キャンディキャンディ長編二次小説(バラの薫る季節に) -22ページ目

キャンディキャンディ長編二次小説(バラの薫る季節に)

アンソニーメインの二次創作・ファンフィクション「バラの薫る季節に」を掲載しております。

集中治療室に駆け込んだアンソニーは、ベッドの周りを医師や看護婦に囲まれているティモシーを目にした。
その中にはキルヒアイゼンやジェンセンの姿もあった。
事故以来、二ヶ月も昏々(こんこん)と眠り続けた患者がようやく意識を回復したとあって、ハーバードの双璧までが顔をそろえたのだ。
アンソニーのオーベン(指導教授)であるキルヒアイゼンは、部屋の片隅に教え子の姿を認めると、ティモシーのそばへ来るよう手招きした。
アンソニーは恐る恐る近づく。
本当のところ怖かったのだ。
初めて自分を見る少年が、一体どんな反応を見せてくれるかが。
無視されたりしないだろうか。
それならまだいい。
急に叫んだり暴れたりしないだろうか。
そんな不安が頭をよぎる。

何しろ自分の場合、きつね狩りの事故で仮死状態になったあと目覚めたとき、周りに大変な迷惑をかけたと聞いているから。
ティモシーも同じような状態になるのでは──そう思ったのだ。

だがベッドサイドから見下ろしたとき、少年はライトブラウンの目をうっすら開けているだけで、至極おとなしそうに見えた。
いや、おとなしいと言うより、生気がなく、まるで「生ける屍(しかばね)」といった顔つきだ。
彼の視線の先にあるものがなんなのか、全くわからなかった。

「さっき目覚めたばかりなんだ。この有様でも仕方ないだろう。これから少しずつ活気を取り戻していくさ」

ひどく落胆している様子のアンソニーを気づかい、ジェンセンはそっと言った。

「そうあってほしいです」

言葉少なに応える秘蔵っ子の肩をポンと叩き、今度はキルヒアイゼンが口を開く。

「ティモシー君、見えてるだろう?ここにいる青年が君を救ってくれた命の恩人──アンソニー・ブラウン君だ。わかるかい?」

そう言ってブロンドの若者を患者の目の前に押し出した。

「そんな・・・恩人だなんて。それに僕はまだ医学生ですし」
「な~に、彼にとっちゃ、ベテランも研修医も医学生も、みんな同じさ」

キルヒアイゼンはいたずらっぽく笑った。

そんなやり取りをティモシーはボーッと見つめている。
やっとの思いで目を開けている彼には、今自分が置かれている状況を理解するのは難しいだろう。
それでも暗闇に一条の光が差したのだ。
それを素直に喜び、アンソニーは心に誓った。

(これからどんなことがあっても、僕は君の支えになるよ。必ず元の生活に戻れるよう、全力でサポートする。ジェフ先生やクリス先生が僕の道をずっと照らし続けてくれたように)

少年に無言のメッセージを送り、周囲に一礼して外へ出ると、静かにたたずむブライアンの姿を認めた。

「首尾は?」

心配そうに尋ねる彼に、アンソニーは黙ったまま親指を立てて笑った。




卒業と国家試験を間近に控え、息をつく間もないほどの忙しさを縫って、アンソニーもブライアンも連日ティモシーの病室に足を運んだ。

若さとは何者にも勝る特効薬。
加えて点滴や注射による治療も功を奏し、日一日と彼の意識は覚醒していった。
一番嬉しかったのはアンソニーをはっきり認識し、「ありがとうございました。僕を助けてくださって」と頭を下げられた瞬間。
不覚にも涙がこぼれそうになった。
自分が助けた瀕死の少年が、しっかりした発音で意味のあるセリフを口にしたのだ。
こんなに感動的なことは長い人生の中で、そうそう経験できないだろう。
医学を志して良かったと、このときほど思ったことはない。

