キャンディキャンディ長編二次小説(バラの薫る季節に) -29ページ目

キャンディキャンディ長編二次小説(バラの薫る季節に)

アンソニーメインの二次創作・ファンフィクション「バラの薫る季節に」を掲載しております。

「お疲れさん!もうあがっていいよ。あとのことは、モニカにバトンタッチすれば?」

午後の診察を終えてホッと一息つくと、クリストファーはサポート役の看護婦を振り返って言った。
今日は彼とキャンディのコンビだ。
最後の患者のカルテに書き込んだあと、それをキャンディに渡しながらクリストファーはウィンクする。

「先生こそお疲れ様です。今日もまた女性患者さんが沢山で、大盛況でしたね。先生と一緒にいると、ここが病院だってこと、ついつい忘れちゃいます」

冷やかされたお返しとばかり、若い医師はニヤリと笑った。

「それはごあいさつだな~。君のフィアンセには到底及ばないさ。いつも周りは若い女の子だらけだろ?もっともテリィの目には、そばかすの天使しか映ってないはずだけどね」

途端に赤くなる彼女に、クリストファーは念押しする。

「ホントにもういいから早くお帰り。これからレイチェルと会うんだろう?遅れたら悪いぞ」

厚意に甘えて一礼すると、キャンディは身支度を整え、待ち合わせのカフェに向かった。

ついこの前、電話をもらい、話したいことがあるからとレイチェルに誘われたのだ。
なんの話なのか、大体想像はつく。
きっと、「あのこと」だろう。




ウキウキしながら店のドアを開けて中に入ると、奥のテーブルに座っている彼女をすぐに見つけた。
レイチェルもキャンディに気づき、嬉しそうに手を振る。

この二人が、二年前の夏、アンソニーを巡って一騎打ちをしたなんて、とても思えない。
誰の目にも、昔ながらの友達にしか見えないだろう。
そんな和やかな空気が、あっという間にその場を包みこんだ。

「久しぶりね、キャンディ。忙しいところを呼び出しちゃって、ごめんなさい」

息を弾ませてやってきたキャンディは、席に着くなりレイチェルをじっと見つめる。

「いいのよ。とても会いたかったんだから。それより、今日はなんの話を聞かせてくれるの?私が想像してることと違ってたら許さないわよ!」

興味津々の緑の瞳が、いたずらっぽく揺れた。

「多分、あなたの予想どおりだわ」
「もう~!早く白状しちゃいなさいよ。あんまりじらすと、代わりに私が言っちゃうから」

ウィンクして下からのぞき込むキャンディに、レイチェルは頬を染めた。
そして恥ずかしそうに小声で言う。

「ジェフリーと結婚するわ。随分回り道したけど、やっとわかったの。私を一番愛してくれてるのは彼。そして私が一番大切に思ってる人も、彼だって」
「おめでとう!ついに・・・ね!その言葉をどんなに待ったことか。ホントに嬉しいわ。それで、お式はいつ?」
「来年の一月よ。内輪だけの小さなパーティーにしたいと思ってるの。勿論キャンディも来てくれるわよね?」
「当然よ!何があったって、絶対行くわ。ジェフ先生、きっと有頂天でしょうね」

レイチェルは答えなかったが、頬が益々赤みを帯びた。
彼女が今、どんなに満たされているか、手に取るようにわかる。
テリィとアンソニーの間で、いまだに揺れている自分から見たら羨ましい限りだ。

「幸せそうね・・・」

ポツリと漏らしたキャンディの顔に、一瞬、寂寥の影が差したのがレイチェルを圧迫した。

「もしかして、まだアンソニーを忘れられない?」

そのセリフが矢のように突き刺さる。
一呼吸置いてから、消え入りそうな声で「もう忘れたわ」とキャンディは言った。

「彼を好きだったことは忘れたけど、あの人の裏切りだけは今も忘れられない。きっと一生許せないわ」

脳裏には、シカゴの昼下がりが蘇る。
美しいバラ園。エメラルドの瞳をした、ブロンドの麗人。ペールグリーンの瀟洒(しょうしゃ)なドレス。

アンソニーに抱き寄せられた細い肩。重ねた唇──

あの日の悪夢が胸を揺さぶり、キャンディは耐え切れずに顔を覆う。

まともに話せるようになったのは、レイチェルが一部始終を聞いて、慰めてくれたときだ。

すべて話して重荷から解放されるまで、キャンディの涙が乾くことはなかった。

「私が言えるのは、たった一つよ。アンソニーを許せないのは仕方ないけど、せめて信じてあげて。だって彼は、絶対そんな人じゃないから。恋人がいるのに、わざとキャンディの気を引くようなことを言う人じゃない。あなただって、わかってるはずよ」

図星を指され、キャンディの眉がぴくっと動いた。
そう、本当はわかっているのだ。
なのに、憎むことでしか彼を忘れられない、弱虫な自分。
アンソニーを悪者にすることで、納得しようとしている卑怯な自分!

