キャンディキャンディ長編二次小説(バラの薫る季節に) -35ページ目

キャンディキャンディ長編二次小説(バラの薫る季節に)

アンソニーメインの二次創作・ファンフィクション「バラの薫る季節に」を掲載しております。

ノックして部屋へ入ると、エルロイはベッドに半身を起こし、昼食をとっている最中だった。
アンソニーを見るなり、手にしていたスプーンをトレーに置き、絶叫する。

「アンソニー!おお、私のアンソニーや、もっと近くへ。顔をよく見せておくれ」

彼は一礼するとベッドサイドへ歩み寄り、大おばの手を取った。

「お見舞いがこんなに遅くなって、申し訳ありません。風邪がうつったら大変なので、完治するのを待ってたんです。そしたら今日になってしまい・・・」

エルロイは目に涙をため、何度も頭を左右に振った。

「いいんですよ、そんなこと。具合はもう、すっかり良くなったのかい?」
「それは僕のセリフですよ」

青い瞳が照れくさそうに笑う。

「私なら大丈夫。このところ気分もいいし。毎日パーキンス先生が診てくださるんだよ。キャンディも、よく世話してくれるしね」

老婦人は目を細めた。

「良かった・・・それを聞いて安心しました。どこか苦しいところはないですか?胸とか頭とか」
「平気ですよ。この前は心臓がしめつけられるような気分だったんだけどね」
「じゃあ、少しでも痛みを感じたら、すぐに知らせてください。一応これでも医学生ですから」

ウィンクすると、エルロイの手元にあるトレーを下げ、アンソニーは微笑んだ。
そして椅子に腰かけて老女の手を取り、脈を測る。
病人を見ると無意識のうちにそういう行動に出てしまうのは、病棟実習の成果なのだろうか。
それとも職業病か。

(良かった。脈は安定してる)

安堵すると、そばで大おばの声が感慨深げに響いた。

「しかしまあ、立派になったこと!アーチーの結婚式でちょっと見かけたけれど、こうやって間近で拝むとびっくりしてしまうわ。面と向かって話したのは進学校に進む前でしたよ、確か」
「僕はまだ17歳でした」
「いくにおなりだい?」
「9月で23です」

エルロイは目を丸くし、改めてアンソニーをしげしげ見つめた。

「いつの間にか、大人になってしまったんだね。こっちが年を取るわけだよ」
「そんな弱気なこと言っちゃいけません。まだまだお元気でいてくださらないと」
「あなたがこちらへ帰ってきてくれれば、間違いなく元気になれそうなんだけど・・・無理なのかい?」

真剣な目をするエルロイに、なんと答えていいかわからず、アンソニーは戸惑う。
来年卒業しても、恐らく自分はボストンに残るだろう。
だから二度と、アードレーを名乗ることはない。
それは確かな予感だから、老女の顔をまともに見れなかった。

「許しておくれ。困らせるようなことを言ってしまったね。きつね狩りのあと、あなたをニューヨークへ追いやったのは他でもない私だもの。今更帰って欲しいなんて、虫のいい話だってことは、よくわかってるんですよ」
「そんなふうにおっしゃらないでください。僕はむしろ感謝してるんです。広い世界で学ぶチャンスをくださったことを。だから、わがままを許していただけますか?」

はっきり言わずに言葉を濁したが、彼女にわかってもらうには十分だった。
アンソニーがここへ戻ることは、恐らくもうない──エルロイは若者の固い決意を悟り、寂しげな顔でかすかに笑った。




同じ頃キャンディは、何をするわけでもなく、ただ庭をぶらぶら歩いていた。
アンソニーに言われたように、アニーと話をしようと思って部屋をノックしたのだが、あいにく彼女は留守だった。
アーチーもいなかったから、夫婦で出かけたのだろう。
することもなく、持て余していると、ちょうど通りかかったアルバートに声をかけられた。
彼にしては珍しく、ビジネススーツを着ている。