「僕のほうこそお礼を言いたいよ、ティモシー君。元気な顔を見せてくれてありがとう」

ベッド脇にある椅子に腰かけ、患者と同じ高さに目線を下げたとき、「ティムって呼んでください」と少年は笑った。
ライトブラウンの瞳は清々(すがすが)しい光を放ち、とてもまぶしく見えた。

「わかった。じゃあそうさせてもらうよ。でも正確に言うと、僕はまだ『先生』じゃないんだ。来月の試験にパスしないと医師免許が交付されないんでね。つまりはただの医学生ってことさ」

気恥ずかしそうに頭をかくアンソニーに、「それでもやっぱり『先生』です。僕にとっては」とティモシー。

「だって命を助けてくださったんですから。野次馬たちは珍しそうにただ見物してただけなのに、先生は必死で処置してくれたと聞いてます。そうでなきゃ、多分僕は死んでいたとも」
「当然のことをしたまでさ。僕じゃなくてもあの場に居合わせた医学生なら、君を救おうと懸命だったはずだ。相棒のブライアンだって、その立場になったら同じことをするだろうし」

ブライアンと聞いた途端、ティモシーの表情がパッと明るくなった。

「知ってます。栗色の髪の面白い先生でしょ?」

アンソニーは吹き出しながらうなずいた。

「なんか不思議な先生で、『退屈だな~』って思ってると、どこからともなく現れて、なんやかんや冗談を言ってくれて、それで笑い疲れて満足した頃、スーッといなくなっちゃうんです。僕が退屈するタイミングを知り尽くしてるみたい」
「かもなあ。そういうの、得意なヤツだから」
「なんか、医者ってタイプじゃないですよね?」
「確かに外見はね。でも内面は医者らしい男だと思うよ。技術的なことは勿論、情に厚い」
「それ、よ~くわかります!」
「テクニックとハートの両面が揃ったヤツはなかなかいないんだ。だから僕はあいつを尊敬してる」
「アンソニー先生だってすごいです!僕にとってはすごい人なんだ。死にそうな人間を生き返らせる技術を持ってるんだから。男として、最高にカッコイイと思います」

目を潤ませながら夢中で話すティモシーに、少年時代の自分が重なった。
16歳だったあの頃、ニューヨークのコロンビア大病院で闘病生活を続ける中、ジェフリーとクリストファーの存在がどんなに大きく、頼もしく見えたことか。
彼らも当時は医学生だったが、そんなことは関係なかった。
誇りを持って我が道を邁進(まいしん)する二人がキラキラ輝いていたことを、今でもはっきり思い出せる。

「君はジョンストンの特進クラスにいるらしいね」
「はい。文系です」
「ブライアンも僕もジョンストンだったんだよ。医薬系だったけどね」
「ホントですか?すごいな~。それで真っ直ぐハーバードだなんて。相当なエリートだったんでしょ?」
「大したことないさ。いつも悪さばかりしてたよ」
「ブライアン先生はそんな感じですよね」

ニタッと笑うティモシーを見て、アンソニーもつられてしまった。

「君の観察眼はなかなか冴えてるよ。成績もいいんだろ?文系クラスってことは、法律とか経済を勉強したいわけ?」
「ゆくゆくはロースクールを希望してます。父からは、経営学部に進んでMBA(経営学修士)を取れって言われてますけど」
「なるほど。父上のあとを継ぐには何かと必要な資格だもんね。期待されてるんだろ?いろいろと」

言われた途端、少年の顔はどんより曇った。
澄み渡る青空が、突然積乱雲に覆われた感じだ。
予想外の豹変ぶりにアンソニーは戸惑い、次のセリフを言いよどんだが、ティモシーは機転をきかせて場をつないだ。

「実業家の一人息子ですから、仕方ないです」
「そんな渋い顔しないで頑張れよ!同じ学び舎(まなびや)に籍を置いた者として心から応援してるからさ」

月並みなエールにしか聞こえないのがじれったい。
もっと気のきいたアドバイスをしてやれればいいのだが、畑違いの経営の勉強など、全くわからなかった。
こんなとき、そばにアーチーがいてくれれば・・・。
MBA取得で苦労した彼なら、きっと親身になってくれるだろう。
そんなことを思いながら、再びティモシーを見つめる。
相変わらず浮かない顔つきなのが、ひどく気になって仕方なかった。




