間に皺を寄せて激しい視線をテリィに投げる。

「君とはすっかり分かり合えたと思ってたのに僕の思い違いだったのか?」
「誤解するな。俺だって今は君を大切な友人だと思ってる。だからこそ目を背けずに現実を見て欲しいんだ。俺が言いたいのはね、フェリシア嬢との婚約をどうするつもりかってことさ」

痛いところをつかれ、「あ・・・」と言ったきり言葉に詰まる。

「そら見ろ。だからお人好しの坊ちゃんって言ってるんだ。今のうちに手を打たないと、ホントに結婚する羽目になっちまうぜ。君はそれでいいのか?」

改めて言われると、今でも大揺れに揺れている情けない自分がそこにいた。
もうとっくに覚悟を決めたはずなのに、迫り来る現実から逃れようともがき苦しんでいる自分がいた。
こんな気持ちのままフェリシアと婚約して、本当に幸せにしてやれるのだろうか。
そもそも婚約すること自体、正しい決断なのだろうか。
考えれば考えるほど答えのない底なし沼にはまっていくようだ。

「いろいろあったんですっかり忘れてたよ、フェリシアのこと」

俯き加減で力なく言うアンソニーを見た途端、テリィも息苦しさに苛(さいな)まれる。

今はすっかり無縁になったスザナの幻が、今なお亡霊のように追いかけてくる錯覚に陥った。

その瞬間、スザナとフェリシアの顔が重なり合って目の前のアンソニーを責めたてるのが見える気がした。

テリィは思わず身震いした。

スザナと過ごした苦しい日々が蘇り、アンソニーには同じ過ちを繰り返して欲しくないと切に願う。

それなのに何の力にもなってやれない自分がふがいない。

 

 


そのときだ。
受付のスタッフが小走りで駆けてきて、「エントランスホールにコーンウェルとおっしゃるお客様がお見えです」とテリィに伝えた。
何かあったのかと不安げにアンソニーを見ると、彼も同じような表情でこちらを見ている。

「ありがとう、すぐ行きます」

テリィが言うと同時に二人は大股で歩き出す。
逸(はや)る心を抑えてエントランスに行くと、アーチーが上機嫌で手を振っていた。

「やあお二人さん、忙しいところ悪かったな。アンドリュース病院に行ったらアンソニーはここにいるって聞いたからさ。実はついさっき、アルバートさんがキャンディを連れてオフィスに帰ってきたんだ。外に車を停めてあるから、もし時間があるなら一緒に来ないか?」

キャンディと聞いて、アンソニーの心臓は俄(にわ)かに甲高い音を奏で始めた。
理性で抑え込もうとしてもどうにもならない勢いで大きく激しく鳴り響く。
ドクンドクンドクンドクン・・・
今にも爆発して口から溢れ出しそうだ。

(バカだなあ、僕の心臓。こんなにざわついて今更どうなるっていうんだ?頼むから鎮まってくれ。おとなしくしていてくれ。まさか忘れたわけじゃなかろう?お前はもうすぐフェリシアと婚約するんだぞ!)

「昨日スタンレーの正体が分かってからすぐにシカゴを発ったらしいぜ。キャンディ、たまたまあっちに行ってたろう?アニーとも話せたし、もう用事は済んだからアルバートさんと一緒にニューヨークへ戻ったんだってさ。とにかくお前のことを凄く心配してるよ」

ボーっとしたまま何も答えようとしないアンソニーにたまりかね、アーチーはもう一度同じ話を繰り返した。
それでもアンソニーは白昼夢から覚めない。

「おい、聞こえてるのか?キャンディが君のことを心配してるってよ」

テリィも大きな声で駄目押しする。

「あ?ああ・・・」

寝ぼけ眼のような冴えない視線しか送ってこないから、アーチーもテリィも益々不安になった。

「しょうがないなあ。その様子だとアーチー一人じゃ心もとないだろう。俺もついてくよ。稽古再開までまだ少し時間があるしね」

助け舟を出してくれたテリィに、「助かる!恩に着るよ」とアーチーはホッとした表情でウィンクして見せた。

 

 

 

 

 

