「物好きに見えるでしょ?お二人が言いたいこと、よくわかりますわ。でも私にとって一番大切なのは、豊富な物資でもなく、住みよい環境でもなく・・・あの人のそばにいることだけなんです」
「じゃあ君は、あれからずっとジークを?」
驚きの眼差しを向ける男たちに、ブリトニーは微笑んだ。
「あのとき言ったでしょ?アメリカ人とは結婚しないって」
その瞬間、彼女の澄み渡った青い目が、はっきり思い出された。
ジークフリートが汽車でボストンを去ったとき、こっそり隠れて見送りに来ていたブリトニー。
そのとき彼女はこう言ったのだ。
──アメリカ人とは結婚しないつもりよ。ずっとあの人を待って、そして二人で幸せになるんです。私にも、そのくらいの自由はあるでしょう?──
「驚いたよ。まさか本当に実行するなんて。とっくに『奥様』になってると思ってた」
ため息をつきながらアンソニーが言うと、「失礼ね。みくびらないでちょうだい」とやり返す。
「でも家族は?弟のジェイミーだって心配してるんじゃない?君がドイツへ行くこと」
「去年母を亡くしたから、肉親はジェイミーだけなの。父は私たちが小さい頃、病気で死んでしまったし」
寂しそうに言う彼女に、返す言葉がなかった。
愚問を投げかけてしまったのを悔いて、「ごめん。無神経なことを言って」とアンソニーは陳謝した。
「ううん、いいの。ジェイミーには好きな子がいるし、いずれ結婚すると思うわ。だから私がいなくなっても寂しくないはずよ。心配しないで」
ブリトニーは優しく笑った。
その間、ブライアンは黙ったまま二人の会話を聞いていた。
いつもは饒舌な彼が、一言も発しない。
それは心底感動しているせいだった。
ブリトニーにしろ、パティにしろ、長い年月をかけ、たった一人の男性を思い続けているのがすごいことに思えた。
妥協せず、目移りもせず、穏やかにそっと。
その秘めた情熱に狂おしいまでの一途さを感じ、女性のたくましさ、たおやかさを見た気がした。
(パティ、いつぞやの偏見はさっぱり捨てるよ。地味なメガネ女なんて、ほんの少しでも思ったことを俺は恥じてる。こんな馬鹿野郎だけど、どうか許して欲しい。君は本当に素敵なレディだ。今なら素直にそう思えるよ)
やっとモヤモヤが晴れたのだろう。
ブライアンは嬉しくなり、思わず駆け寄ってブリトニーの右手を取り、きつく握りしめた。
「ジークと幸せになれ!好きな男をずっと思い続けた君を、神様はきっと祝福してくれるさ」
唐突の行為に驚き、彼女はヘーゼルの瞳をじっと見つめていたが、やがて恥ずかしそうに言った。
「Danke!」
「あれ?ドイツ語覚えたの?」
アンソニーとブライアンがほぼ同時に返すと、白い頬が薄紅に染まった。
「今まで一生懸命勉強してたのよ。だって私が骨を埋める場所はドイツなんですもの」
ブリトニーが引き上げたあと、しばらく放心状態だったブライアンだが、急にソファーから立ち上がり、「決めた!ステアの肖像画をクリスマスまでに絶対仕上げるぞ」と、素っ頓狂な声を張り上げた。
机で論文を書いていたアンソニーは、驚いて飛び上がった。
「変な声出すなよ。びっくりするじゃないか」
「ごめん・・・」
ばつが悪そうにぺロッと舌を出すと、ブライアンはクローゼットのほうへ歩いていき、中から描きかけの肖像画を取り出した。
八割がた出来上がっているが、彩色が未完成だ。
「それ、パティにプレゼントするんだろ?」
机を背もたれにし、アンソニーはペンを持ったまま相棒を見つめる。
「勿論さ。喜ぶだろうな」
「随分と変わったもんじゃないか。ちょっと前まで、パティはダメだって言ってたくせに。まあいいさ。君の生き生きした目を見るのは久しぶりだからな。僕も嬉しいよ」
冷やかすアンソニーに、ブライアンは負けじと応酬する。
「ひがむなってば。君にだってプレゼントする相手がいるだろ」
「そうかぁ?誰?」
「決まってるさ。フェリシア!」
「なんで?」
「なんでって・・・。近頃、しっくりいってないんだろ?そういうときはプレゼント攻撃に限る。女ってのは、物欲が満たされると急に愛想がよくなったりするもんさ。だからバラの花束でも持ってってやれよ」