その翌日、ティモシーの病室に初めてフェリシアが顔を出した。
医学は男の世界だと思い込んでいた彼にとって、うら若く、しかもとびきり美しい女子学生が現れたことは晴天の霹靂(へきれき)だったらしく、ろくな挨拶も出来ないまま、目を白黒させるばかりだった。
それでも、自分の姿が相手の目にどんなふうに写っているのか気になるのだろう。
寝ぐせがついた亜麻色の髪に、何度も手ぐしを入れているのがアンソニーはおかしかった。
ティモシーも年頃なのだ。
それほど年齢の離れていないフェリシアを意識するのは当たり前。
自分にも似たような経験があったのを思い出し、失笑した。



世間話が終わったあと、「じゃあリハビリを頑張って早く学校に戻りましょうね」とフェリシアが微笑を浮かべた瞬間、ティモシーは何を血迷ったか、「はい、あの・・・あのあの・・・僕、頑張ります!」と、どもりながら返答した。
目の前の彼女があまりに美しいので、みとれてしまったのだろう。
ついに耐え切れなくなり、アンソニーも一緒に来ていたブライアンも思い切り吹き出したが、ティモシーはそれにすら気づかずにいる。
最後にフェリシアが右手を出して握手を求めたりしたから、少年の興奮はクライマックスを迎えた。
パジャマに何度もこすりつけたあと、おずおずと手を差し出すと、フェリシアの手がそれをすっぽり包み込んだ。

瞬間、心臓がザワッとして、どくんどくんと音を立て始めた。

──なんて細くて柔らかいんだろう!!いい香りもする──

体中の血が頭に上っていくのを感じた。
喉がカラカラになり、顔がカーッと熱くなる。

「主治医の先生やアンソニーたちの言うことをよく聞いて頑張ってね」

もう一度浮かべた微笑がとどめをさした。



「おいおい、大丈夫かよ。鼻血が出てるぜ」
「え!?」

女神が出て行ったドアをいつまでも見つめ、放心しているティモシーは、ブライアンの一声で我に返った。

「ホ、ホントにホントですか?」

あわてて鼻先に手を持っていって拭(ぬぐ)おうとしたら、「冗談だよ」と低い声がおかしそうに言う。

「ひどいなあ!からかうなんて」
「まんざら嘘でもないんだぜ。あと一歩で本当に鼻血ブーだったよ、お前」

そう言われたら急に恥ずかしくなり、純情な少年はしゅんとしてしまった。

「まあフェリシアは無理としても、今度可愛い子を紹介してやるよ。その様子じゃ、どうせいないんだろ?彼女」

豪快に笑うブライアンに少しだけムッとしたが、一瞬の間のあと思い直したらしく、「じゃあ、お願いします」と小声でボソッと言い、ティモシーはまた赤くなった。



廊下では、病室から出てきたばかりのアンソニーとフェリシアが立ち話をしている。
二人の間には珍しく穏やかな空気が流れていた。
シカゴでの「キス事件」以来、すっかりギクシャクしていた関係から一転、とげとげしさは嘘のように消え、彼女に笑顔が戻ったのだ。
このところ拝んだことのない優しい微笑みを今日は素直に見せてくれるフェリシア。
何かが吹っ切れた。彼女の中で昇華され、好転した──アンソニーにはそう思えた。

「ティモシーのこと、もう安心だわね。あんなに良くなって。私に出来ることがあったら協力するわ。いつでも言ってちょうだい」

ストレートに言うエメラルドの瞳が奇麗だった。
何より、こうして普通に向き合えるのが嬉しくてたまらない。
「ありがとう」と言いたかったが、感激のあまり言葉にならず、しばらく黙っていた。
すると彼女は不思議そうな顔をして、「どうしたの?何か変なこと言ったかしら」とのぞき込んできた。