「何してるんだい?こんなところで」
「何って・・・別に」

ため息をつく声でも聞こえたのだろうか──キャンディはなんとなく、ばつが悪かった。

「アルバートさんこそ、何してるの?」
「これからクライアントに会いに行くところさ。今度のビジネスパートナーになる、大切な相手なんだ」

彼がいつになく引きしまった顔つきなのは、そのせいだろうか。
今日は優しい「兄」ではなく、完全に「よそいき」に見える。
それだけでも意外だったのに、次のセリフが追い討ちをかけた。

「大おば様も危険な時期は脱した。だからもう、君がここにいる理由はないんじゃないかな」

一瞬、何を言われたのか、よくわからなかった。
信じられないという顔で、アルバートを見つめる。

(それは・・・私に帰れってこと?ここにいちゃいけないって言ってるの?)

今までそんなふうに言われたことなどないから、余計にショックだ。
耳を疑ってしまう。

「早くニューヨークへ帰ったほうがいい。そりゃ寂しいよ。出来るなら、いつまでもここにいて欲しい。でも、そういうわけにはいかないだろう。テリィが待ってるんだから」

核心に迫ることを言われ、心臓が焼け付くようになったとき、ジョルジュが現れて一礼した。

「ウィリアム様、キャンディス様、お話し中に失礼します。お車の準備が出来ましたので」
「ああ、すぐ行く」

そう言ったあと、アルバートはもう一度キャンディに向き直る。

「ここにいても、することはないよね?だったら早くテリィのところへ帰るべきじゃないかな。そのほうが、みんなのためになる・・・と、僕は思うんだ」

そのアドバイスは至極まともで、常識的で、絵に描いたような模範解答だったから、かえって辛い。
身動き出来ない檻(おり)の中に放り込まれたような圧迫感があった。
苦しい。叫びたいほど辛い。
だが、これが現実なのだ。

(アルバートさんならわかってくれると思ってた。私がどんな気持ちでいるか。帰りたくても帰れないのよ!それが誰のせいなのか、わかるでしょ?)

去り際に、やっと優しい笑みを浮かべてくれた「養父」の背を見送りながら、そばにあった木によりかかって、深いため息をつく。
見上げたらすぐ視界に入る、アンソニーがいる部屋の窓をじっと見つめながら。




正門に横付けされた車に向かうまでの短い時間、アルバートは刺すような胸の痛みを感じていた。

キャンディ、ごめんよ。あんな冷たい言い方しか出来ない僕を許して欲しい。
全くおとなげないと、自分でも呆れちゃうよ。
けど、どうしようもないんだ。
今回君たち二人が再会して、誰の目にもはっきりわかった。
君がまだ、深い思いを「彼」に残してることが。
それからさ。僕の頭は真っ白になって、冷静に行動することが出来なくなってる。
馬鹿みたいだろ?いくつになると思ってるんだ。
アンソニーやテリィとは、10歳近く歳が離れてる。
少しは貫禄見せなきゃいけないと思いつつ、どうにもならないんだ。
君を思うと、心は10代の少年に戻ってしまう。「恋は盲目」とは、よく言ったもんさ。
とにかく、もう見たくないんだ。
アンソニーとテリィの間で揺れて苦しむ君の姿を。




アルバートの提言──婚約者がいる身分なのだから、節度ある振る舞いをすること──を肝に銘じながら、アンソニーとキャンディは、協力し合ってエルロイの看病に当たった。
本来医学生は指導医の監督なしに医療行為はしないが、実際のところ簡単なことなら問題ないので、パーキンスは気をきかせ、アンソニーのために機会を提供した。


検温、血圧や脈の測定、心音の確認、投薬、注射──医者としての「いろは」を、そつなくこなしていくアンソニーを見て、エルロイは感無量だった。
同時に、この若者が間違いなく自分の手を離れ、遙かな世界へ飛び立ってしまったことを実感し、悲しくもあった。

キャンディは若い医学生のそばに控え、彼に指示されたとおり、きびきび動く。
アンソニーと初めて一緒に仕事が出来る喜びをかみしめながら。

(私、今ほど看護婦になって良かったと思ったことはないわ。ホントよ!こんなふうに考えたら不謹慎かしら?)