「そんな簡単にいくかねぇ・・・」
気のない返事をするアンソニーに、ブライアンは駄目押しする。
「絶対うまくいくって。女にかけては、俺のほうが一枚上手(うわて)なんだ。君だって認めてるじゃないか。ケチらないで花ぐらい贈ってやれよ。どうせタダなんだし。俺のプレゼントのほうが、よっぽど手間暇かかるんだ。それでも文句言うつもりはないんだぜ。立派だろ?」
得意げに言うブライアンを見ていたら、なんだかおかしくなってしまった。
こんなに熱くなるなんて、よほどパティが気になっているらしい。
少々鈍感なアンソニーにも、それがよく伝わってきた。
だから余計に嬉しい。
見ているほうまで幸せな気分になってくる。
「そんなに勧めるなら、言うとおりにしてみるか。万が一にもフェリシアが機嫌を直してくれれば、願ったりかなったりだし」
開いていた医学書を閉じて窓のほうへ顔を向けると、冬の太陽が精一杯の光を放って、アンソニーの頬をオレンジに染め上げた。
師走の気ぜわしさが街中を包んだ頃、ニューヨークタイムズの芸能欄に、テリィを絶賛する記事が掲載された。
レイモンドではない俳優がマスコミの関心を集めるなど、近頃ない現象だから、大変な話題になっている。
「再び脚光を浴びるテリュース・グレアム──大人の演技の中に光る、確かなキャリア」という見出しで、一皮むけた若手トップが中堅の仲間入りを果たし、幅広い年齢層から支持を受け始めたという内容だった。
何かが変わったのは事実だ。
今のポジションで完全燃焼出来た充実感。
それを他人が評価してくれたことが自信となって、テリィを鼓舞している。
この清々(すがすが)しさを、どこかで味わった気がする。
もう随分昔の記憶だが。
一体、どこでだったろう。
しばらく考えたあと、テリィはやっと思い出した。
ロックスタウンのさびれた劇場で、落ちぶれた自分を励ましてくれたキャンディの幻。
夢かうつつか、それすらわからなかったが、彼女の涙を見たとき、雷に打たれたような感覚を覚えた。
その瞬間だ。
心洗われるれるような、清々しい気分になったのは──
それが、「復活」の始まりだった。
テリィのアパートで一緒に夕食をとりながら、キャンディはその新聞を見ていた。
我知らず、顔がほころんでいく。
本当に久しぶりの笑顔。
テリィはそれを見て初心に返り、目を細めた。
(俺が求めてたのは、こいつのこの笑顔だったんだ。今頃ようやくわかったよ。ずっと心配かけて、暗い顔にさせて。全く・・・最低の男だな、俺は)
心の中で思ったとき、弾むような声が耳元で聞こえた。
「やったわね!ホントに良かった。この記事読んでたら泣けてきちゃった。やっぱり見ててくれる人はちゃんといるのね。今まで一生懸命やってきたんですもの。それがやっと評価されたんだわ」
「でも若手のトップスターとして絶賛されてるわけじゃないんだぜ。早とちりは相変わらずだな、そばかすちゃん」
茶化してウィンクする彼に、キャンディは「バカね。わかってるわよ、そんなこと」とムキになる。
「君は若手花形の妻になれなくてもいいの?俺が若い女性に人気があるスターなら、職場でも鼻が高いだろうに」
少し不安げな顔でのぞき込むと、キャンディは毅然として言い放つ。
「そんなの全然問題じゃないわ!テリィがストラスフォードのスターだってこと、自慢しようと思ったことなんかただの一度もないもの。あなたが満足のいく仕事が出来れば、それが一番嬉しいの。ふさぎこんでる姿を見るのは辛すぎる・・・」
その瞬間、テリィの中で何かがはじけた。
長いことのしかかっていた心の闇が、少しずつ晴れていく気がする。
(ああ、俺は今まで一体何を望んでいたんだろう。看板俳優としての名声か?不動の人気か?キャンディのためにこそ、若手トップを維持しようと焦ってたが、それは思い違いだったのかもしれない。中堅のポジションでも、それにふさわしい光を放っていれば最高の演技が出来る。そうさ、俺は俺の道を行けばいい。他の誰にも代わりが出来ない、俺だけの道を!)