「いや、君の笑顔、久しぶりに見たから。その・・・ちょっと嬉しくなって」と、アンソニーは照れ笑いする。

「いや~ね、いいことがあれば自然に笑うわよ。ティモシーが元気になってくれて私も嬉しいの。あなたと同じよ」

頬を染めて言ったあと、心の中で、(あなたが助けた少年だもの。私も嬉しくてたまらないの)と叫んでいた。
勿論、声にはならなかったが・・・。



一人で病室に戻るとティモシーが食いついてきた。

「さっきのフェリシア先生、奇麗な人ですね。もしかして恋人ですか?」
「そんなわけないじゃないか!」

度肝を抜かれたアンソニーはムキになって否定する。

「ちょっと待ったぁ~!若くてイイ男はここにもう一人いるんですけどね。なんでフェリシアはこいつの恋人で、俺の恋人じゃないんだよ」

アンソニーを指差してむくれるブライアン。
ティモシーは、さっきからかわれたお返しとばかり、勝ち誇ったように高笑いした。

「だってあのフェリシア先生、、アンソニー先生のほうばかり見てましたよ。それにブライアン先生はいつもふざけてばかりで、あまりモテそうにないもんなぁ」

そこまで言ったとき、ブライアンは「この悪ガキめ!」と怒鳴りながら、げんこを食らわせる素振りをした。

びくっとしてティモシーは一瞬ひるんだが、すぐに気を取り直し、また詰め寄る。

「で、二人ともどうなんです?フェリシア先生のこと、好きなんでしょ?」

今度はアンソニーとブライアンの鉄拳が同時に飛んだ。

「大人をからかうのもいい加減にしろよ!もう相手してやらないからな」
「そんな~(T_T)」

もう少しで泣きそうなティモシーを見て、二人は顔を見合わせる。
そして少年に背を向け、小声で、「まあ勘弁してやるか。この程度の脅しでしょげかえるなんて、かわいいじゃないか」とささやき合い、ニヤッと笑った。




小生意気な患者のところから引き上げたあと、ローザの顔が無性に見たくなってアンソニーは病室を訪ねた。
初めてフェリシアとまともに会話できたことを伝えたかったからだ。
午後の貴重な時間をつぶし、担当しているわけでもない患者の病室で油を売っている場合ではなかったが、話さずにはいられないほどアンソニーは興奮していた。

「まあ、それは良かったですこと!だから初めに言いましたでしょう?フェリシア先生は別にあなたを嫌ってるわけじゃないって」

見舞いだと言って持ってきてくれたスイートキャンディを見つめながら、ローザは優しく微笑んだ。

「でもわからないなぁ。なぜ彼女は急に鎧を脱いだんでしょう。あんなふうに笑ってくれるなら、前からそうして欲しかったですよ。こっちは随分長いこと悩んだっていうのに」
「まあ先生ったら!まだそんなこと言って。ホントにわかってらっしゃらないのね」

ローザはふふっと声を立てて笑った。

「彼女には時間が必要だったんですよ。素直になるための時間が」
「はあ?」

益々わからず、きょとんとするアンソニー。

「先生は女性に大変な人気がおありでしょうけど、悲しいかな、無頓着すぎますわ。女心がわかるまで、最低あと十年は必要かしら?」

言われた途端、尚のことドツボにはまる医学生・・・。

「フェリシア先生の思惑を探るより、例の少年と話してるほうが楽しいでしょう?男同士だから打てば響くって感じで」
「楽しいと言えるかどうか・・・。元気になったのはいいんですが、皮肉を言うようになってきましてね。大変な器ですよ、彼は。そのうちもっとエスカレートするだろうな」