アーチーの車でストラスフォードの事務所を出発した三人は、10分ほどでナッソー・ストリートにあるアルバートのオフィスに着いた。
ニューヨークの拠点として正式に構えているオフィスとは違い、ここはアルバートとアーチーのためだけに用意されたプライベートな空間。
極秘の案件を処理するときも、少し休憩を取りたいときも、空き時間の調整のためにも何にでも使える便利な場所になっている。
室内はいたってシンプルで不要な装飾品の類は一切なく、大きなデスクと椅子、ゆっくり体を伸ばせるソファーがしつらえてあるだけの機能的な執務室だった。
南に向いた大きな窓からは季節を問わずたっぷりの日差しが降り注ぐし、ここから見える外の眺めはなかなかのものだ。
途切れることのない人や車の往来を眺めるのは興味深いし、視線を遠くにやればセントラルパークの緑が疲れた目を癒してくれる。
豪華な調度品などなくても、それがちょっとした贅沢になっていた。

「ここだよ。お目当ての人物がいるところは」

アーチーはアルバートの部屋の前まで来ると、アンソニーとテリィに手招きしながらノックしてドアを開ける。
中を覗き込むなり、キャンディの心配そうな顔が視界に飛び込んだ。

「アンソニー、大丈夫なの?」

挨拶もそこそこに彼女の口から飛び出した第一声は「アンソニー」。
すぐ後ろにいたテリィが見えなかったせいかもしれないが、誰に気遣うこともなく素直に思いを口にしたキャンディにとって、少なくとも今最も気になっているのはアンソニーなのだろう。

(やっぱり君を一番駆り立てているのは・・・こいつの存在か?)

分かっていたはずなのに苦い現実を突きつけられてテリィは自嘲気味に、それでいて少し寂し気に笑った。

「大丈夫だよ。心配性だな、キャンディは」

優しい笑みを浮かべてウィンクするアンソニーは、すぐそばにいる彼女の「婚約者」への配慮を忘れてはいない。

「ほら、こうやってテリィも来てくれたんだ。忙しいスケジュールの合間を縫ってね」

そう言いながら彼をキャンディの前に押し出す。

「いろいろ助けてもらって本当にありがとう。心から感謝するわ、テリィ。レイモンドが黒幕だって知ってから、居ても立っても居られなくてアルバートさんと一緒に帰ってきちゃったの」

照れ臭そうに言うキャンディの髪をテリィはそっと撫でた。
アンソニーに負けないくらいの優しい眼差しで包みながら。

「もう心配はなくなったよ。アンソニーは俺たちみんなで守ったから・・・な?」

まるで子供をあやすように膝を曲げて自分の視線までかがんでくれたテリィに、「ありがとう」を繰り返すキャンディ。
心なしか緑の瞳が潤んで見える。
エメラルドの湖水を縁取る睫毛も、うっすら光って見えた。

「いつまでたっても子供みたいなんだな、キャンディは。いつ突飛な真似をするか分からない。全く困ったもんだよ、このおちびちゃんは」

アーチーがからかうとその場はどっと笑いの渦に包まれ、当の本人だけが頬を膨らませて「おちびちゃんだなんて、アーチーはいつまでも私を子供扱いするんだから!」と拗ねて見せる。

「だってホントに子供なんだから仕方ないさ。誰かが守ってやらなきゃ危なっかしくて見てられない」

 

涼しげな顔でアルバートが言い放ったひとこと
――誰かが守ってやらなきゃ――

三人の若者たちがそれにビクッと反応した。

――誰かが――

その誰かとは一体誰なのか。
意図的に「誰か」と言ったのか、それとも深い意味などないのか?

本来ならキャンディを守るのは婚約者であるテリィの役目だろう。
なのになぜ今更「誰か」などと言うのだろう。
アルバートの真意を図りかね、三人には複雑な思いが去来する。

(「誰か」が守るってどういう意味だ?俺にはその資格がないってことか?)

テリィの瞳がアルバートの横顔をなぞり、何かを訴えたげにゆらゆら揺れる。

(キャンディを守るのはテリィに決まってる。今更「誰か」だなんてどうかしてるよ、アルバートさん!)