ちらっとのぞき込むと、窓から差し込む朝陽が、青年の端正な横顔を照らし出し、ブロンドが透けて光った。
まぶしかった。




午後になってから、キャンディはアニーの部屋を訪ねた。
彼女は安定期に入っても不快な症状に悩まされ、ベッドで休んでいることが多いのだ。

細身の女性にとって、妊娠は辛いことなのかもしれない。
だから妊婦の体調を気づかい、余計なことは一切言わないようにした。
本当は、相談したいことが山ほどあるのに。
アンソニーのこと、テリィのこと、そしてつい先日アルバートに言われた、「早く帰ったほうがいい」という言葉の真意。
だが、アニーを不安にさせるのがためらわれたので、すべてを胸のうちにしまう。

「すごく悩んでるみたいね。なんなのかは想像がつくけど。もしかして、誰かに何か言われた?」

ベッドに寝たまま、心配そうに視線を送ってくるアニー。

「どうしてわかるの?」
「だって、顔に書いてあるもの。すごくわかりやすいわ」

アニーはくすっと笑う。
幼なじみの目はごまかせないらしい。悔しいが、すぐに心を見抜かれてしまう。

「参ったな~。当たりよ!実はアルバートさんに、『ここにはもう用がないだろうから、早くテリィのところへ帰れ』って言われたの。どう思う?」

アニーはしばらく黙って天井を見つめていたが、やがて真顔で言い返した。

「そのとおりだと思うわ。彼は意地悪で言ったんじゃないの。キャンディのためを思って、忠告してくれたのよ」
「忠告?」
「そう。あなたの気持ちが、また揺れてることに気づいたから」

痛いところを突かれ、キャンディは顔をしかめた。
アニーもアルバートさんもアーチーも、そして恐らくアンソニーも、皆が自分の動揺を見抜いている。
初恋の人に再会しただけで、こんなにも気持ちを抑えられない自分が許せない。

「このままだと、またキャンディは苦しむわ。きっとアルバートさんは、そんな姿を見たくないんだと思う。私だってそうだもの」

アニーの表情が曇り、青い瞳に涙が浮かんだ。
その優しさがありがたいと同時に、親友をこんなに悩ませる自分が情けなく思えた。

(なんとかしなきゃ!このままじゃいけない。それはよくわかってるわ。でも、どうしたらいいの?)


心の叫びが空しく響いたとき、一瞬、バラの光景が目の前に広がった。
スイートキャンディ──あの穏やかな色合いを見たら、もしかして気持ちの整理がつくかもしれない。
わずかな希望が見えたとき、午後の太陽がレースのカーテンごしに差し込み、キャンディとアニーを包み込んだ。



理不尽な葛藤に何かの結論を出せるかと期待し、キャンディはバラ園へ急ぐ。
つい先日、アンソニーと歩いた裏庭の小道。
今日も同じように奇麗に晴れ上がり、まぶしい光が緑の木立をすり抜ける。
すると、この前は気づかなかった、濃い緑に染まるくさむらが視界に入る。
それは遠い昔に出会った懐かしい光景に似ており、キャンディの胸を切なく揺らした。

(この景色、聖ポール学院の裏庭に似てるわ。あそこには、にせポニーの丘があって、テリィがよくタバコを吸ってたわね)

あれから、もう何年経つのだろう。
不良少年と呼ばれていた彼をなんとか改心させようと、ハーモニカで「調教」したこともある。
テリィはいつも軽口ばかりたたいていたが、それこそが、彼独特の愛情表現だと気づいたとき、自分たちの距離は急速に近づいた。

(あんなに恋焦がれたテリィと、今度こそ一緒になれるのに・・・。出来るなら、学院の裏庭に時を戻したいわ。あのままずっと、あそこでテリィと楽しい時間を過ごしたかった。イライザの罠さえなかったら、テリィはアメリカへ行かず、俳優にもならず、スザナにも会わないで、「あの事故」もなくて・・・。そしたら、たとえアンソニーが生きてることを知ったとしても、私の心は揺れなかった。そうよ。断言できるわ!)

