キャンディキャンディ長編二次小説(バラの薫る季節に) -31ページ目

キャンディキャンディ長編二次小説(バラの薫る季節に)

アンソニーメインの二次創作・ファンフィクション「バラの薫る季節に」を掲載しております。

フェリシアは産婦人科の研修中だが、二週間後には循環器科へ行く予定になっていた。
そうすれば、ローザを担当するアンソニーと頻繁に顔を合わせることになろう。
それが嬉しくもあり、怖くもあった。

なぜそんな気持ちになるのだろう?
彼と出会ってから二年余の歳月が流れていたが、こんなことは今までになかった。
ただ一つはっきりしているのは、すべて「あの日」から始まったということ。

あの日──アンソニーと唇を重ねた真夏のバラ園。

あの瞬間のあまやかな衝撃を、今も忘れられずにいる。
なぜならそれは、彼女にとって初めての出来事だったから。
肩を抱き寄せた手も、近づけた顔も、触れた唇もすべて、アンソニーが「初めての男性」だったのだ。
おまけに彼は、エドワードやアルバートに似ている。
かつて心惹かれた人に酷似しているアンソニーがファーストキスの相手になったことが、「運命」に思えたのだろう。

気になって仕方ない理由が、もう一つ。
それは、アンソニーが心底キャンディを想っていること。
大切な人のためなら、自分が泥をかぶってもかまわない──その一途さが胸をしめつけた。

(私ったら、どうしちゃったの?今までみたいにアンソニーの顔をまともに見れないわ。このままじゃ変だと思われる。もし彼がこの気持ちに気づいたら・・・?)

無意識のうちにため息が漏れ、誰かに見られはしないかと、あわてて周囲を見回した。




来月の舞台に備えて通し稽古が終わると、役者たちは互いをねぎらいながら、控室に消えていく。
その中に一人だけ、マスコミに囲まれ、まぶしいほどのフラッシュを浴びる人物がいた。
トップスターのレイモンドだ。
彼はこれから、いくつもの取材に応じねばならない。

それはいつも繰り返される光景。
他の団員は、「自分はお呼びでない」と悟っているから、さっさと現場を離れる。
だが珍しくテリィが、物欲しそうに、周りをキョロキョロ見回していた。

何人かの団員が、馬鹿にしたように言う。

「無駄だぜ、やめとけよ。インタビューの相手はあんたじゃなくて、もう一人のトップスターなんだからさ」
「そういうこと、そういうこと。記者さんたちの目的は、あの金髪小僧だけで、俺たちなんかに用はないらしいぜ」

吐き捨てるように言うと、最後の一人が、「全く面白くもねえ。若造のくせに一人で目立ちやがって」と、レイモンドを睨みつけた。

テリィは一瞬、話題の若者に視線を投げたが、興味なさそうな顔で突っぱねる。

「あいつのことは、どうでもいい。それよりシェリルを知らないか?稽古中から姿が見えないようだけど」

聞くなり、男の一人がニヤニヤした。

「おいおいトップスターさんよ、今日が15日だってこと、忘れてるんじゃないか?」

テリィより少し年上で、キャリアも長い地味な役者だ。
これと言って取り柄がないから、主役を取るなど、夢のまた夢という風貌。

「15日?どういう意味だ」

イラついて聞き返すと、男は又笑う。

「シェリルはなあ、毎月15日になると、どんなに忙しくても稽古を早めに切り上げて消えちまうんだよ。どこへ行くのか知らないが、有名な話だぜ。あんた、ずっと相手役だったのに知らなかったの?」

困惑するテリィに、男は肩をすぼめた。

「まあ仕方ないか。婚約者にぞっこんなんだろ?シェリルなんか、どうだっていいもんな」

薄笑いを浮かべて去っていく後ろ姿を、思い切り張り倒してやろうと思ったが、拳を握りしめて耐える。
こんなところで問題を起こしたら、キャンディに心配をかけるからだ。

それにしても、毎月決またっ日にシェリルがどこかへ雲隠れするというのは、初耳だった。

あの男が言うとおり、今まで全然気づかずにいた。

そういえば、いつだったか、急に用事を思い出してシェリルを呼び止めようとしたのに、もういなかったことが何回かあった気がする。
そのときは、さして気にも留めなかったのだが。

(15日に早退するのは、なんのためだろう?)