アーチーのマリンブルーの瞳もアルバートを斜め横から捉え、不満げに揺れる。
ただ一人、アンソニーだけが叔父を真正面から見据えてきっぱり言い放った。

「誰かが守ってやらなきゃなんて、今更なこと言っておかしいですよ。キャンディを守るのはここにいるテリィに決まってるでしょう。今まではともかく、これから先はね」

確かに今まではアードレー家の養女としてキャンディはアルバートに守られていた。
だが婚約した今、彼女を守る役目は夫になるテリィにバトンタッチされるはずなのだ。
なのに今更「誰か」が守るだなんて、どう考えてもおかしい。
まっとうなことを指摘するアンソニーの声には迷いがなく、強い意志をたたえたサファイアの瞳から刺すような視線が放たれたとき、同じ色の瞳から同じくらい強い視線が甥に向かって跳ね返される。
微動だにしない叔父と甥を間近に見ているテリィとアーチーは、肉親同士の心の奥底に芽生えただろう僅かな亀裂に気づき、ただただ苦しかった。
どうやらキャンディを妻に望んでいるらしいアルバートの本音が透けて見えた気がして怖かった。
当のキャンディだけは男たちの思惑に全く気づかず、天衣無縫なエメラルドの瞳から注がれる視線が、憂いを秘めた四つの顔を行ったり来たりした。

 

 

 

 

かなりの時間が経過したと思われたが、実際のところほんの一分も経っていなかった。
ほどなくアルバートはいつもどおりの優しい笑顔でキャンディを見つめる。

「アンソニーの言うとおりだ。アードレー家から嫁いだあとの長い人生、君を支えて守っていくのはテリィなんだよ」

それに続いて穏やかな目が若者に向けられると、テリィは決意に満ちた強い眼差しで応えた。

「いつかも言ったと思いますが、僕は命に代えてもキャンディを守り抜きます。これから先、何があってもずっと」
「あらいやだテリィったら。みんなの前でそんなオーバーなこと言って」

キャンディが頬を染めて照れ隠しに微笑むと、テリィはすかさず彼女の肩を強く抱き寄せる。

「オーバーなんかじゃない。本気だよ」

真剣な目でキャンディを見つめたあと、その同じ瞳が今度はアルバートに向けられた。
同年代の男だったらすぐにひるんでしまうだろう、圧倒的な目力をもって。
だが地位も名声も人生経験も何もかもがテリィを上回っている富豪の総長は、大して動揺した様子も見せず冷静に言葉を返す。

「頼もしい言葉を聞けて安心したよ。じゃあここからは君へのお返しだ。僕もこの前言ったと思うが、もう一度だけお願いしておく。キャンディはアードレー家の大切な養女だ。その笑顔を絶やさないように、いつも彼女が幸せでいられるように、どうかよろしく頼む」

軽く頭を下げられると、さすがのテリィも恐縮して深々と頭を下げざるを得なかった。
これが年齢差というものか――
自分は大人になったのだと自信を持っていたつもりだったが、更に上を行く「大人の男」に釘を刺されてしまっては立つ瀬がない。
目の前に立ちはだかる大きく硬い壁の感触を又もや思い知らされ、テリィは軽い恐怖を覚えた。

その同じとき、すぐそばのアンソニーは切なげな視線をぼんやりとテリィの左手に注いでいた。
キャンディの肩をしっかり抱きしめている、彼の力強い手に。

 

 

 

 

それから30分ほど世間話が続いたあと、アーチーが車を出し、テリィをストラスフォードに、アンソニーとキャンディをアンドリュース病院へ送り届けることになり、四人はオフィスを出た。
一人残ったアルバートは、そろそろ弱まってきた西日が差し込むデスクにどっかり腰を下ろし、深いため息を一つつく。
光と影のコントラストが端正な横顔を際立たせ、さながらギリシャ彫刻のように凛々しい美貌が物憂げに浮かび上がった。

(テリィ、怖いくらいに真剣だったな。僕に盗られるとでも思ったのか、必死でキャンディを抱き寄せて。それにアンソニーも・・・)

自分に向けられた激しい四つの瞳を思い出し、アルバートは思わず目を閉じた。

(彼らがあんなふうに強い眼差しを向けてくるなんて思ってもみなかった。あの二人が一瞬見せた氷の感触は何だったんだろう。錯覚ではないはずだ。僕は確かに感じた。胸が苦しくなるほどの居心地の悪さを。彼らを頑なにさせる何かが僕の中にあるというのか)

その直後、ハッとして目を開ける。

(僕は無意識のうちにキャンディを求めて・・・!もしかして彼らはそれに気づいているのかもしれない。あのよそよそしい態度はそのせいだったのか)