昔を懐かしむ気持ちとは裏腹に、現実の苦しさを憂いた。
その途端、目の前のくさむらから、白い煙がゆらゆら上ってくるのが見え、キャンディは驚いた。
これでは、「あのとき」と同じだ。

あのとき──校則を破って、茂みでタバコを吸っていたテリィ。火事と間違え、火を消そうとしたキャンディ。
今この瞬間、目の前で何が起ころうとしているのだろう。

(火事?大変だわ。早く火を消さなきゃ!)

大声で叫びながら、煙の正体に近づいていく。

「み、水を!早く水!」

あの日と同じ行動を取っていることに気づかず、煙に突進すると、足もとの障害物につまずいてよろけた。

「危ないよ」

倒れかかった自分を支えてくれたのは、くわえタバコのアンソニー。
煙の正体は彼が吸っていたタバコで、キャンディがつまずいたのは、アンソニーの足。
自分の体は彼の真上にあり、もう少しで顔と顔がくっつきそうになるところを、辛うじてアンソニーの両腕が支えている。
その手は、自分の肩をしっかりつかんだままになっている。
顔が近づきすぎたのと、彼の手が体に触れたことの両方が恥ずかしくて、心臓が狂ったように鼓動を刻む。

ドキドキする。顔がカーッと熱くなる。
どうすることも出来ないまま、サファイアの瞳を見つめるしかない。

そのうち強い力が体を押し上げてくれて、やっと地面に足が着いた。

キャンディは気が抜けたようになってアンソニーの隣にしゃがみこみ、コホンと咳払いをした。

「ケガはない?」

起き上がってタバコの火を揉み消すと、紙切れに包んで内ポケットにしまいこんだ。

「驚いたわ。あなたがタバコを吸うなんて・・・」

赤い顔のまま、うつむき加減で言うキャンディ。

「別におかしくないさ。もうじき23だぜ。タバコも吸えば、酒だって飲むよ」
「まあ、お酒まで!」
「不思議?」
「ええ、すごく。だって、あなたにそんなイメージないもの」

目を白黒させるキャンディに、アンソニーは参ったなという顔をする。

「僕はいつまでもバラの門の王子様じゃないんだよ」

そう聞くなり、なぜかキュンとした。
アンソニーには、いつも優等生で潔癖な印象しかないから、酒やタバコとは無縁と思い込んでいたのだ。
だが、彼だって普通の男性。
男なら、そういう嗜好を持っているとしても、別に不思議ではない。

「ガッカリした?」
「ううん。大人になれば当然だもの」
「大人にならないうちから、やってたよ」

ウィンクする彼を見て、衝撃は二重になった。

「まあ、いけないアンソニーね!」

キャンディはふふっと笑う。

「まだ進学校にいた頃・・・17だったかな。ブライアンと、もう一人の奴にそそのかされて、初めて酒とタバコを覚えた」

彼は立てひざをついたまま、懐かしそうに空を仰ぐ。
ブライアンとジークフリートのあどけない顔が、脳裏いっぱいに広がった。

「ブライアンって、ジェフ先生の弟さんでしょ?」
「そうだよ。モニカの兄貴でね」
「知ってるわ。去年、うちの病院でお会いしたことがあるのよ。帰省するついでに立ち寄ったとかで」
「え?あいつに会ったの?」