いよいよ気になってきたが、なぜそんな気分になるのか、自分に説明できずに苛立った。




もうすぐ新学期を迎える頃、思いがけない人物が医局に戻り、教授陣も学生たちも沸きに沸いた。
忌まわしい世界大戦が昨年末にやっと終結したとあって、ハーバードの双璧をなすハインリヒ・フォン・キルヒアイゼンが、ボストンへ戻ったのである。

この六月、ドイツと連合国の間で講和条約が調印され、ベルサイユ体制と呼ばれる新しい国際秩序が確立した。
その結果、敗戦国であるドイツは、かなりの苦境に立たされることになった。
すべての植民地を失い、軍備を制限され、多額の賠償金を課せられ、ゲルマン民族はかつて経験したことのない敗北感を味わっている。
そんな中、キルヒアイゼンは果敢に戻ってきた。
どうしてもという大学側の熱烈な要請があったのは勿論だが、何より、ブライアンやアンソニーと再会したいがため、もう一度アメリカの地を踏んだのだ。

尊敬する教授が帰還した知らせを耳にし、二人は喜び勇んでキルヒアイゼンの研究室を訪ねた。
勿論九月からは、ここの所属になるのだ。
ブライアンは興奮しながら部屋のドアをノックする。
中から「入りたまえ」という声がしたので、二人は顔を見合わせて息を呑む。
ドアをゆっくり開けると、キルヒアイゼンは満面に笑みを浮かべた。

「やあ!二人とも早速来てくれたね。また会えて本当に嬉しいよ」
「それはこちらのセリフです。ご無事に戻られて何よりです」

感激で目を潤ませるアンソニーとブライアン。
それからしばらく三人は、会えなかった年月を懐かしんで、思い出話に花を咲かせた。

「そういえばブライアン、君はまだ独り身か」
「はあ?」

あまりに唐突なので、間の抜けた返答をしてしまった。

「ははは、こりゃ失礼。もしもまだ、娘のアマーリアを気にかけてくれているとすれば、心配は無用だと言いたくてね」

「アマーリア」という名を聞いた途端、ヘーゼルの瞳は、何かに取り付かれたように大きく開いた。
同時にアンソニーもドキッとした。

「あれも結婚して、今年で五年になるよ。君との仲を引き裂いた私を、さぞやひどい父親だと思ってるだろうが、予想通りドイツとアメリカは敵国同士になった。だからあのときの決断は間違っていなかったと思いたい。だがね、やはり娘は君のことを忘れられんようだよ、今でもね」

紳士の言いたいことがわからず、ブライアンは不思議そうに見つめる。

「去年やっと男の子が産まれてね。アマーリアは、なんていう名をつけたと思う?」
「さあ・・・」
「『ブライアン』だよ。『ブライアン』!いいかね?ドイツ人なのに、だよ」

豪快に笑う教授に付き合って、アンソニーもはじけた笑い声を出したが、ブライアンは遠くを見るような目で、「そうですか」とつぶやくだけだった。
その様子に気づいたアンソニーは、すかさず気をきかせた。

「でもお嬢さんは幸せなんですよね?ご主人とお子さんに囲まれて」
「勿論だとも。温和で実直な亭主に愛され、片田舎で静かに暮らしてるよ。ブライアンによろしくと言ってた」