愚痴をこぼしつつも、アンソニーはまんざらでもなさそうだった。
知らないうちに顔がほころんでいるのだから。
弟分が出来て、実はかなり嬉しいのだろう。

「仕方ないですわ。頭のいい少年なんでしょうから。皮肉の一つや二つ、出ても当然でしょ?そういう先生だって、私から見ればティモシー君と大差ないですわ」

ティモシーと一緒にされて少々悔しかったが、それでも心が温かくなった。
まるでローズマリーに小言を言われた気分だ。
今は母もいないし、もともと弟がいないアンソニーだが、思いがけず、その両方を手に入れたような幸福な錯覚を覚えた。




四月も終わりに近づいてきた頃、例の「でっちあげ」がゴシップ専門の週刊誌に掲載された。
過日、シェリルを取材に来た記者たちが、たまたま居合わせたテリィの行動にいちゃもんをつけた一件だ。

団長のフィリップ・ウィンクラーに呼び出されて部屋へ行くと、開口一番、「なんだね、この記事は!」と詰め寄られた。
今日発売されたばかりの雑誌を、彼は苦々しい表情でテリィに投げつけた。

「わかってはいるだろうが、くれぐれもストラスフォードの名前に泥を塗るようなマネはしないでくれたまえよ。そうでなくても君は何かとスキャンダルの多い男だからな。まあ、あえて古傷にさわりたくはないがね」

(さわってるじゃないか、もう。どうせスザナのことを言いたいんだろう?)

テリィは不快感をあらわにし、顔をゆがめた。

「君一人の人気が凋落するならどうってことはない。代わりはいくらでもいる。やめたきゃ、いつやめてもらってもかまわないんだ。だが、シェリルや看板俳優たちを巻き添いにするのは許さん」

こうも違うものだろうか。
フィリップの脅しを聞きながら、テリィは全身に戦慄を覚えていた。
もし団長があのロバート・ハサウェイだったなら、こんなとき矢面(やおもて)に立って援護してくれるだろうに。
そうだ、やましいことなど一つもないし、むしろ自分は窮地に追い込まれたシェリルに救いの手を差し伸べたのだから。


だが、フィリップに弁解する気にはなれなかった。
説明するだけ無駄だ。

頭ごなしに自分を切り捨てようとしている者になど。
彼はレイモンドの父であり、ストラスフォードの重要なスポンサーであるケビン・ブラッドリーの操り人形なのだ。
劇団やレイモンドに負の遺産をもたらすものは、容赦なく排斥するだろう。

「信じてはいただけないでしょうが、この記事はでたらめです。私はシェリルを、今まで一度も『そういう対象』として見たことはありません。婚約者もおりますし」
「だからスキャンダルだと言ってるんだ!婚約している君が『実はシェリルといい仲だった』なんて書かれること自体、マズイんだよ、劇団にとって。わからんかね?火のないところに煙は立たぬと言うだろう。君もいい大人なら、もっと自重したまえ。そうでないと、自分で自分の首を絞めることになるんだぞ」
「・・・申し訳ありませんでした」

なぜ謝らなければならないのか。
無性に腹が立ったが、ここで団長の心証を悪くするわけにはいかない。
自ずと自制心が働いた。
そんな自分を情けなく思い、部屋を出たあと、テリィは自嘲気味に笑う。
苦悩する横顔に、鈍(にび)色の陽が細い筋を投げて揺れた。


(俺はいつから権威にこびへつらう腰抜けになった?保身の必要があるっていうのか。結婚が近いからか?キャンディのために、あいつと平和に暮らすために?いや・・・違うな)

打ち消した途端、淡いブルーの瞳が脳裏に浮かんで消えた。
テリィはハッとする。

(なぜこんなときまで、「彼女」の顔が浮かぶんだ!)

