「おやおや、二人でコソコソとなんの相談ですか?」
テリィは警戒し、手元の記事を素早く内ポケットに押し込める。
「今、何か隠しませんでした?僕に見られるとマズイものだったりして」
テリィもシェリルも申し合わせたように互いの目を見ると、挑発には乗らずにだんまりを決め込んだ。
「やっぱりね。見られちゃマズイものなんだ。とすると、さしずめアンソニー・ブラウンの暴露記事ってところでしょうかね」
瞬間、二人は青冷めた。
どうしてそんなに勘がいいのかとでも言いたげな顔つきになってしまう。
役者の演技力をもってしても、こればかりはどうしようもないのだ。
「図星・・・か。ちょっと興味あるんですけど、どうしてそんなに、そのアンソニーって奴に執着するんですか?いつだったかボストン公演に出向いたとき、僕らの楽屋に血相変えて飛び込んできたでしょ、アンソニーが。もしかしてキャンディがアードレー家の養女であることと関係があったりして。一体どういう間柄なんですか、あなた方」
追いつめて混乱させようとしているのか、レイモンドは口角をつり上げ、面白そうに笑った。
だがテリィは冷静だ。
「こっちこそ興味あるね。なぜ君はアンソニーのことにやたらと首を突っ込みたがるんだい?確かキャンディが勤めてる病院の同僚が結婚したとき、パーティー会場へ押しかけてきたことがあったな。招待されてないばかりか、なんの関係もないのにおかしいと思わないか?もしかすると、アンソニーとキャンディをからかう目的で乗り込んできたんじゃ・・・」
テリィの切り返しで立場が逆転し、今度はレイモンドが劣勢になった。
まさかここでジェフリーとレイチェルの結婚パーティーを引き合いに出されるとは!
不意をつかれて、端正な顔に焦りが浮かぶ。
「からかうなんて滅相もない。あの場にキャンディがいたなんて、これっぽっちも知りませんでしたからね。ましてや僕はアンソニーに一回しか会ったことがない。二人の関係も知らないのに、どうして冷やかす必要があるんです?」
(よく言うよ。かなりのことを知ってるようにお見受けするんですがね、トップスターさん)
見え透いた嘘をつく策士を、テリィは鼻でせせら笑う。
「その様子じゃ、まだ信じてくれてないようですね。疑いをかけられて心外だなぁ。あのときはたまたまレストランで食事してただけですよ。女の子と一緒にね」
「ほお~、名の通ったレストランで堂々と女と食事ね。こりゃまたガードがゆるい」
「いけませんか?」
「別に。そんなことはどうでもいいさ。ただ、食事してただけの君が、何を好き好んで他人の結婚を見に顔を出したのか、相変わらず解せないと思って」
「あなたもしつこいな。ジェフリー・ホーウィットの結婚式だと偶然知ったから興味を持ったんですよ。以前彼に診察してもらったことがありますんで」
「これはまたまた驚きだね。その、ジェフリーなんとかって男は、そんなに有名な医者なのかい?君がすぐにピンとくるくらい」
「当然です」
「本当かな~?俺なら診察してもらった医者の名前なんか、すぐ忘れちまうけどね。よっぽど印象に残らない限り」
更に疑い深い目を向けられ、いよいよ不利な状況になってきたのを肌で感じ取る。
ひとまず退散したほうがいいと判断したレイモンドは、置き土産に捨て台詞を吐いていった。
「屁理屈をこねる暇があったらアンソニーのことを心配したほうがいいですよ。近いうちに、もっと度肝を抜かれる記事が出るかもしれませんから」
不敵な笑いと共に去っていく背を見送りながら、テリィは嫌な予感にさいなまれる。
「度肝を抜かれる記事だって?どういう意味だ。これ以上何が起こるっていうんだ!」
興奮する相棒を鎮(しず)めようと、今まで口を出さなかったシェリルがそばに寄り添った。
「もうやめましょ。それ以上悩んだって無駄よ。何か仕掛けてくるならドンと来い!だわ。それに考えてもみて。彼だってトップスターの地位を失うのは怖いはずよ。どうせ大したこと出来っこない。それより今は舞台の成功に全力を注ぐべきだわ。観に来てくれる大勢のお客さんのために・・・ネ!」