そう言ってキルヒアイゼンは若者の頭に手をやり、栗色の髪をくしゃくしゃにした。

「アマーリアのことは、出来るなら、青春の一ページに刻んでやって欲しい。だけどね、君には将来があるんだよ。いつまでも過去に縛られてないで、新しい恋を見つけるのも大切だ。時は二度と戻ってこないんだからね」

ブライアンに向けられたその言葉は、同時にアンソニーを激しく揺さぶり、息苦しく、切なくさせた。

──過去に縛られていないで、新しい恋を見つける。
過ぎ去った時は、二度と戻らない──

(教授に言われて初めて実感したよ。ブライアンにとってのアマーリアは、僕にとってのキャンディなんだ)




それから一週間もしないうちに新学期が始まり、アンソニーとブライアンのオーベン(指導教授)は、ジェンセンからキルヒアイゼンへ変わった。
それを機に、臨床研修先が外科へ移る。
ローザの担当は、フェリシアが引き継ぐことになる。
彼女は引き続き、ジェンセン教授の研究室に残るからである。

今日は、フェリシアを紹介するために、アンソニーとブライアンが付き添って、ローザの病棟ヘ出向く。
主治医のジェンセンも同席することになっているから、少し緊張気味の面持ちで。

「君らしくないな~、フェリシア。やけにおとなしいじゃないか。もしかして、新しい患者さんを怖がってる?」

いつもうるさいくらいにしゃベリまくる彼女が、貝のように口を閉じているから、ブライアンが冷やかした。

「そんなことないわ。変に気をまわさないで」

怒ったような顔をする彼女に、アンソニーは心配顔で言う。

「ローザさんは扱いが難しい患者だったらしいけど、今は違う。優しくて気さくな人さ。だから気にすることないよ」

彼の笑顔を見た途端、フェリシアは顔を赤らめ、たどたどしく「ご忠告ありがとう」と返した。

なんだかとても恥ずかしそうに。


そのあとは、また黙り込んでしまう。

今までとはまるで別人だ。
アンソニーとブライアンが、やれやれという顔をしたとき、フェリシアは思い出したように、「あ・・・いけない!忘れ物しちゃったわ。悪いけど先に行ってて。すぐ追いつくから」と言うなり、小走りで去っていく。
あまりに急な出来事に唖然として、ブライアンは「なんだい、ありゃ?」と眉をひそめた。

「彼女、最近おかしいと思わないか?会っても目をそらして逃げるし、話しかけても上の空だ。どうもあれ以来、避けられてる気がするんだなぁ」

アンソニーは腕組みをして考え込む。

「あれ以来って?」
「ほら、シカゴで芝居を打ってもらっただろ?」
「ああ。キャンディの前で、わざとキスして見せたっていう、あれ?」

アンソニーはうなずいた。

「やっぱり軽率だったよ、女性にあんなことするなんて。いくらフェリシアが豪胆だって、いい気はしないだろうし」
「豪胆だからこそ、かえってウブだったりして」

ウィンクするブライアンに、アンソニーはギクッとした。

「もしかして、それがファーストキスだったりしたら、罪なことしたよなぁ、アンソニー」
「おどかすなよ!そんなわけないだろ」
「どうして言い切れるんだ?彼女、あのとおりガサツで、男に縁がなさそうだから」
「やめろってば!」

聞くに堪えられず、アンソニーは大声で相棒を制した。

「ははは、冗談だよ。あれだけの美人なんだ、恋人の一人や二人、いただろう。それに君のことだって嫌っちゃいないさ。避けられてるような気がするだけじゃない?それか、彼女の気まぐれか・・・。不機嫌なのは、もしかして生理中だからかも」