同時に、雑誌に書かれていた字面(じづら)がフラッシュバックした。

──シェリルの元恋人は、ローゼンバーグのトップスター、ショーン・マコーレー!
そのシェリルと、怪しい関係を匂わせるテリュース・グレアム。
もしかして彼は、シェリルに懸想しているのではないか。婚約者がある身にもかかわらず──

思い起こしたら、たまらなくなった。

(キャンディはどう思うだろう。あんな記事を真に受けたら、どんなに傷つくか)

矢も楯もたまらず、テリィの足は真っ直ぐキャンディの寮へと向かった。



ノックするとすぐに応答があり、ドアが開いた途端、「まあ、テリィじゃないの!一体どうしたの?」とキャンディは驚いた顔を見せた。
すっかり日は落ち、部屋にはあかりが灯(とも)っていた。
キッチンのほうからいい匂いが漂ってくる。

夕飯の仕度でもしていたのだろうか。

「悪いな、急に押しかけて」
「ううん、全然。モニカは夜勤だから私一人よ。明日、当直明けに彼女が食べられるようにと思って、シチューを煮込んでるの。さあ入って!」

上機嫌なところを見ると、例の記事はまだ読んでいないらしい。
その点はホッとしたが、一体なんと説明したらいいか、切り出す勇気がなかなか出ない。

「あのなキャンディ、実は今日、ある雑誌が発売になって・・・」
「それなら知ってるわよ」

さえぎるように、いきなり明るい声が返ってきたからテリィは驚いた。

「シェリルとローゼンバーグのショーンのこと。それに、あなたが彼女に気があるんじゃないかっていう記事でしょ?」
「どうしてそれを・・・」
「さっきシェリルが実物を持ってここに来てくれたの。こんなの全部嘘だから絶対信じちゃダメ。悩むだけ馬鹿馬鹿しいって」

迅速で的確なフォローに仰天し、テリィはボーッとしたまま立ち尽くす。

「彼女の厚意にはホントに感謝してるわ。でもそれ以前に、本気にするわけないでしょ?あんなガセネタ。もしその弁解でわざわざ来てくれたんなら、無駄足だったわね。みくびってもらっちゃ困るわ。だって私はあなたを信じてるもの」

屈託のない笑みを浮かべ、緑の瞳をクルクルさせるキャンディは、本当になんのこだわりもないように見える。
自分を直視する目は奇麗に澄んでいて、嫉妬や軽蔑などは微塵も感じさせなかった。

「じゃあ、俺も信じるよ。君の言葉」
「良かった~。もう忘れましょうよ、あんな雑誌のこと。ねえ、せっかく来てくれたんだから夕食を一緒にどう?キャンディさま特製のシチューをご馳走するわよ」
「ほほ~、そりゃ嬉しいね。思いかげず君の手料理にありつけるなんて」

テリィがにっこりすると、「素敵!すぐ準備するからそこのソファーに座ってて」と言いながら、キャンディはキッチンへ走っていく。

表向きは、なんの波風も立たずに収まったように見えた。
そう、見せかけだけは。
だが裏を返せば、目に見えない奥の奥に、自分たちすら気づいていない「本当の想い」があるように思えた。
こだわりがなさ過ぎる。妙にあっさりしているのだ。
心のどこかで、二人ともそれを漠然と感じていた。

(テリィのお母様、いつだったか、「シェリルには好きな人がいるから、テリィと恋仲になるようなことは絶対ない」っておっしゃってたけど、その相手が、まさかショーンだったなんて!しかも別れ方が、まるで私たちと同じ。どんなに辛かったことか。テリィは彼女のこと、どう思ってるのかしら?もしもあの記事に書かれてるとおり、本当に気があるとしたら・・・そしたら私は・・・私は・・・「あの人」のところに戻っていける?)

サラダをボールに移す手が一瞬止まり、アンソニーの幻を見た。
この期に及んで、まだ彼の残像が浮かんでくるなんて往生際が悪いにもほどがある。
そんな自分に嫌気がさし、キャンディは頭を左右に強く振った。

(不思議だわ。どうしてかしら。あの記事の真相より、私は他のことばかり気にしてる。テリィがシェリルを好きで、そして彼女もテリィを好きで・・・万が一、この先二人が想いを通わせるようになったら、そしたら私は・・・どうするのかしらね?)