「知ってた?憎しみは愛情の裏返しなの。だからあなたが彼を許さない限り、アンソニーの影が消えることはないのよ。これからもずっと、恐らく一生」
「じゃあ、私はどうしたらいいの?どうやったら、あなたみたいにアンソニーを忘れられるの?」

レイチェルは優しく微笑む。

「素直になることよ。好きだと思う気持ちを、無理に殺そうとしてもダメ。流れに逆らわず、思うままに生きてみるの。もしあなたを本当に愛してくれる人がいるなら──アンソニー以上にね──そしたら自然にわかるわ。運命の男性(ひと)は、この人なんだって」
「いつまでたっても、運命を感じられなかったら?」
「そうね・・・テリィにそれを感じないなら、運命の人は別にいるのかもしれないわ」

キャンディは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
瞼(まぶた)の奥で、サファイアブルーの瞳をしたブロンドの若者が微笑む。
懐かしい笑顔。
手を伸ばして、その大きな胸に思い切り飛び込んでいきたい。
このままずっと、瞳を閉じたまま、夢の世界で酔っていたい。
目を開いた途端、残像が消え去るのが怖かった。

「あなたはジェフ先生に運命を感じたのね?アンソニーより深い愛を感じたのね?」

レイチェルは静かにうなずいた。

「出会ったときから、彼の愛に気づいてたわ。でも、それが運命だとは思いたくなかった。そのとき私はアンソニーを愛してたから。そしてずっと想い続けて、振られて片思いが終わったとき、ようやく何が真実だったのかを知ったの。もしかして、教えてくれたのはアンソニーだったかもしれない。彼ってそういう人よ」

ふふっと笑うレイチェルの声が胸を揺さぶった。
自分もいつか、今の彼女みたいにアンソニーを客観的に語れる日が来るのだろうか。
テリィと幸せな家庭を築いて、昔の思い出に浸れる日が来るのだろうか。
そんなことを思いながら、すぐそばにある亜麻色の髪を、いつまでも羨ましそうに見つめた。




機を同じくして、ボストンにジェフリーから一通の手紙が届いた。
電話一本で伝わる内容なのに、照れくさかったのだろう。
彼はわざわざ、手間のかかる手段を選んだのだ。

宛名には、ブライアンとアンソニーの両方が書いてあった。
寮へ帰るなり、舎監から渡された手紙を、ブライアンが先に読み、遅れて帰ってきたアンソニーに意気揚々と切り出す。

「兄貴のヤツ、長かった春に、いよいよピリオドを打つ気らしいぜ」
「ってことは、レイチェルと?」

目を輝かせるアンソニーに、相棒はにっこりうなずいた。

「で、いつなんだい?」
「来年の一月って書いてある」
「もうすぐだな。盛大にやるんだろう?」
「いや、教会で式を挙げたあと、馴染みのレストランを借り切って、簡単なパーティーをやるだけみたいだ。勿論、君にも来て欲しいって」
「当たり前だ!他ならぬジェフ先生とレイチェルの門出だぜ。呼ばれなくたって行くよ」

アンソニーは椅子の背もたれに寄りかかり、窓の外へ目をやった。
オレンジ色の空が広がっている。
日没だ。
こんなに早く帰宅出来る日は数えるほどしかないので、沈む太陽を眺めながら、久々に感慨に浸る。

その瞬間、ニューヨークのコロンビア大病院が脳裏に浮かんだ。
入院中、幾度となく窓から外を眺め、自分の運命に苦悩した日々。
あのときも、オレンジ色の夕焼けがまぶしかった。

思い起こせば、いつもそこにはレイチェルの笑顔があったっけ。
瀕死の重症から奇跡的に復活できたのは、彼女の献身があったからこそかもしれない。
あれから七年以上の歳月が流れ、レイチェルは他の男性の元へ嫁いでいく。
甘美な過去をたどるうち、ほんの少しほろ苦い思いに酔っている自分に気づき、アンソニーは苦笑した。