一条の光が差し込んだ。
これでやっと、胸を張って言える。
何かを乗り超えたテリィは、キャンディの手を取ってかしずくと、恭(うやうや)しく頭(こうべ)を垂れた。
「今こそ迷わず言えるよ。来年中に式を挙げよう。もう君に悲しい思いはさせない。約束する」
キャンディの目に嬉し涙が光り、思わずひざまずいて広い胸に顔を寄せた。
「信じるわ、その言葉。私たち、きっと幸せになれるわよね?」
瞬間、ブロンドにサファイアの瞳が脳裏に浮かんだ。
その面影を打ち消すように、キャンディは益々強くテリィにしがみつき、声にならない声で、幻の「彼」に問いかけた。
(あなただって、そうしろって言うでしょ?早くテリィと結婚しろって。いつまでも、どっちつかずじゃいけないよって。ねえ、きっとそうだわよね?お願いだから答えて、アンソニー!)
キャンディを抱きしめるテリィの胸にも、いつの間にか芽生えた不思議な光が宿っていた。
それは、キャンディを思う気持ちとは別の方向に伸びている虹色の光。
ようとして知れない感情に支配されていることに自分すら気づかぬまま、二人はもうすぐ「運命の1920年」を迎えようとしていた。
12月も半ばを迎えた頃、ボストンのアンソニーと、ニューヨークのキャンディの元へ、それぞれ朗報が届いた。
差出人はアーチー。
ついにアニーが出産したのだ。
生まれたのは、プラチナブロンドにマリンブルーの瞳を受け継いだ、アーチーそっくりの男の子で、アレクシスと名づけたと書かれている。
「へえ~、アレクシスか。洒落た名前だな」
手紙を読みながら独り言を言うアンソニーの横で、ブライアンがおどける。
「アーチー(Archie)に、アニー(Annie)に、アレクシス(Alexis)だって?三人揃ってAから始まる名前ってわけか。きっとすごい仲良し家族なんだろうな」
「決まってるだろ!子供が産まれれば益々絆が強まってくよ。夫婦ってのはそういうもんだろ?」
「俺には実感わかないけどねー。なんせ、まだ独身貴族を謳歌してる身分なんで」
そう言って、くすっと笑うブライアン。
隣のアンソニーは早くも妄想モードに突入しているらしく、相棒の声も耳に入っていない様子だ。
「アーチーが父親になったのか。あのアーチーが・・・」
目を閉じると、抜けるように色白の美少年が浮かんだ。
彼はフリルのついた白い絹のシャツを着ている。
アフロディテに愛されたナルシスよろしく、つんと澄まして気取っているが、両脇にいる二人の相棒が冗談を連発すると、無邪気な顔で笑った。
転げまわってくすぐりあった。
時には些細なことでケンカもした。
それは、少年の日のアーチーとステアと自分。
ああ、いつだってそうだった。
幼い頃からいつも一緒で、片時も離れることなく育ってきたアードレー家の三人。
だが今は、こんなにも違う道を歩いている。
一人はもう、この世に存在すらしない。
そう思ったら切なくなった。
(ステア・・・そこから見てるんだろ?天国ではいつも何やってるんだい?パティに似た可愛い子は見つかった?)
懐かしさと息苦しさが入り乱れ、アンソニーは深く息を吐いて、窓から見える空を見上げた。
ぬけるように青く澄み渡る大空──ステアが地上を見下ろす楽園。
(いつかまた、そっちで会おう。三人揃ったら同窓会をやらなきゃな。それまでちゃんと待ってろよ!)
微笑むサファイアの瞳には、きらりと光るものがあった。
一方キャンディは、手紙を読みながら嬉しそうにつぶやいた。
(結婚記念日よりちょっと早めだったわね、アニーの赤ちゃん。でもホントに良かった。二人の子供だから、きっとハンサムになるわ!)