アンソニーは意外だという顔でキャンディを見つめた。

「あ・・・私ったら、余計なことを言っちゃったかしら。ホントにおしゃべりだわね」
「初耳だったからびっくりしたよ。どうせ、僕の悪口でも言ってたんだろ?」

キャンディは真顔で首を横に振る。

「とんでもない!あなたのことを、とても心配してたわ」

それ以上は話すことが出来なかった。
テリィと婚約する前に、もう一度アンソニーのことを考えてくれないか──ブライアンにそう言われたとは言えない。
幸い、アンソニーも根掘り葉掘り聞いてこないから、キャンディは安堵した。

「あいつは心配性なんだよ。まるで世話女房って感じでね」
「でも素敵な人だわ。栗色の髪にヘーゼルの瞳で。雰囲気が、ちょっとステアに似てる?容姿じゃなくて、なんかこう・・・あったかい感じがするところとか」
「君もそう思う?ステアが、もっとイケメンになった感じだろ?」
「まあアンソニーったら。ステアが聞いたら怒るわよ」

キャンディは思わず吹き出した。

「いいわね~、あんなにいいお友達がそばにいて」

アンソニーはすかさず言う。

「君にだっているじゃないか。とても大切な人が、すぐそばに」

瞬間、ギクッとした。
青い目をのぞきこむと、真剣な表情で正面の茂みを見すえている。
その様子に胸が痛む。

「テリィとは、どうなってるんだい?」

いつまでたっても反応がないので、アンソニーは優しく切り出した。
核心に触れられたら、涙がこぼれてしまうかもしれない。
だからキャンディは必死でこらえ、しぼり出すような声で言った。

「彼、悩んだままなの。仕事が順調じゃなくて・・・」
「知ってるよ。レイモンドって奴に押され気味なんだろ?」
「ええ。すっかり自信をなくしてしまって。私じゃあ、彼の相談相手になれないのよ。だってあの世界のこと、何も知らないんだもの」
「無理しなくていいんじゃない?」

草をむしって放り投げながら、アンソニーは初めてキャンディの横顔をまともに見た。
見つめられた彼女は、ハッとする。

「別に彼は、君に相談を持ちかけてるわけじゃないと思う。下手なアドバイスなんかしなくていいさ。それは劇団の仲間たちの役目。だからキャンディにしか出来ない方法で応援するのが一番じゃないかな。僕がテリィだったら、きっとそう望むと思う」

サファイアの瞳に、柔らかい笑みが浮かんだ。
その笑顔があまりに奇麗で、もう少しで泣き出すところだった。

「ありがとう・・・」

それだけ言って唇を噛みしめると、キャンディは、はぐらかすように話題を変える。

「ねえ、どうしてレイモンドを知ってるの?演劇に興味あるわけじゃないんでしょ?」
「周りの女子学生たちが騒いでるから、自然と覚えちゃったんだよ。この前、ボストンでもストラスフォードの公演があったし」

まさかそのとき楽屋へ乗り込んで、テリィを一喝したとは言えない。
だからそこで話をやめた。
キャンディはキャンディで、彼が何気なく発した「周りの女子学生」という言葉が、引っかかってならない。

(その女子の中に、誰か好きな人がいるの?あるいはもう、お付き合いしてるとか・・・)

胸の中だけで思っているのが辛すぎて、キャンディはついに「彼女」の名を口にした。

「フェリシアさんも、レイモンドが好きなの?」
「いや、彼女は役者に熱を上げるタイプじゃない。もっと身近に理想の男性がいそうだし」

そう聞いて、益々落ち込んだ。
心臓に千本の矢を射られた心境だ。

(身近な理想って、あなたのこと?)