11月に入り、晩秋のうら寂しさがボストンの街を覆うようになった。
病棟実習の担当を外れてからも、アンソニーは必ずローザを見舞うようにしていた。

今朝も空いた時間をぬって病室を訪ねると、フェリシアと鉢合わせした。
彼女は今、ローザの担当なのだ。
女性同士で楽しそうに談笑しているところに顔を出すと、途端にフェリシアの顔が険しくなった。
「やあ!」と挨拶しても、ニコリともせず会釈するだけ。
ローザは不思議そうに二人の医学生を交互に見つめた。

「お加減はいかがですか?顔色はとてもいいですよ」

涼しげなサファイアの瞳を見上げ、ローザは、「おかげさまで、とても気分がいいんです。フェリシア先生が良くしてくださいますから」と微笑む。

当のフェリシアは何を思ったのか、見舞い客が腰かけるための椅子を移動させ、その上に乗り、戸棚のてっぺんを手で探っている。

「何してるの?」

アンソニーが尋ねると、ぶっきらぼうな声が返ってきた。

「棚の上に書類があるから・・・」
「なんだ。言ってくれればすぐ取るのに。椅子を踏み台になんかするなよ。落ちたら危ないだろ」

そう言ってひょいと手を伸ばし、難なく取って、「ほら」と差し出す。

「そういう場合、背の高い人に頼むのが一番ですよ」

ローザが悪気なく口をはさんだので、フェリシアは仕方なく、「ありがとう」とアンソニーに礼を言うしかなかった。
彼女が手にしているのは、ローザのカルテ。
なぜそんな物が棚の上にあるんだろう?
不思議に思って尋ねると、フェリシアは言葉少なに答えた。

「さっきジェンセン教授が上に乗せていかれたの。置く場所がなかったらしくて、棚の上に・・・」
「そうだったのか。もし君の手に負えないことがあったら、すぐ言って。協力するよ」

にっこり微笑み、上から視線を下ろすアンソニーは、フェリシアよりずっと長身だ。
負けず嫌いの彼女は、体格において男子に劣ることが許せないのだろう。
身長差を気にしているように見える。

「気づかいは無用よ。時間がかかっても、自分でやったほうが納得できるわ」

アンソニーと目すら合わせようとしない不自然な態度を見て、ローザはほんの少し、この女子学生の心の奥を垣間見た気がした。

(このお嬢さん、年齢の割りにウブなのかもしれないわ)

そのとき、窓から目のくらむような陽が差し込んできて、ローザは思わず手で顔を覆った。
カーテンを引いても、生地を貫いて差し込んでくる太陽の筋。
11月だというのに、頬が熱くなるほどだ。

「まぶしいでしょう?ちょっと待っててくださいね。少し角度を変えますから」

フェリシアは気をきかせてベッドサイドをつかみ、移動させようと力を込めた。
だが動かない。
どんなに踏ん張っても、びくともしない。
女性の非力ではどうにもならない作業であることは、自明の理だ。
なのに、彼女は同じことを繰り返す。
すっかり息が上がってしまい、苦しそうな顔が痛々しい。
たまりかねたローザが、隣にいるアンソニーに救いを求めようとした瞬間、彼は一呼吸早く手を出していた。

「君には無理だよ。ちょっと下がってて」
「余計なことしないで!これは私の担当なの。あなたの助けなんか借りたくないわ」
「強情だなぁ。さっきも言ったろ?僕に出来ることは協力するって」
「だから、それがお節介だって言うのよ」

目を吊り上げて反論するフェリシアの肩を静かに押さえて脇へ寄せると、アンソニーはベッドの端をつかんで思い切り力を入れた。
すると、簡単にベッドが動いた。
フェリシアが押しても、微動だにしなかったのに。

「こんなもんでいいかな?ローザさん、まぶしくありませんか?」

涼しげな顔で微笑む彼が、小憎らしい。

こんなにも違うものなのか──
男と女では、これほどまでも力に差があることを思い知らされ、フェリシアは心底悔しかった。

「ありがとうございます。快適ですわ」

嬉しそうなローザの顔も、追い討ちをかける。
どんなに頑張って勉強しても、しょせん男子にはかなわない。
体力的なハンデを見せつけられ、フェリシアは肩を落とした。
だが同時に、自分にはない男性のたくましさを目の当たりにし、心が震える。
それは今まで抱いたことがない、不思議な感覚だった。