一方、ソファーでくつろぎながらテリィも思う。

(おかしなもんだな。キャンディは全然こだわってない。怒りもしない。馬鹿馬鹿しい記事だと一笑に付した──そう解釈すればいいいんだろうが、それにしても、冗談交じりに皮肉の一つや二つは言うだろう。言って釘を刺すだろうに。もし俺を本気で愛してるなら)

彼の脳裏にも、ブロンドの青年が浮かび上がった。恐ろしいほど鮮烈に。
もうとっくにけりをつけたはずなのに、キャンディも自分も、いつまでもその影から逃れられないことを改めて思い知らされた。




同じ頃、マンハッタンにある豪奢なコンドミニアムのペントハウスでは、レイモンドが探偵のレーノルズから調査報告を受けていた。
アードレー家の秘密はあらかた調べつくされ、新しい情報は途絶えていたが、つい最近、アンソニーに関する興味深い噂をつかんだと、レーノルズはしたり顔になっている。
いつものように黒ブチのメガネをいじりながら、彼は神経質そうな声で話した。

「というわけで、あなた様のためにはるばるボストンまで足を運んだわけですよ。あの若造、叩けばいくらでも埃(ほこり)が出ると思いましてね」
「で、出たのか?」

つまらない前口上は不要とばかりに、レイモンドはじれったそうに男を見下ろす。

「勿論出ましたとも。とっておきのが二つほど。但し、高くつきますよ。なんせボストンは遠いですから。旅費だけでも・・・」
「そんな心配は無用だ。俺を誰だと思ってるんだ?支払いは言い値で請け負ってやる」

じらされるのに耐え切れなくなったのか、レイモンドはいらついて相手の話をさえぎった。

「これは、とんだ失礼を」

上客の機嫌を損ねては商売上がったりと思ったのか、レーノルズはあわてて本題に入る。

「あの若造がまだ進学校にいる時分、奴は18歳でしたが、ハーバードの女子医学生に横恋慕しましてね。その女ってのが、なんとシャルヴィ家の長女だったそうで」
「シャルヴィ?」
「ええ、あのシャルヴィです。ご存知でしょう?アードレー家と覇権争いをしている、例のシャルヴィです」

俄然興味が湧いたのか、レイモンドの瞳は突然妖しい色に輝き出した。

「ほお~、それで?横恋慕ってことは、女のほうには相手がいたんだろう?結末はどうなったんだ。女を巡って浅ましい決闘でもしたのか?」
「自殺ですよ。その女──アンジェラっていうんですが、クリスマスの朝、チャールズ川に身投げしたそうです。当時はもう大変な騒ぎになったらしくて」

そこまで聞き、レイモンドには衝撃が走った。
なぜ女は命まで絶ったのだろう。恋人がいたのに。
まさかアンソニーに追いつめられて?
これまでのイメージだと、誠実そのものの青年にしか思えなかったから、今の話は意外すぎて、にわかには信じれなかった。

疑惑の目を向けるレイモンドに、レーノルズは順を追って説明していく。
ロシア革命に身を投じた恋人エドワードのこと。
シャルヴィ家当主であり、義父でもあるパトリックとの葛藤。
その妻ジャクリーンの容赦ない仕打ち。

アンソニーと出会ったことで、激しく揺れ動いたアンジェラの心。
そしてエドワードの処刑──

それらを聞いているうち、この娘にとってアンソニーの存在が、いつの間にか「青臭い下級生」から「運命の男」へと変わっていったことが容易に想像できた。
そして追い討ちをかけるように、二度目の記憶喪失がアンソニーを襲ったという事実。
まるでドラマのような悲劇に、さすがのレイモンドも言葉を失った。

「例のキャンディスに再会したのは、二度目の事故から一年以上経ったあとです。記憶を失ってましたから、自分がアンジェラを愛し、死に至らしめたことを思い出せないまま初恋の相手に会ったわけです。なんとも滑稽といいますか・・・。知らぬが仏とは、まさにこのことですな」
「でも、そのときキャンディにはもう、テリィがいたんだ」