切ない女心になど全く気づかず、アンソニーはくすくす笑っているから、キャンディはとうとう泣き顔になった。


「ひどいわ!どうしてこんなときに笑ってられるの?信じられない」

いきなりご機嫌斜めになられたから、アンソニーは焦りまくる。

「何か気に障るようなことしちゃったかな」
「したわよ!」

益々わからず、目を白黒させるばかり。

「鈍感なのね。もう知らない!」
「鈍感だって?」

ここまで責め立てられ、さすがのアンソニーもムッとしてしまう。

「悪かったな、鈍感で。なら言わせてもらうけど、君こそどうしたんだい。急に泣き顔になって、わけわかんないよ。僕が何したって言うのさ」

ついに耐えられなくなり、キャンディの頬に涙がひとしずく伝った。
アンソニーは息を呑む。

「フェリシアさんとあなたは・・・お付き合いしてるの?」

はっきり言われ、やっと彼女が何にこだわっているのかわかった。

「なんだ、そんなことを気にしてるの?バカだな~、フェリシアはただの友達、っていうか、『同志』だよ。同じ研究室だし」
「でも、奇麗な人なんでしょ?」

頭が真っ白になって、言っていることがわからなくなってきた。
よく考えてみたら、アンソニーが誰を好きになろうが、誰と付き合おうが、とがめる権利など一切ないはず。
だって自分は、もう婚約しているのだから。
フェリシアとの仲を疑って、つまらない質問をすること自体、どうかしている。
だがその理屈さえ忘れてしまうほど、キャンディは混乱していた。

「会えばわかるさ。フェリシアが、そういう対象になるような女性じゃないってことが」

困惑気味に言うアンソニー。
だが同時に嬉しかった。
今でもこんなに、涙をこぼすほど、キャンディが自分を気にしてくれていることが。
いとおしさを抑えきれず、柔らかい頬に手を伸ばそうとした。
今流れたばかりの涙を、ぬぐってやりたかった。

そのときだ。
背後に人の足音が迫り、次の瞬間、目の前に息を切らしたアーチーが現れて声高に叫んだのは。

「良かった~、ここにいたか!ちょっとアニーを診てくれないか?またムカムカするって言うんだ。やたらに薬はのませられないし、パーキンス先生は外出中だし、困ってたんだよ。こういうときは、まさに救世主だな。頼んだよ!ハーバードの大先生」

アンソニーは苦笑いする。

「そんなにおだてるなよ。たかが医学生じゃないか。大先生だなんて100年早いよ。アニーは多分心配ない。空腹のせいだろう。あまりひどければ制吐剤を投与するから。今、彼女は一人?」
「いや、母親が来てる。いつも午後になると顔を出すんだ」

アーチーは肩をすぼめ、ため息を漏らしたあと、二ヤリと笑った。
苦し紛れのその笑みを見ただけで、彼が姑に手を焼いているのがよくわかる。
アンソニーは立ち上がってズボンの埃(ほこり)をパンパン払い、読みかけの医学書を拾い上げて言った。

「お前も大変だな、いろいろと」

アーチーは半分苦しそうに口角を吊り上げ、薄い笑みを浮かべた。

「私も行くわ。手伝いが必要でしょ?」

キャンディもあわててた立ち上がったが、アンソニーは片目を閉じた。

「いや、大丈夫だよ。君はここに残って、アーチーの話し相手をしてやって欲しいな」
「え?」

その隣で、アーチーも怪訝(けげん)な顔をする。

「ここに残るって・・・僕が一緒に戻らないわけにはいかないだろ?」

アンソニーはふふっと笑い、「お前が来たって、どうにかなるわけじゃないよ。アニーにはブライトン夫人がついてるんだから心配ない。たまには休め。気をつかわずにさ」とアーチーの肩を叩いた。

「悪いな」という感謝の言葉を背中で聞きながら、アンソニーは足早にアニーの部屋へ向かった。



その後ろ姿をいつまでも見つめ、キャンディは立ち尽くす。
アンソニーが視界から消えたあとも、彼が歩いていった方角に視線を投げている。
こんなシーンを見たら、誰でも簡単に見抜いてしまうだろう。
今でもキャンディは、アンソニーが気になって仕方ないのだと。忘れたくても忘れられないのだと。
アーチーは優しい笑みを浮かべ、伏目がちに言う。