そして最後に書き加えられている、アニーからの追伸を目でなぞる。
(母親になるって責任重大なのね。初めての経験で、どうしていいかわからないことだらけだけど、私がしっかりしなきゃいけないってことは、すごく感じるわ。もうアーチーの背中を追ってるだけじゃダメなの。アレクシスを守ってやるのは私の役目なんだから)
「アニー、大人になったわねぇ。気が弱くて泣き虫で、いつも私の後ろにへばりついてたのに。まさかあなたが一番先にママになるとは思ってもみなかったわ。不思議ね・・・)
当直明けのナースステーションに、まぶしい朝日が差し込んで、キャンディは思わず目を細めた。
光の筋の向こう側に、未来の夫と自分の姿がかすんで見える気がした。
(テリィ?そこにいるのはテリィなの?)
心の声が問いかけたが、答えが返ってくるはずはない。
あまりにまぶしいせいで、その男の髪と目が何色なのか、確かめることは出来なかった。
1919年12月24日。
今年は寂しいクリスマスイブになりそうだ。
去年はオウバートン家から招待を受けたから、アンソニーもブライアンもタキシードに身を包んでメイベルをエスコートした。
だが、あいにく今日は事情が違った。
ニューヨークにいるアイザックが妻のレオノーラと娘のメイベルを呼び寄せたので、二人ともボストンを離れているのだ。
だから声がかかるはずもなく、男二人で過ごす静かな聖夜となりそうだ。
もっとも、それぞれにプレゼントを渡す相手はいたが・・・。
ブライアンは出来上がったばかりの肖像画を布にくるむと、厚手のコートを羽織って、いそいそと出かけていく。
行き先は、対岸にあるボストン大学の女子寮だ。
チャールズ川をはさんでボストン側に位置するその建物は、わずかにいる女子学生の生活の拠点になっているが、今はクリスマス休暇中で、ほとんどが帰省している最中だった。
パティは両親が近くに住んでいるので、あわてて帰る必要がなく、それがブライアンには幸いした。
そうでなければ、今時分プレゼントを届けに行ったところで、彼女は不在だったろうから。
意気揚々と自転車に乗って目的地に着くと、はやる気持ちをおさえ、舎監室のドアをノックする。
「ハーバード大のブライアン・ホーウィットといいます。パトリシア・オブライエンさんに面会したいんですが」
出てきて応対したのは中年の女性で、メガネ越しに好奇の目を向けられた。
それでもひるまず、真正面から分厚いレンズを見返す。
「ちょっとお待ちを」
いぶかしげな声が返ってきて、管理人らしきその女性は、一旦廊下に出て階段を上がっていった。
ややあって、パティが連れられてきた。
ブライアンの姿を認めるや、満面に笑みが広がる。
「まあ、お久しぶり!メイベルの誕生会以来ですわね。一人で寂しくしていたところだから嬉しいわ」
「本当に?」
饒舌なはずのブライアンなのに、それ以上のセリフが出てこない。
今まで経験したことのない不思議な気持ちに戸惑いながら、パティの茶色い瞳を見つめるしかなかった。
(ブライアン・ホーウィット!一体どうしたんだよ。『女の扱いでは人後に落ちない』ってのが、俺の自慢じゃなかったのか?こんなにうろたえてるとこを、もしアンソニーに見られたら、なんて言われるか)
「立ち話もなんですから、食堂へ行きましょう。広くて明るいんですよ」
妄想を断ち切るように、パティの声がすぐそばで響いた。
そして間髪を入れず、耳元でささやく。
「部屋に通さないでごめんなさいね。実はここ、男子禁制なの。おまけにあそこで舎監の先生がにらんでるし」
パティの視線が注がれる方向に目をやると、先ほどの女性がこちらを凝視しているのが見えた。
「迷惑・・・だったかな?急に押しかけたりして」
伏し目がちに言うと、パティは笑いながら首を振り、否定してくれた。
案内された食堂はシーンと静まり返り、今がクリスマス休暇であることを伝えていた。
いくつもある大きな窓からは暖かい光が差し込み、心を穏やかにしてくれるようだ。
かなり広いスペースがとられているから、普段は多くの学生で賑わっているのだろう。
「どうぞ座ってくださいな」
物珍しさからキョロキョロしているブライアンに、パティは椅子を勧めた。