テリィの肩をバシッと叩いて元気づける彼女は、元通りのシェリル・ドレイファスに戻っていた。
かつての恋人の裏切りにもめげず、常に前を向こうとする心意気に、テリィは心の底から脱帽した。
暴露記事が掲載されてから一週間後、ついにシャルヴィ家が動き出した。
当主のパトリックからアードレー家に連絡が入り、当事者であるアンソニー、総長のウィリアム・アルバート、その補佐役であるアーチーボルトにシャルヴィ本宅へ出向いてくるようにという内容だった。
その知らせは即刻ニューヨークのアルバートとアーチー、そしてボストンのアンソニーに伝えられ、三人とも大慌てでシカゴに集結した。
ブライアンはギリギリまで心を砕き、病院でアンソニーがやるべき一切のことを引き受けてくれた。
「君がアードレー家の人間だってことは遅かれ早かれ知れ渡るだろ?避けては通れない運命だったのさ。だから後悔のないように立ち向かって来い。たとえ何が起ころうと、俺はアンソニー・ブラウンの味方だから」
いつもながら頼もしいエールと共に、相棒は力いっぱい背中を押してくれた。
時を同じくしてフェリシアも、父であるパトリックから呼び出された。
初めはシカゴ行きを渋った彼女だが、「今回だけはどうしても来い。でないと、アンソニーは益々不利な立場に立たされるだろう」と脅迫じみたことを言われたので、仕方なく言いつけに従った。
一方キャンディはヤキモキしながらアルバートとアーチーを見送った。
いや、見送るしかなかった。
シャルヴィ家から召集がかかったことをアルバートに聞いてからというもの、一緒に行きたい気持ちでいっぱいだった。
アンソニーが心配でたまらないのだ。
シャルヴィが仕掛けた罠にはまりはしないか、今の暮らしが脅かされはしないか、気が気でない。
たとえ微力でもいい、そばにいて支えになりたかった。
だがどんなに思ったところで、どうにもならないのだ。
アンソニーと自分はなんの関係もないのだから。
何一つしてやれないことを恨みながら、ひたすら無事を祈るしかなかった。
「ホントにしょうがないなぁ、おちびちゃんは。そんなに悩んでどうするんだい?これ以上テリィに迷惑かけちゃいけないよ。大丈夫、アンソニーは無事に連れて帰るから」
「キャンディ、心配しないで。アンソニーは必ず僕らが守る!その覚悟で乗り込むんだ。だから君は安心していつもどおりにしておいで」
アルバートとアーチーの言葉が胸に優しく、静かに響いた。
三人がシカゴの本宅で顔を合わせたのは、シャルヴィ家から連絡が入った二日後だった。
エルロイに挨拶を済ませてからジョルジュが運転するリムジンに乗り込み、アンソニー、アルバート、アーチーはシャルヴィ家本宅に向かった。
アードレー家を出発すると、車は市街地へと走っていく。
シカゴ商品取引所、マコーミック・プレイスコンプレックスなど、ダウンタウンに林立するオフィスビルをすり抜けていくとき、あちこちにアードレー家の紋章が見えた。
否が応でも「威信」を実感する瞬間だ。
この強大な一族の頂点に立つのが、他でもないアルバートなのだ。
気さくな人柄ゆえ平素は考えたこともないが、彼の両肩にのしかかる重圧を思った途端、ひととおりでない重苦しさを感じた。
(普段は僕らとわけ隔てなく接してくれるけど、実はすごい人なんだ!アルバートさんは)
アンソニーもアーチーも、それぞれの胸の中でそうつぶやいたに違いない。
一方で、シカゴに君臨する「もう一つの権威」も、否応なしに意識せずにいられなかった。
アードレーの紋章と同じ位の数のシャルヴィ家紋章が視界に飛び込んでくるのだ。
まるで競い合うように、それぞれの威厳を象徴して存在する両家の紋章。
目にした者は誰もが認識するだろう──アードレーとシャルヴィの覇権争いは、実に根深く、激しいと。
ホーム・インシュアランス・ビル、タマコビルディングを過ぎ、車は更に進んでいく。
ビルが途切れ途切れになり、緑を帯びた景色に変わってきた頃、強めの風が時折車体を揺らすことに気づいた。