アルバートは思わず立ち上がって窓辺に歩いて行くと、カーテンをギュッと握りしめ、沈みゆく太陽を恨めしげに見つめた。

 

 

 

 

稽古が再開する時間が迫ってきたのでアーチーはスピードを上げて車を走らせ、ストラスフォードの事務所でテリィを降ろした。
スタンレーとの再会を楽しんでいたローザと二コラ親子は、急遽スタンレーが予約したホテルに宿泊することになったため、アンソニーとキャンディだけがアンドリュース病院に送り届けられた。
二人を降ろすとその足でアーチーはオフィスへ帰っていく。
彼の車が夜の闇に吸い込まれ、テールランプがすっかり見えなくなるまでアンソニーとキャンディは並んで見送った。

「アーチー、無事に着くわよね?」

キャンディの細い声が夜のしじまを静かに揺らす。
遙か彼方にはマンハッタンを彩る極彩色のネオンが星座のように瞬いているが、ここアンドリュース病院の敷地までは照らしてくれない。
二人が立っている場所に届くのは、ガス灯の明かりと病院の窓からこぼれている、うすぼけた光だけ。

「運転し慣れた道だろうから大丈夫だよ」
「それもそうね」

クスッと笑うキャンディの顔を弱い光があぶり出し、緑の瞳がキラキラ輝いた。
漆黒の闇の中に浮き上がった彼女の表情に、アンソニーは思わず息を呑む。
黒とエメラルド。そして黒と真っ白な柔肌。
そのコントラストは、どう言い表していいのか分からないほど美しかった。
こんなに艶めいたキャンディを見たことなど、今の今までなかっただろう。
いつまでも少女の面影を残していると思っていたのに、時はちゃんと刻まれていたのだ。

――キャンディはもう、「女の子」じゃないんだ――

バラの門で見つけたそばかすの少女は、すっかり大人の女性になっていた。
突然「生身の女」を感じてしまい、アンソニーはごくりとつばを飲み込んだ。

「この前お別れしたのに、またすぐ会うことになっちゃったわね」

すぐそばでアンソニーが何を考えているのか気づきもしないで、キャンディは無邪気な笑顔を見せる。
そのおかげでアンソニーはやっと官能的な妄想から現実に戻ることが出来た。

「だから言ったとおりになっただろ?僕たちは親戚同士なんだからまた会うこともあるって。そのときは笑顔で話す約束だったよね」
「私、ちゃんと言いつけを守ってるでしょ?」
「うん。上出来だ!」

軽口を言い合いながら僅かの時間を過ごしたのち、新たな沈黙が訪れる。
さっさと病院に入ればいいものを、二人ともその場を動くことがなかなか出来ずにいた。
キャンディの桜色の頬が暗い闇に美しく彩られ、またもアンソニーを悩ませ始める。
彼女に触れたい衝動を抑え込むため、両の拳を痛いほど握りしめる。

(ダメだ。少しでも気を緩めたら自分を律することなんて出来なくなる。こんなにも近くにいるのに、手を伸ばしたら抱きしめられる距離なのに、なぜ気持ちを押し殺さなきゃいけないんだ!)

我慢の限界が近づき、体中が震え出すのが自分でも分かった。
これ以上二人きりでいたら、紳士でいる自信などあっという間に吹き飛んでしまう。

(好きだよ、キャンディ。今この場でキス出来たらどんなにいいだろう。でも唇に触れてしまったらおしまいだ。僕は自分をコントロール出来なくなる。不義を犯し、君を奪って逃げるだろう。そんなことをしたらテリィに申し訳が立たないし、フェリシアを裏切ることになる)

その瞬間ハッとした。
キャンディへの想いがあまりに強すぎて、頭の片隅から消えかけていた存在が急に蘇ってきたのだ。

フェリシア――

雷に打たれたように全身が硬直し、今まで見ていた甘美な夢はあとかたもなく消え去った。

そして愚かすぎる自分に冷め切った笑いが込み上げる。

(見果てぬ夢さ。幻なんだ、キャンディは。お前が将来を共に生きる相手は彼女じゃないだろう?だから目を背けずにしっかり現実を見ろ、アンソニー・ブラウン!)