アンソニーなんて、ただの青二才程度にしか思っていなかったのに、今はこんなに体が熱くなる。
彼がそばにいると、胸がドキドキしすぎて心臓が壊れそうだ。

だが、気取られたらおしまいだ。
少しでも気のある素振りを見せたら、弱みにつけ込まれるような気がした。
だからフェリシアは、必死で平静を装う。

「じゃあ、私はこれで。午後になったら、また回診に来ますね」

いつもは愛想のいい彼女が、笑うどころか視線も合わせず、さっさと出ていってしまったので、ローザはあっけに取られて見送るしかなかった。
アンソニーも呆然としている。

「やれやれ、僕は徹底的に嫌われてるみたいですね」

ため息をつく彼に、「思い当たることでもあるんですか?」とローザ。

「白状しますとね、彼女に対して、してはいけないことをしちゃったんですよ。傷つけたと言ったほうが正確かもしれません」
「してはいけないことって?」
「キャンディをニューヨークへ帰すために、わざと他の女性と・・・って話をしましたよね?それがフェリシアなんです」
「まあ!」

ローザはしばらく考え込んでいたが、やがてサファイアの瞳をのぞき込み、いたずらっぽく笑った。

「彼女がどうしてあなたを拒絶するような態度をとるのか、わかる気がします」
「なぜ?」
「女心ですよ。同性ならピンと来ますわ」

なんのことやらさっぱりわからず、アンソニーは不可解な顔でローザを見つめた。

「一つだけ教えて差し上げましょう。大丈夫、フェリシア先生は、あなたを嫌ってなんかいません。いつかきっと、そう実感する日が来ます」

ローザの微笑は、アンソニーの謎を深めるばかりだった。




珍しく早めにオーディションが終わったとき、テリィは意識を一点に集中させていた。
今日は11月15日──そう、シェリルが必ず姿を消す日。
自分のせいで命を落としたウェズリーに、祈りを捧げる日。

どんな反応が返ってくるか不安だったが、今日こそ思い切って声をかけようと、テリィは意気込んでいた。
そうしたところでなんになるのか、いや、そもそもどういう目的で彼女のプライベートに首を突っ込もうとしているのか、答えを出せずにじれる。
本当は、理由などないのかもしれない。
わけもなく話してみたいだけ──女優ではない、「私人」のシェリル・ドレイファスと。

熱く燃えるgreenish blueの視線の先には、あわただしく会場を去ろうとする彼女の姿があった。
見失うまいと、必死で追いかける。
だが、それより先に彼女の手をつかんで、ホールの出口へ引っ張る男がいた。
見覚えのある背格好。
キャスケットを目深にかぶり、サングラスをかけているから変装していることは一目瞭然だが、ちらりとのぞくブロンドの前髪のせいで、その人物が誰であるかテリィは見破った。

ショーン・マコーレー!

ローゼンバーグ劇団のトップスターであり、かつてシェリルの恋人だった男──今更、なんの用があるのだろう。
テリィは、わけもなくいきり立った。
意志の力ではどうしようも出来ないほど、激しく熱く。
このままではシェリルに声をかけられず、かといって無言で立ち去ることも出来ないから、二人のあとをつけていくしかない。
泥棒ネコの真似事をしている自分が滑稽(こっけい)だが、それでも足は、シェリルの行く方向へ動いていってしまう。
まるで魔力で吸い寄せられるように・・・。



「君はまだあいつの墓参りなんかしてるの?あれから何年も経つっていうのに、どうかしてるよ」

オーディション会場を出て雑踏に紛れ、ショーンはシェリルの手をつかんだまま歩き続ける。

「どうかしてるのはあなたのほうでしょ?今更こんなところに顔を出して・・・もし面が割れたらどうするつもり?ローゼンバーグのトップスターが、ストラスフォードの落ち目女優と関係があったなんて知れたら困るんじゃないの?」
「強がりを言うくせは相変わらずだな。もっと素直になってるかと期待してたんだが」