「日当たりがいいから日中の短時間なら暖房がなくてもしのげるんですよ。でも、寒かったら言ってくださいね。暖炉に火をつけますから」
「いや、大丈夫。そんなに長居はしないよ。今日はこれを届けに来ただけなんだ。ほら、メイベルの誕生会で約束したよね?」
そう言って内ポケットから写真を取り出し、「まずは大事なこれを返さなくちゃね」とパティに手渡す。
次に、持ってきた布袋をテーブルの上に置き、中に包まれている「彼」を広げて見せる。
「まあ・・・!」
パティは言葉を失った。
そこには、写真から正確に模写されたステアが微笑んでいた。
空軍の制服に身を包んで、敬礼をして。
背景には、ぬけるような青空が広がっている。
彼が愛してやまなかった空。
最期の瞬間、ステアは何を思い、どんな言葉を遺したかったのだろう。
肖像画として生き返った彼は、今にもその一言をささやこうとしているように見える。
伝えられなかった、愛のメッセージを。
「ステア・・・」
消え入るような声でつぶやくと、パティは額を手に取って抱きしめた。
真珠のような涙がひとすじ、薄紅の頬を伝って落ちる。
瞬間、ブライアンの胸はわけもなくうずいた。
理由などわからない。ただ切なかった。
どうしようもないほど、パティが奇麗に見えた。
同時にステアが羨ましかった。
いや、羨ましいなどという言葉では片づけられないかもしれない。
嫉妬と言ったほうが的確だろう。
「本当にありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいか。あの・・・感謝の気持ちを、どうやって形にしたらいいでしょう?」
言われた意味がわからず、「形って?」とブライアンは聞き返す。
「つまりその、おいくらでしょうか?」
言われた途端、思わず吹き出した。
「君は大事なステアに値段をつけられるの?」
パティは目を白黒させる。
「律儀な人だなぁ。そんなの気にしなくていいんだ。プレゼントなんだから。気に入ってもらえれば一番嬉しいよ」
「でもそれじゃ、私の気がすまないわ。何かお礼をさせてくださらないと」
「じゃあ、考えとく」
その言葉に安堵したのか、パティはにっこり笑った。
「一生大切にします。彼だと思って」
肖像画を抱きしめて頬ずりする姿を見た瞬間、胸がズキズキ痛んだ。
「そんなふうに言われたら、この先君に恋人が出来たとき、そいつは妬くだろうな」
ブライアンが苦笑すると、パティは迷うことなく言い放った。
「もう恋はしないわ」
「だって君はまだ若いじゃないか!これからの人生をステアのためだけに捧げるのは、あまりにもったいない。そう思わないか?」
「でも、忘れられないから」
「もう帰ってこなくても?二度と会えなくても?」
「まだ彼が亡くなったとは信じられないんです。だって、遺体すら戻ってこないんですよ。だから私のここで、ステアは生き続けてるの。今までも、そしてこれからもずっと」
そう言ってパティは、自分の心臓を指差した。
「忘れないわ・・・」
潤んだ瞳で恋人に語りかける姿が、ブライアンの想いを弾き飛ばす。
そのとき、「過去の過ち」に仕返しされているような気がした。
過ち──顔がアマーリアに似ているというだけで、コレットに溺れたこと。
(今思えば、あれは単なる逃避だった。アマーリアとの別れに耐え切れず、気を紛らすために仕掛けた恋愛ゲームだったんだ。男のくせに随分女々しいことをしたもんさ。パティはこうやって、ステア一人を想い続けてるってのに)
ブライアンは思わず、「君は苦しくないの?」と聞いていた。
「時々は。彼に触れたくて手を伸ばしても、決して届かないでしょ?そんなときはたまらなく寂しくなります。でもね、それ以上に幸せなんですよ。彼を思うと。私が一番自分らしくしていられる時間だから」
涙をこらえて微笑もうとするけなげなパティが、ブライアンにとどめを刺した。
(今はっきりわかったよ。アマーリアと違ってたって、そんなのは問題じゃない。目が青くなくたっていいんだ。ブロンドじゃなくてもいい。君の瞳の色が好きだ。栗色の髪が好きだ。だから見つめて欲しい。ステアじゃなくて、俺を・・・!)