「もしかして、ニューヨークへ帰れなくて困ってる?」

図星を指され、声も出ない。

「アンソニーの看病をしてくれって、しつこく頼んだのは僕だもんな。責任感じるよ」
「ううん、意志の弱い私がいけないの。アーチーは悪くないわ。でも正直言って、めげてる。だって、アルバートさんにもアニーにも、『早く帰ったほうがいい』って釘を刺されたから」

やっぱりねという顔をし、アーチーは大きく息を吸って吐き出した。

「そりゃあ、二人の意見はもっともだよ。一刻も早くテリィのもとへ帰るのが常識だろう。でもね、僕はちょっと違う」
「どんなふうに?」

彼がなんと言ってくれるのか、一縷(いちる)の望みを託す。
エメラルドの瞳が、好奇心でいっぱいになった。
アーチーは慎重に言葉を選びながら、思っていることを伝えようと努力した。
誤解を生まないように。
そして、変な方向にキャンディを煽(あお)らないように。

「この際、はっきりさせたほうがいいと思うんだ。なぜいつまでもアンソニーに惹かれるのか。それに、はっきり自覚して気持ちを整理したほうが、今後のためにもなるんじゃないかな。でないと君は、これからあいつに会うたびに心が揺れて、苦しむことになると思う。テリィと結婚したあともね」
「そう?」
「当然さ。アードレー家と縁を切らない限り、また顔を合わせる機会は絶対あるから。今回みたいに」

アーチーの言うとおりで、聞いているうち、段々怖くなってきた。
アンソニーへの想いを秘めたまま結婚しても、本当の幸せが訪れるとは思えない。
ならば、自分の本心ととことん向き合い、何がアンソニーへと駆り立てるのか、納得するのが一番だと思う。

「このままニューヨークへ帰ったら、逃げたも同然ってことね?」

救いを求めるような目で見上げると、アーチーは力強くうなずいてくれた。

「死んだと思ってたアンソニーが、実は生きてた。しかも立派な若者になって。その意外性にとりつかれたから惹かれる──君の気持ちがその程度だとしたら、とうに、どうでも良くなってるはずさ。だって再会して二年も経つんだぜ。物珍しさだけから好きでいられる賞味期限は、とっくに過ぎてる。それでもまだ、これほど好きなのは、『テリィにはなくてアンソニーにしかないもの』があるからだよ。そう思わない?」

テリィにはなくて、アンソニーにしかないもの──キャンディは考え込んだ。
それは優しさだろうか。
確かにアンソニーは、いつも包み込むように優しくしてくれる。
その眼差しも、その微笑みも、限りなく温かい。
まるで「おひさま」。
でも、それならテリィだって同じはず。
少々口は悪いが、心の中はアンソニーに負けないくらい、優しくて温かい。
だから、これでは答えにならない。

仮に二人の違いを思いついたとして、そのとき自分はどうするのだろう?
それでもまだ、テリィのフィアンセでいられるのだろうか。
思った途端、胸騒ぎがして、それ以上考えたくなくなった。

「キャンディにとっては永遠のテーマだな。気が重くなるだろうけど、勇気を出して答えを探してみるといいよ。その結果、気持ちに変化が起きたとしても、それはそれで運命じゃないかな」

マリンブルーの瞳は爽やかに澄み渡り、まるで射抜くようにキャンディを見つめた。
だが悪い気はしなかった。
彼が自分の幸せを心から願ってくれるのが、痛いほど伝わってきたから。

「この前も言ったけど、僕はいつもキャンディの味方だよ。だからこそ、本物の幸せをつかんで欲しいんだ。ごまかしや妥協じゃなく」
「ありがとう。よく考えてみるわ。なるべく早く答えを出せるように」
「それを聞いて安心した。じゃ、僕はアニーのところへ行くから。放っておくと、あとで仕返しが怖いからね」

アーチーは笑いながら片手を挙げ、木立の中へ消えていった。