ショーンは苦笑しながら振り返り、シェリルを見下ろした。

「私はいつだって素直よ!」
「少なくとも、俺の前ではそうじゃない」

裏通りへ入り、ようやく他人の視線から逃れたとき、ショーンはキャスケットとサングラスを外して素顔をさらした。

「今日はあの事故から丁度六年目だろ?いい加減、肩の荷を降ろしてもいい頃じゃないか。いや、降ろして欲しい。それを頼むために、わざわざ来たんだ」

シェリルを見つめる青い目は、真剣そのものに変わっている。
細い肩に手を置き、今にも抱き合いそうな距離にまで接近している二人は、紛れもなく恋人同士に見える。
もしこんなところをスクープされたら、演劇界に衝撃が走るだろう。
そう思った途端、テリィはいても立ってもいられなくなった。

(シェリルのやつ、無防備すぎる!ゴシップ記事を書かれた挙句、相手役の俺にまで火の粉が降りかかったらどうしてくれる気だ?少しは身の程をわきまえて行動しろよ)

だが、本音は全く違っていることを、テリィは知っていた。
スキャンダルの巻き添えを食らおうが、そんなのはどうでもいい。
今は気になって仕方ないのだ。シェリルが苦しい立場に立たされやしないかと。


「ウェズリーの事件を封印する気はないわ」
「じゃあ、これから一生、あいつに贖罪(しょくざい)し続ける気か?」
「ええ」

真っ直ぐ見返す瞳は毅然としていたが、それでもどこか、哀しみ色に縁取られている。

「馬鹿な!なら、君自身の幸せはどうなるんだ。いつか吹っ切らなきゃ、このままずっと・・・」
「それでもいいと思ってるの。だってウェズリーは、私のために人生を棒に振ったんだもの」

そう言ってショーンから目をそらし、うつむいた。

「大丈夫。迷惑はかけないわ。ずっと前から言ってるでしょ?あなたは自由の身だって。私になんかかまってないで、早く幸せになって欲しいの」

そのときショーンの中で何かがはじけ、激情となってほとばしり出た。

「なぜわからないんだ!」

肩に置いた手が、シェリルを抱き寄せる。
折れそうなほど、強く、激しく。
彼女が振り払おうとしても、それを許さず、執拗に追い求めてくる。
あらがいきれず、華奢(きゃしゃ)な体はショーンの中にすっぽり包まれた。

「君と一緒でなきゃ、幸せになんかなれない。何度も言ってるのに、どうしてわかってくれないんだ」

抱きしめる力が更に強くなる。
その光景が、テリィの胸をかき乱した。
裏通りの片隅に身を潜め、二人の様子をずっとうかがっていたテリィは、説明しがたい感情に押しつぶされた。
声を上げたいくらい、苦しかった。
この動揺は一体なんなのだろう。
ショーンに恨みなどあるはずはないのに、今すぐ二人の間に割って入り、男を殴り倒したい衝動に駆られた。

そのとき、懐かしい映像が脳裏に浮かんだ。
アンソニーに想いを寄せるキャンディの姿──あれは聖ポール学院のメイフェスティバル。
手を取り合ってダンスに興じている最中も、キャンディの心を占めていたのはアンソニーの幻だった。
それに嫉妬して、強引に唇を奪ってしまった。

今の気持ちは、あのときに似ている。
アンソニーとキャンディに、ショーンとシェリルがダブって見える。

「お願い!私のことは放っておいて。あなたを見てると益々辛くなるのよ。だらもう・・・会いたくない」

ショーンの腕の中で、シェリルはもがく。

「俺は会いたい。いつだってそばにいたい。だから・・・離さない」

一層の力を込める彼を全身ではねのけると、シェリルは泣きながら駆け出した。
引き止めようと、ショーンが前傾姿勢をとった瞬間だ。
彼の肩を、背後からむんずとつかんだ手があった。
その手の主(ぬし)が、低音で威圧する。

「やめとけよ。彼女は嫌がってるじゃないか」

出鼻をくじかれたショーンは何事かと振り返り、相手が誰かを確認すると、ものすごい形相で睨みつけた。

「お前、ストラスフォードのテリュースだな?なんの権利があって、俺たちに口出しするんだ」
「俺たち?随分あっさり認めるんだな。もし俺がマスコミにタレこんだら、どうする?」

ブロンドの青年は一瞬当惑したようだが、すぐに薄笑いを浮かべた。

「すかさず言ってやるさ。『人気凋落のトップスターが、ひがみ根性丸出しでガセネタをばらまいてる』ってね」

口角を上げ、意地悪そうに笑うと、キャスケットとサングラスで再び顔を覆い隠し、雑踏の中へ消えていった。



シェリルが走り去った方向へ歩いていくと、路地の奥まったところでむせび泣いている彼女をとらえた。
それは初めて見る孤独な姿。
いつもはつらつとして背筋の伸びたシェリルが、小さく、はかなげに見える。
これが女の弱さというものか。