手に触れたい衝動を押し殺しながら、心の中でそう絶叫した。
「ところでさ、さっき、肖像画のお礼をしたいって言ったよね?」
ブライアンは努めて平静に切り出す。
「え?」
「今思いついたんだけど、こんなのはどう?また会ってもらえないかな。出来れば二人だけで」
パティは一瞬きょとんとしたが、あまり深くは考えなかったのだろう。
「かまいませんよ」とだけ言って、愛想笑いを浮かべた。
今の彼女には、目の前に存在するブライアンより、肖像画に収まっているステアのほうが、ずっと大切であることは間違いなかった。
寮に帰ってきたブライアンは、まるで夢見心地で、それだけでもアンソニーを気味悪がらせたが、開口一番、「パティはアマーリアに似てるよ。けなげで芯が強くて、その上知的で」と連発したとき、アンソニーは我慢できずに爆笑した。
「おいおい、彼女のどこがアマーリアに似てるって?パティの髪は栗色だし、そんなに長くない。目だって茶色だ。おまけにメガネをかけてて・・・」
「うるさいな!なんだっていいだろ、そんな細かいこと。俺にとっては似てるんだから、それでいいんだよ」
無茶苦茶な理屈に益々笑いがこみ上げたが、いきり立つブライアンをこれ以上興奮させたらまずいと思い、アンソニーは冷静に言い放つ。
「早い話が惚れちまったんだろ?潔く認めろよ。この前自分で言ってたじゃないか。人を好きになるのに、理由なんかいらないって」
「そうかぁ?」
「これだから、全く・・・」
とぼける相棒がおかしくて、アンソニーは失笑する。
「でも良かったよ。君に好きな子が出来て」
「何言ってんだよ。そういう自分はどうなんだ。お安くないくせに。知ってるぜ、俺がパティのところに行ってるすきに、フェリシアにバラを渡したよな?」
「・・・・・・!」
「隠したって無駄だ。全部お見通しなんだよ。さあ、白状しろ!」
「ま、まあね・・・」
逆襲を食らってうろたえるアンソニーを、今度はブライアンが高みの見物だ。
揚げ足をとって冷やかし合っている二人は、常に「運命共同体」だった。
どんな辛い目に遭おうと、苦い恋を経験しようと、なんとか乗り超えてここまで来れたのは、互いの存在が大きな支えになっているからに違いなかった。
フェリシアの名を出されて少々照れ気味になったせいか、先刻の光景がアンソニーの脳裏に浮かぶ。
パブリックガーデンの温室で純白のバラを切り取り、豪華な花束に仕上げると、それを携えて女子寮に向かった。
ここもひっそりと静まり返り、休暇を寮で過ごしている学生は、ほんのわずかだということを物語っている。
そんな中、フェリシアを玄関口に呼び出し、持参した贈り物を差し出す。
「メリークリスマス!そしてハッピーバースデー!」
プレゼントで眼前がふさがれ、贈り主の顔がすっかり隠れてしまった。
そのせいか、彼女は少し安堵した。
突然の訪問を受けて本当は心臓が踊っているのを、アンソニーに気(け)取られる心配がないから。
「私の誕生日、よく覚えてたわね。ああ・・・それもそのはずかしら?姉のアンジェラと一日違いだもの」
皮肉のつもりだったが、アンソニーはそれに反応せず、もう一度、「23歳の誕生日おめでとう。これはほんのお祝い。一応、僕が栽培したバラなんだよ」と繰り返す。
フェリシアは差し出された花束を受け取り、顔を近づけて、かぐわしい香りに酔いしれる。
「白いバラ・・・」と、独り言のようにつぶやいた。
「え?」
「どうして白バラなの?赤でもピンクでも黄色でも、色は他に沢山あるのに」
途端、アンソニーは笑って言い返す。
「だって、君のイメージにぴったりだと思ったから」
「私のイメージ?」
興味を持ったのか、フェリシアは青い瞳を遠慮がちに見つめた。
「正直で、曲がったことが嫌いな人。まだ誰からも色を付けられていない、純真無垢な乙女──そんな感じかな」