自分で言って吹き出すブライアンが一瞬腹立たしくなったが、それも一理ある。
体調が悪くて気分に波があるなら仕方ない──そう思うと、気が楽になった。



ジェンセン教授にまとめてもらい、アンソニー、ブライアン、フェリシアの三人は無事に引き継ぎを終え、ローザは新しく担当になる女子学生に頭を下げた。

「女性がこの世界でやっていくには、まだまだ大変でしょう?尊敬しますよ」

ローザが穏やかに笑うと、フェリシアは少し照れながら、「いいえ、そんなこと・・・」と微笑み返した。
エメラルドの視線は、教授とブライアンとローザには向けられるのだが、なぜかアンソニーの手前まで来ると止まり、違う方向に泳いでいく。
彼女が自分を見ようとしないことが、アンソニーを益々不安にさせた。


皆が病室を出たあとも一人だけ残り、アンソニーはローザを元気づけた。

「正式な担当は外れましたが、もし良ければ、ちょくちょく顔を出します。お話ししたいんで」

ベッドサイドの花瓶に活けてあるバラを整えながら、アンソニーは微笑む。

彼はいつも精一杯尽くしてくれる。

その真心ゆえに、ローザの胸は余計に痛んだ。

「あの・・・先生、嘘をついてたことを謝らなきゃいけませんわ。もし許してくださるなら、是非これからもいらしてください」

申し訳なさそうに言う婦人に、「嘘って?」と、優しく問い返す。

「息子は死んだと申しましたでしょう?実は生きてるんです。産まれてすぐに、イギリスの貴族へ養子に出しましたの。私は反対したんですが、子供の父親が無理やり。あの人、血筋には相当こだわってましたから。子供を手放してしまった罪悪感をぬぐうため、私はあの子が死んだと思うことにしたんですよ」
「じゃあ、息子さんは、今もイギリスに?」
「ええ、多分」

細い肩が、いつにもまして寂しげに見えた。
本当の親子なのに、離れ離れに暮らさなくてはならない事情を思うと、他人事の気がしない。

互いに名乗りをあげているのだろうか。
いや、それ以前に、息子は実母の存在を知っているのだろうか。
聞いてみたかったが、あまりに気の毒で言葉にならなかった。

「もう一つ白状しなきゃいけないことがあります。私はそのあと、別の男性と結婚して──それが前夫のマイケル・ヘイワードなんですが──彼との間に、娘が一人おります。今はボストン郊外のセーラムに住んでますわ。驚いたでしょう?」

ばつが悪そうなローザを見て、アンソニーは思わず、「じゃあ、なぜ家族がいないなんて言ったんですか?」と大声を上げてしまった。

「そうですわね。不思議に思われて当然だと思います。でもこのお話は、どうか次の機会に・・・。とても長くなりそうなので」

目を伏せる彼女を見て、それ以上は言えなかった。
きっと深い事情があるのだろう。
悲しみ色に染められたローザの過去に思いを馳せたとき、なんといろいろな人生があるのだろうと、思わずにいられなかった。
幸せいっぱいの生活などありえない。
もしあったとしても、それは一瞬の輝きで、長くは続かないだろう。
皆それぞれにの肩に、他人には言えない重荷を背負って、黙々と生きている。
それが人生なのだと、アンソニーはしみじみ思った。




九月も半ばに入り、秋の気配が濃くなってきた頃、オウバートン家でメイベルのバースデーパーティーが開かれることになった。
アンソニーとブライアン、それにパティも招待された。
アンソニーとブライアンは九月生まれだから、一緒に祝おうというレオノーラの配慮もあった。

久々に病棟実習から解放された二人の若者は、寮を出る前に、互いの服装をチェックし合う。

「おい、ネクタイぐらいしてけ。シャツにジャケットだけじゃ、ラフすぎるぜ。それに、もっときちんと髪をセットしろよ」

小姑のように口うるさい相棒の魂胆がわかっているだけに、ブライアンは面白くない。
パティが来るとき、アンソニーはいつもこうなのだ。
よっぽどパティと自分をくっつけたいのだろう。
それが益々気に食わなかった。