いたたまれなくなったテリィは、駆け寄って細い肩を抱きしめてやりたくなった。
冷えた心と体を、温めてやりたいと思った。

(俺は何を考えてる?ショーンに毒づかれて血迷ったか)

やがて、人の気配を感じたのか、シェリルが振り返る。

「テリィ・・・!あなた、どうしてここに?」
「偶然見かけたんだ。あとをつけたことは謝るよ。でも心配だったから・・・」
「じゃあ、見たの?彼と私のやり取り」

その声は警戒心でいっぱいになっており、テリィの秘めた思いなど、今の彼女に届こうはずはなかった。
プライベートをのぞかれた怒りと焦りに圧倒され、シェリルの目からは、いつの間にか涙さえ消えている。

「ごめん、俺はもう全部知ってるんだ。君とショーンのこと。この前、ロバート団長が顔を出したろ?あのとき聞かされた。でも絶対口外しないって約束するから、信じて欲しい」
「じゃあウェズリーのことも知ってるのね?」
「ああ」

聞いた瞬間、開き直ったのか、シェリルは自嘲気味の笑いを浮かべた。

「驚いたでしょ?私があなたと同じ立場にあったなんて。だから痛いほどわかってたわ。キャンディの辛さも、スザナの悲劇も。他人事とは思えなかったのよ。でも神様が味方してくださったおかげで、あなたたちはやっと幸せになれるんじゃない。素直に感謝しなきゃいけないわ」

寂しそうに笑う顔を見たら、たまらなくなった。

「君だって幸せになれるんだよ。だってショーンは、まだ愛してくれてるじゃないか!」

だがマリンブルーの瞳は、もっともっと寂しい色に染まっていく。

「どんなに好きでも、別れなきゃいけないことだってあるのよ。あなたにならわかるはずよね?」

核心をつかれ、テリィがひるんだ隙をついて脇をすり抜け、表通りに続く道を足早に去っていく。
なんとか引き止めようと、苦し紛れのセリフをテリィは吐いた。

「ウェズリーの墓に行くんだろ?俺も一緒に連れてってくれないかな。君を一人にしたくない。心配・・・なんだ」

切羽つまったセリフが、シェリルの関心をわずかに誘った。
一瞬足を止めたが、振り返らずに答える。

「お気づかいには感謝するわ。でも大丈夫。一人で行く。だってウェズリーが待ってるのは、この私なんですもの」

後ろ姿を見送りながら、テリィの心は揺れ動いた。
まるで嵐が来たみたいに、何もかもが荒れ狂う。
決して平穏なんかではいられない。

狂おしい思いに、胸がかきむしられるようだ。
彼女を追って走り出しそうな両足を落ち着かせるのに、大変な苦労をしている自分に呆れた。

この気持ちは、なんなのだろう?
憐憫(れんびん)か、愛惜か、それとも・・・。
それ以上考えたくなかった。いや、考えるのが怖かった。
説明できない不可思議な感情に支配され、それを打ち消すかのように、激しく頭を振る。

(来年の五月、キャンディの誕生日が来たら結婚しよう。どんな事情があろうと、絶対に!いつまでもフラフラしてちゃいけないんだ。そんなことしてたら、俺は・・・俺は・・・)

全身が緊張し、握りしめた拳が痛いくらいだった。




季節は足早に駆け抜け、間もなく12月がやってくる。
ボストンの街を、厳しい寒気が包むようになった。

そんなある日曜の昼下がり、アンソニーとブライアンの部屋に珍しい女性が訪ねてきた。
日々の忙しさにかまけて何年も会わずにいた相手だ。
もし一週間前に「彼」からの手紙が届いていなかったら、わざわざ来てくれた彼女が誰なのか、思い出すのに時間がかかったかもしれない。
それほど歳月は流れていたのだ。最後にこの婦人を見た日から。