最後の一言がコンプレックスを刺激したのか、彼女は苦笑しながらアンソニーを見上げた。
「23歳にもなって、純真無垢はないでしょ?それって私が『モテないかわいそうな女』ってことかしら」
「ごめん。気に障ったら謝るよ。そんなつもりで言ったんじゃない。これは率直な感想なんだ」
フェリシアは何も言わなかった。
黙ったまま、手にした花束をのぞき込んで、物思いに耽っているようだった。
チャンスは今しかないと意を決し、アンソニーは核心に迫るセリフをぶつける。
「実はね・・・夏の日、シカゴで僕は、君にとんでもないことをしたんじゃないかって後悔してる。心から詫びるよ。今更謝罪したって遅いかもしれないけど、大切な友人を失いたくないんだ。だから何度でも言うよ。本当に悪かった。許して欲しい」
頭を下げるアンソニーを見たら、心臓を錐(きり)で揉まれるような痛みを感じた。
切なすぎる――
(謝ったりしないで!私は怒ってなんかいないのよ。ホントにあきれるくらい鈍感なのね。謝られたら辛いだけでしょ?それに「大切な友人」って・・・。私に対するあなたの気持ちはせいぜいその程度。それ以上でも以下でもない。わかってたけど、はっきり言われるとキツイ。だからあなたを見てると苦しいの。自分でも、どうしていいかわからない。一体どうやって接したらいいの?)
声にならない声が胸の奥底で絶叫する。
フェリシアは思わず花束で自分の顔をすっぽり隠してしまった。
そして、蚊の鳴くような声でやっとつぶやいた。
「気にしなくていいのよ。大したことじゃないんだから」
それを聞いて、アンソニーは少しだけ安堵した。
「なに考え込んでるんだ?神妙な顔して」
耳元で聞こえたブライアンの声で我に返ると、アンソニーはたまらなくなり、フェリシアとの一部始終を話し始めた。
彼女は怒ってもいない代わりに、最後まで心を開こうとはしなかった。
それがひどく気になって仕方ないのだ。
シカゴでの一件を境に、彼女との関係は明らかに変わってしまった。
異性でありながら、意識することなく、本音を言い合える仲間がいなくなってしまったことが、アンソニーは寂しくてたまらないのだ。
また元のように笑って話せる日が来るのを、願ってやまないのに。
「もしかしたら、フェリシアは君が好きなのかもな」
「な、何言い出すんだよ!いきなり」
ブライアンの爆弾発言を、アンソニーは真っ赤になって否定する。
「そんなことあるわけないじゃないか。彼女が好きなのはアルバートさんなんだぞ!」
「だから君は坊ちゃんだって言われるんだよ。いいか、女ってのは実力行使に弱いのさ。フェリシアにとってアルバートさんは、『遠巻きに見とれてる王子様』に過ぎない。ただの憧れ。だけど、君は一線を越えちまった。わかる?」
「こ、越えた~?キスしただけなのに?」
素っ頓狂な声を上げるアンソニーをからかい、ブライアンは楽しそうに続ける。
「バカだな~。ウブなお嬢様を落とすには、キスだけで十分なんだよ。さあ、どうする!?花園に土足で踏み込んで、可憐(かれん)な花を一輪摘んだ罪は重いぜ」
「な、なんだよ、それ。人を花泥棒みたいに言うな!」
「花泥棒がいやなら、恋泥棒にしといてやろうか?」
今やアンソニーは、格好の餌食になっていた。
冷やかせば冷やかすほどムキになるさまがおかしくて、ブライアンは攻撃の手を緩めない。
一方、アンソニーは応戦しながら、親友の言うことが単なる憶測に過ぎないのを祈るばかりだった。
もし、すべて当たっていたとしたら・・・
考えただけで震えが来た。
変な誤解を生み出した自分の責任は重い。
ましてやフェリシアは、アンジェラの妹だ。
放っておくわけにはいかないし、知らぬ存ぜずでは、とおらない。
もし悲しませるようなことになったら、アンジェラに対しても申し訳が立たない気がするのだ。
重苦しい空気に包まれながら、またしても「苦い運命」が訪れそうなことを、アンソニーは予感していた。