「このままで十分さ。たかが15歳の女の子相手だろ?シャレていく必要はないと思うけど」

意地悪そうにウィンクするブライアンを見て、アンソニーの負けん気が火を噴いた。

「パティが来るじゃないか!彼女は年頃のレディなんだ。ちゃんとして行って損はないと思う」
「そんなに言うなら、君がタキシードでも着てけば?」

ああいえばこういい、二人とも素直になれない。
なかなか白黒つかない。

「あのなぁ、この前もキルヒアイゼン教授に言われたろう?いつまでも過去にこだわってないで新しい恋を見つけろって。僕は、君とパティが似合いだと思うから勧めてるんだ」
「あいにくだな。俺のアマーリアは金髪に碧眼だぜ。ぬけるように白い肌で、目を見張るほど美人で。しかも優しくて聡明だった。彼女以上の女でなきゃ認めない。少なくともパティはダメだ。栗色の髪の、地味なメガネ女には興味ないね」

一刀両断にするブライアンは、間髪を入れず、もう一撃食らわした。

「それにさ、さっき言ったこと、そっくりそのまま返すよ。いつまでも過去にこだわってないで、君こそ新しい恋を見つけろ!」

ムッとしたアンソニーに、「さあ行くぞ」と合図すると、ブライアンはラフな格好のまま廊下へ飛び出す。
玄関ホールへ続く階段を駆け下りていくと、後を追ってくるアンソニーが、思い切りぶつけたきた。

「ちょっと待てよ!地味なメガネ女だって?よくもそんなことが言えるな。君が人を外見でしか判断しないヤツだったなんて、がっかりだよ。一体パティの何を知ってるって言うんだ?そういうことは、少しでも付き合ってから言って欲しいね」

階段の途中で立ち止まり、ブライアンは振り返ってやり返す。

「じゃあ聞くけど、君は彼女のこと、よく知ってるのか?」

即答できず、アンソニーは口をつぐむ。

「ほらみろ、答えられないじゃないか。知りもしないのに、やたらくっつけようとするな。君のそういう態度がなけりゃ、俺だってパティを色眼鏡で見たりしない」
「そう言うけど、直観でわかるんだよ。パティは本当にいい子だ。きっと君の心の傷を癒してくれる」
「いい子だからうまくいくって?あのな、人が人を好きになるのに、理由なんかいらないんだよ。誰に言われなくたって、自然に心が惹かれたら、それが運命だと思う。君だってそうだろ?なんでわざわざフィアンセがいるキャンディなんかを、いつまでも後生大事に思ってるんだ。理由なんかないはずだ。恋ってそういうものなんだよ。だからパティを俺に押し付けるのはやめてくれ」

きっぱり言い切ったブライアンに対して、返す言葉はなかった。
言われてみれば、そのとおり。
好きだと思う気持ちは、いつだって自然に沸き起こる。理屈なんかない。
「いい子だから付き合ってみたら?」とは、最大の禁句であるような気さえしてきた。

「ごめん。出すぎたマネをしたかも」

しょげ返るアンソニーを見て気の毒になったのか、ブライアンも素直に謝った。

「俺もちょっと言い過ぎたよ。この前アマーリアの話を聞いたばかりだから、過敏になってたかもしれない」

照れくさそうな笑みにつられて、アンソニーも笑う。

「お互い、不器用だよな。早く別の幸せに目を向ければいいのに、それが出来ない」
「全くだ」

似た者同士は、もう仲直りして寮の玄関をぬけ、愛用の自転車にまたがると、ビーコンヒルへの道を急ぐ。
秋の空はどこまでも高く、青く澄み渡っていた。




オウバートン家に着くと、メイドが出迎え、客室に案内してくれた。
レオノーラとメイベルは、もう少ししたら来るとのことで、通された部屋で主(あるじ)が現れるのを待つ。
壁はすべてアイボリーに統一され、大きな窓から、午後の陽が燦燦(さんさん)と差し込んでいる。
何点も飾られているアンティークの置物が、持ち主の品の良さを物語っていた。
これは全部、夫人の趣味だろうか?