「本当にお久しぶりです。きっと私のこと、覚えてらっしゃらないでしょうね」

ドア口に立って微笑むプラチナブロンドの女性は、晴れた冬の空のように鮮やかな碧眼だった。
見覚えのある微笑に反応したブライアンが、驚き顔で聞く。

「もしかしてブリトニーじゃない?ジークと付き合ってた、アンナマリア女学校の」
「思い出してくださったのね!知らんぷりされたらどうしようかと心配してたんですよ」

同時にアンソニーも懐かしそうな目で叫んだ。

「忘れるわけないじゃないですか、こんな奇麗な人。益々磨きがかかったんじゃない?」

冷やかされて赤くなるブリトニー・チェンバースは、開戦と同時にドイツに帰国したジークフリート・フォン・シュタインバイスの恋人だった。
彼がアンソニーたちの前から姿を消して、もう五年以上が流れている。
その間、アメリカとドイツは敵味方に分かれて不幸な時代を経験し、ジークフリートとの文通も途切れがちになっていた。
昨年やっと終戦を迎えたとき、アンソニーとブライアンは旧友からの便りを待ちわびたが、相変わらず連絡は来ない。
なす術もないまま手をこまねいていたら、先週、待ちに待った手紙が届いたのだ。

差出人の名を見たとき、二人の心臓は止まりそうになった。
それは紛れもなく、シュツットガルトにいるジークフリートからの手紙だったから。
そこには、こう書かれていた。


ずっと連絡しないですまなかった。
戦時中は勿論、終戦のゴタゴタで、何も手につかない状態だったんだ。
それこそ食べるので精一杯。

敗戦国の惨状は、君らが想像してるより、ずっとひどいだろう。
徴兵されてる間は単位が取れなかったから、大学を卒業するにも余計な時間がかかる。
母の病も思わしくない。
病名はVSD(心室中隔欠損)だ。

君らも実習で手がけたことがあるだろう?
もう少し落ち着いたら、ハイデルベルクへ行って、設備の整った病院を探したいと思ってる。

そして父とは母は、正式に離婚したよ。
これで僕は、正真正銘のドイツ人になったわけだ。
もう後戻りは出来ない。
国内には、依然不穏な空気が流れていて、次の戦争に繋がりそうな火種がくすぶってるけど、祖国だから仕方ない。
運命を共にする覚悟は出来てるよ。
願わくは、もうアメリカを敵にまわしたくないけどね。
こればかりは僕一人の力じゃどうにも出来ない。それが悔しい。
同じ過ちを繰り返すほど、ドイツ民族が愚かでないことを祈るのみだ。

もしも願いが叶うなら、もう一度君らに会いたかった。
あのまなびやを訪ね、当時交わした、たわいない会話に興じてみたかった。
でも過去は返ってこない。時は戻せない。
僕ら三人は、二度と同じ立場で、同じ場所には立てないんだな。
哀しいけど、それが現実だ。

でも、これだけは覚えておいて欲しい。
君らと過ごした少年時代が、僕の人生で、どんなにか大切な時間だったってことを。
ジョンストンで机を並べたあの日々は、まさに至宝だ。
もう帰れないとわかってるから、余計にいとおしい。
過ぎ去ったことの一つ一つが、美しく蘇ってくる。
思い出ってのは、そういうものだろう?

僕らがもっと歳を重ねて、思い出をかき集めるしか仕事がなくなったとき、ボストンで会おう!
そのときこそ、真に平和な時代になってると、僕は信じてる。

遠くドイツの空の下から、限りない尊敬と信頼をこめて。

Siegfried (ジークフリート)



「先週、あいつから、やっと手紙が来たんだ。待ちくたびれて倒れそうだったところへ。な?」

ブライアンは苦笑しながら隣のアンソニーを見た。

「私のところにも届いたんですよ。今日はそれで来たの。二人にお別れを言うために」

頬を紅潮させて言うブリトニーに、アンソニーは思わず聞き返す。

「お別れ?」
「ええ。実は明日、シュツットガルトへ発つんです。ジークには内緒だけど」

聞いた途端、男二人は腰を抜かしそうになった。
敗戦の混乱から、いまだ立ち直れないドイツへ?焦土と化した国へ?
そんなところへ、何も好き好んで出て行くことはあるまい。
戦勝国として隆盛を誇っているアメリカをわざわざ去っていく神経が、どうしても理解できなかった。
しかも恋人に知らせないまま。

「恋人」といったところで、何年前の話になるのだろう。
そもそもジークフリートが、今でもブリトニーを思っている確証など何もない。
もし拒まれたら、どうするつもりだろう。

数々の不安が脳裏をよぎり、アンソニーもブライアンも、気のきいたセリフを言えずにいた。