抱きしめたい衝動と闘うために握りしめていた拳が力なく垂れ下がった。
全身を貫いていた情熱の炎は水をかけられたように一瞬で消えた。
あとに残るのはあたりを覆う漆黒の闇だけ。
夏だというのに、心の中を冷やかな風が吹き抜けていくのをアンソニーは感じていた。

(そう・・・それでいい。もう何も感じなければいいんだ。愛しいと思う気持ちを忘れ、相手を求める欲望を封印し、生きる希望を忘れ、ただ浮草のように水の流れに身を任せていればいい。それ以外、今の僕に何が出来るっていうんだ!)

「どうしたの?何だか変よ」

急に覇気がなくなったアンソニーを案じ、キャンディは不安げな顔で彼を見上げた。
だがビー玉のようなサファイアの瞳は、美しいだけで何の活力も映し出してはいなかった。

「何でもないよ。ちょっと疲れただけさ」

辛うじて笑顔を作るとキャンディの肩にそっと手を回し、院内へとエスコートする。

「さあ中へ入ろう。みんな待ってる」

もっと一緒にいたかったが、アンソニーはずっと目を伏せたままだからキャンディは黙って従うしかなかった。

 

 

 

 

二人がスタッフルームに顔を出したとき、今日の診察をすべて終えたジェフリーがブライアンと話し込んでいた。
兄弟水入らずで久々に語り合うのだ。話は尽きないのだろう。
クリストファーとモニカは当直なので既に病棟へ向かった後だという。
キャンディとブライアンは顔を合わせるなり微笑み合って久しぶりの再会を心から喜んだ。

「確か兄貴の結婚式でお会いして以来ですね?ちょっと見ないうちに何だか奇麗になったな~」

ブライアンが冷やかすと、「まあお上手だこと。口が上手いのはお兄さん譲りですか?」とキャンディが切り返す。

「口が上手いわけじゃない。ホントのことさ。俺もその点だけは弟に同意するね。この頃妙に色っぽいよキャンディは、なあ?」

そう言ってジェフリーはアンソニーの顔をちらっと見る。
急に話を振られたからドギマギして「ええ、まあ」と、どうでもいい返事をしてしまうアンソニー。

「こいつ、照れてんの!」

ブライアンはいつの間にか真隣に来ており、相棒に思い切り肘鉄を食らわせる。

少年のように顔を赤らめるアンソニーを見て、キャンディの心はとても温かくなった。
愛情のひとかけらでも、まだ自分に注がれているかもしれないと思ったら、わけもなく嬉しくなり頬が火照ってくるのが分かった。

「あれれ、キャンディまで赤くなってるぞ。お前たちはホントに分かりやすいな。こんなとこを互いの婚約者に見られたらどうするつもりだ?」

いつもどおりの歯に衣着せぬ物言いに圧倒され、アンソニーはひたすら頭を掻く。

「おい兄貴、それは二人が一番触れられたくないツボだろうが!なんでわざわざ話題にしちゃうかな~」

ブライアンが助け舟を出すがジェフリーはおかまいなしだ。
全くめげず、それどころか深く鋭く核心をえぐってくる。

「避けて通れないツボだから敢えて聞いてるんだ。これから一体どうする?このままいくと、互いがそれぞれ妙な結婚生活を送ることになるぜ。覚悟は出来てるのか?」

いきなり直球を投げられたから、返答しようがないまま二人はその場に立ち尽くした。
アンソニーは眉間に皺を寄せたまま俯き、キャンディは不安げにアンソニーを見上げる。

「婚約者以外を好きだと思う気持ちがほんの少しでもあるなら待ったほうがいい。一歩踏み出したが最後、簡単には引き返せない道だから。それほど重いものなんだ、結婚ってやつは」

黒褐色の瞳が後輩たちを温かく包み込む。
二人とも幸せになってほしいと心から願うジェフリーだからこそ、厳しい現実を突きつけられるのだろう。
結婚という人生の大きな節目を経験した者だけが言える、重厚で嘘のない本音の叫びがアンソニーとキャンディの心に音もなく染み渡った。

「この中で唯一の既婚者だからなぁ、兄貴は。今回だけはましなアドバイスとして参考にするのも悪くなさそうだぜ」

アンソニーをちらちら見ながら茶々を入れる弟に、兄はわざとオーバーに拳固を食らわせる振りをしてみせた。