程なくしてドアがノックされると、今度はパティが入ってきた。
「こんにちは」と微笑む彼女は、胸に豪華なレースがあしらってある白いドレスを着ていた。
実に清楚で、この部屋の色調にピッタリだ。
人目を引くような美人ではないが、内側からにじみ出ている品格に、二人の男は息を呑んだ。

「今日は又、格別お似合いですね、そのドレス」

アンソニーは思わず本音を口走ってしまう。

「あら、あなただって、とても素敵ですわ。白いシャツに、レジメンタルのタイ」と、パティは顔を赤らめる。

「ブライアンのシャツも素敵!そのスカイブルーは、今日の青空みたいですわね」

アンソニーの親友をフォローするのも、彼女は決して忘れない。
たとえノータイの無作法者であっても。
ブライアンは、いささかばつが悪くなり、黙って外の景色を眺めていた。

「ところで今日は、フェリシア、来ないんですか?メイベルやレオノーラ夫人が、是非にって言ってくれたんだけど」

心配そうに尋ねるアンソニーに、パティは少々暗い声で答える。

「何回も誘ったんですよ。でも、忙しいからダメって」
「忙しい?それはおかしいなぁ。だって今日は、彼女も休みのはずなんだけど」

ブライアンが会話に割って入る。

「もしかして僕のせいかな。最近彼女に嫌われてるみたいだから」

落ち込むアンソニーに、パティは「あの・・・」とおもむろに切り出す。

「つかぬことを伺いますが、この前、キャンディから来た手紙に、あなたとフェリシアが・・・」

そこまで言って、口をつぐんだ。
いくらアンソニーの親友とはいえ、そばにブライアンがいるのに、こんな話題を気安く出していいものか迷ったからだ。
いつの間にか窓際に移動して椅子に腰かけたブライアンを、ちらっと見る。

「ああ、あいつなら気にしないで。僕らの間に秘密は一切ないですから。なんでも話してくれてかまいませんよ。なあ?」

相棒は、「ま、そんなとこか」と気のない返事をする。
その態度がパティの目には、あまり好ましくなく映ったが、とりあえず先を続けた。

「キャンディったら変なことを書いてきたんですよ。アンソニーとフェリシアは、本当に付き合ってるのかって。絶対確かめて欲しいって」

アンソニーは顔を雲らせ、「それで君は、なんて返事したの?」と尋ねる。

「いいえ、まだなんとも。だから本当のことを教えていただけません?私の知ってる限りでは、フェリシアは誰とも付き合ってないと思うんですが」

即答出来ず、アンソニーは苦しそうな表情になった。

「すみません。その件は、またあとで。話が長くなりそうだから」とお茶を濁した。


気まずい空気を盛り上げるため、アンソニーは用意してきたバラのブーケをパティに差し出した。
途端、飛び切り嬉しそうな顔つきに変わる。
それは奇麗にアレンジされ、籐(とう)の籠(かご)に収まっていた。

「まあ!サーモンピンクのミニバラだわ。この籠もリボンも、なんてかわいいの。これは全部アンソニーが?」

照れて黙り込む相棒に代わり、椅子から立ち上がってこちらへ歩いてきた栗色の髪の青年が茶化して言う。

「こいつの武器は、いつもバラでしてね。女殺しの名手だって、医学部じゃ有名なんです」
「ホントに?」

口をあんぐり開けるパティに、「ホントなわけないでしょ?ブライアンの言うことなんて、話半分に聞かないと、えらい目に遭う。そういうコイツにだって、武器があるんですよ」