レーノルズの冷やかしなど、まるで耳に入っていないかのように、レイモンドは小さくつぶやいた。
プルシアンブルーの瞳には、ほんのわずかだが切ない色が浮かんでいるようにさえ見える。

「で、結局ヤツの記憶は戻ったんだな?」
「はい。レイクウッドでキャンディスと過ごしてしばらくした頃に。もっとも彼女は別の男にプロポーズされて、ほどなくここへ来てしまいましたがね」

薄ら笑いを浮かべる探偵に、「知ってるよ。それがテリィなんだろ?」とレイモンドは冷めた視線を投げた。

(再会したときは既に遅し・・・か。キャンディには将来を誓い合う相手がいた。これには泣けてくるよな。世間知らずの坊ちゃんとばかり思ってたが、どうしてどうして、俺に負けないくらいの修羅をくぐってきたんじゃないか!)

フーッと息を吐くと、レイモンドは立ち上がって窓辺に歩いていく。
眼下には大都会の喧騒と闇。
はるか彼方に灯(とも)るガス灯をぼんやり眺めながら、初めて見たときのアンソニーを思い浮かべた。

キャンディとテリィの婚約パーティー。
人目もはばからずに流していた涙──あれはキャンディを奪われた哀しみだったのか。それとも、取り返せない忌まわしい過去を哀れんで泣いたのか──
決して同情できない憎むべき相手のはずだが、思いがけず浮かんだほんのわずかの憐憫(れんびん)に、レイモンドは動揺した。


「それと、もう一つの情報ですが・・・」

探偵の声で意識を呼び戻され、レイモンドは顔だけ向ける。

「自殺したアンジェラの妹が、今、アンソニーに急接近しているという噂を耳にしました」

妙な展開にレイモンドは眉をひそめる。

「フェリシアっていいましてね、あの若造と同じハーバードの医学部に在籍しています。なかなかの美人ですよ」
「ふーん。それでアンソニーのほうはどうなんだ?」
「さあ・・・。今のところ、娘の一方通行じゃないかと。なぜフェリシアがあの男になびいたのか理由は定かでないんですが、一つだけはっきりしているのは、お互い去年の夏、ほぼ同時期にシカゴに帰省してましてね、そのとき何かあったんじゃないかと私はにらんでいます」
「まさか、ヤツが手を出したんじゃないだろうな?」

段々興奮してきて身を乗り出すレイモンド。
レーノルズはニヤッと笑い、「気になりますか?ご希望とあらば、調べを入れますが」と、いやらしい目つきをした。

「いや、いい。今聞いたことだけで十分だ」

申し出を断ると、レイモンドは再び視線を窓外へ戻し、シャルヴィ家の姉妹を思い描いた。

(アンジェラとフェリシア──揃いも揃って同じ男を好きになったっていうのも何かの因縁だな。いや、それよりもっと面白いのは、娘たちの実家がアードレー家と敵対関係にあるってことだ。これは何かのときに使えそうだぞ!絶対損にならない情報だ。万一アンソニーが両方の娘と深い関係になっていたとしたら、アードレー家を脅迫する最大の武器になるかもしれない)

レイモンドは野心を取り戻し、その瞳はマンハッタンの夜景のように鈍く不気味に光った。




国家試験まであと少しという週末、ブライアンはやっとの思いで時間をひねり出し、パティをパブリックガーデンに誘った。
「こんな大事なときにやめとけよ」と説得するアンソニーを振り切っての強行軍だ。
こうと決めたら邁進するのは、アンソニーもブライアンも同類だった。

「今でなきゃダメなんだ。今会わなきゃ、何も手につかない。そのほうがもっと困るだろ?」

互いの性格はいやというほどわかっているから、ブライアンがそう言い切ったとき、アンソニーは何も言わず、気持ちよく相棒を送り出してやった。