アンソニーは、相棒が持参したメイベルの肖像画を取り出すと、パティの前で披露した。

「これ、バースデープレゼントなんです。どうです?似てるでしょ」

差し出された絵があまりに見事なので、思わずため息が漏れた。
額の中から、今にもメイベルが飛び出してきそうだ。
それくらい似ている。まるで本物だ。

「似てるなんてもんじゃないわ!これほどリアルな絵、見たことありません。こんな素晴らしい才能の持ち主だったなんて」

尊敬の眼差しを向けられ、さすがのブライアンも悪い気はしなかった。

「ね?意外な特技でしょう?僕もいろいろ描いてもらいましたよ。自分の絵は勿論、父や母やアンジェラや。キャンディはまだだけど」

恥ずかしそうに鼻をこすると、急に思いついたように、「そうだ!ステアだ。ステアを描いてもらおうよ。なんで今まで気づかなかったんだろう」と、アンソニーは小躍りする。

「ステアの絵を?」
「そうそう。彼の写真持ってない?ちょっと貸してくれれば、それを参考にするから。なあ、ブライアン?」

隣を見てニヤッと笑うと、相棒は面白くなさそうな顔をしていた。

(俺は何も言ってないぞ。なのに勝手に盛り上がって・・・。一体誰が苦労すると思ってるんだ)と言いたげに。

「写真なら、ここにあります。でも悪いわ。お忙しいのに」

だがアンソニーは、お構いなしにパティを煽(あお)る。

「遠慮しちゃだめだよ。コイツの腕は確かなんだから」
「本当にいいのかしら?じゃあ、これ。ステアの写真は、これ一枚しかないんです。戦地から送ってきて。もっと大きなものがあればいいんだけど」

そう言って、バッグの中に忍ばせてある写真を二人の前に出して見せた。

「ちょっと失礼」

ブライアンが手に取ると、そこには、大空を背景にし、微笑みながら敬礼する空軍パイロットの勇姿があった。
ダークブラウンの髪と虹彩を持つその若者の瞳は、痛いほど澄んで、真正面からレンズをとらえている。
透明感と悲壮感が入り混じり、見る者の心を揺さぶった。
勿論ステアを見るのは初めてだが、まるで旧知であるかのような錯覚を覚え、ブライアンは切なくなった。

「彼はアンソニーの親戚で幼なじみだろ?話には聞いてたよ。戦死したんだっけな。確か、フランス戦線で」

戦死という言葉に、パティの顔が一瞬引きつったのを、ブライアンは見逃さなかった。

「ステアはパティの恋人だったんだ。なのにあいつ、突然志願兵になって。その頃のことを僕は知らないけど、さぞや辛かったでしょう?」

瞬間、そのセリフがブライアンの心臓を射抜いた。

(恋人?この青年が、パティの?)

目の前の彼女は、涙を浮かべ、それを白いハンカチでぬぐっている。

(この地味な子に、涙を流すほど愛してる男がいたなんて・・・!)

それは新鮮な驚きであると同時に、衝撃だった。
一目で好青年とわかるステアと堅実なパティは、誰の目から見ても似合いのカップルだったに違いない。
もしかしたら、結婚の約束をしていたのかもしれない。
ステアの戦死は、それを一瞬にして、はかない夢に変えてしまったのだ。
パティはどうやって悲劇を乗り越えたのだろう。
それが気になって仕方なくなった。

すべては戦争のせいだ。
自分もアマーリアと引き裂かれた。
もう何年も前の傷が蘇り、パティの哀しみが自分自身の痛みと重なった。

「絵・・・描きますよ。いつまでに、って約束は出来ないけど、必ず」

ブライアンは穏やかな声で言う。
途端にパティの顔が、パッと輝いた。

「彼の写真、これ一枚しかないんですよね?責任を持ってお返ししますから、ちょっと借りてもいいかな?」

パティは赤くなった目で見つめながら、「勿論、どうぞ」と微笑んで見せた。

ブライアンが請け負ってくれたことにアンソニーは安堵し、心の中で何度もつぶやいた。

(良かったな、ステア。もうすぐ君の分身が出来上がって、いつもパティのそばにいられるようになるよ)