ミシガン湖からの季節風が木々の葉を煽っているのが、車窓からもよく見える。
まさにWindy City の愛称にふさわしい風情だ。
郊外に入ってからどれ程車に揺られたろうか。
「敵陣」が、いよいよ眼前に迫ってくる。
高級住宅地の中心にある豪勢な邸宅が、パトリック・シャルヴィの「居城」だった。
正門からエントランスまで、気の遠くなるほど長く続いているバラの道を車は進んでいく。
こういった演出はアードレー家とさして変わらないが、違っているのは、植え込まれているのも、アーチに絡んでいるのも、すべて真紅の豪奢なバラという点だ。
この屋敷には、アンソニーが精魂込めた品のいいスイートキャンディは勿論ないし、控えめなアンジェリック・ブラッシュも、可憐なつるばらも、おとなしい色合いのバラたちは全く存在しなかった。
庭園の噴水も、エントランスにしつらえた彫刻もしかり。
一切すべてが、アードレー家のそれより、激しく、わざとらしく自己主張していた。
「ふん!成金趣味め」
リムジンから降りるなり、アーチーが吐き捨てるように言う。
「ここまでしないと気がすまないタイプなのかもな、パトリック・シャルヴィは」
アルバートもげんなりした顔つきでアーチーに応じる。
「虚勢は自信のなさの裏返しですよ。大したことないな~、ここの当主は」
「しーっ、聞こえるぞ。もう敵の陣地だ」
うっかりしたという表情で、アーチーは頭を掻く。
一歩遅れてついていくアンソニーだけが、複雑な面持ちで周りの景色を見つめていた。
──あなたもここで暮らしたことがあるんだろうか。この道にも、無数のバラたちにも、あなたの思い出がしみこんでいるんだろうか──
ふと懐かしい女性の面影が浮かび上がり、青い瞳は切なげに夏空を見上げた。
その様子に気づいたアーチーは、あわてて謝罪する。
「シャルヴィのこと、さっきはけなして悪かった。アンソニーにとっては大切な存在だよな?ここはアンジェラの実家なんだから」
「いや、いいんだ。過去のことさ。それに、あの人はもういない。僕とシャルヴィ家はなんの関係もないよ」
「よく言った!それでこそアンソニーだ。いつまでもしがらみに縛られてちゃ前に進めないぞ。辛いかもしれないが、今日は心を鬼にしろ」
アルバートはいつになく真剣な顔で、甥の肩をポンと叩いた。
通された部屋は、絢爛(けんらん)な応接間。
ここでもシャルヴィ家の虚勢を見せつけられた。
アンティークの調度品。豪華な絨毯。目を見張るようなシャンデリア。法外に値の張りそうな絵画。
どれもこれもが贅を尽くした逸品で、派手さに度肝を抜かれたが、一つ一つの個性が強すぎるし、高価なばかりで統一感がなく、全体としてちぐはぐな取り合わせに思えた。
アーチーはここでもイライラを募らせ、アルバートは白けた顔つきで品定めし、アンソニーは所在なげに窓の外を眺めた。
30分近く待たされたろうか。やっとホストが顔を見せた。
当主のパトリック、妻のジャクリーン、そして娘のフェリシアだ。
アンソニーと目が合うなり、フェリシアは遠慮がちに会釈した。アンソニーもそれに応じる。
二日前、別々にボストンを発つとき、互いに約束したのだ。
いまだ謎のままだが、両家をおとしいれようとしているらしい悪質な黒幕の企みにハマらないようにと。
だが二人の配慮をよそに、パトリックの無慈悲な第一声が静寂を破った。
「ようこそアードレー家の皆さん。これまでまともにお会いする機会に恵まれませんでしたが、今回やっと、思わぬ一件からこういう運びになって光栄ですよ」
そう言うなりアルバートに意味ありげな視線を送り、にやりと笑う。
「なるほど、確かにお若い当主だ。いや、若すぎると言ったほうがいいかな。あなたの存在が初めて公になったときの衝撃は今でも忘れませんよ。年配の紳士だと信じ込んでいた社交界を見事に欺いてくれましたからなぁ。おまけにこのとおりの美貌だ。さぞやモテるに違いない。当主夫人の座を狙っている女性は星の数ほどいるでしょう。この際だ、つまらない事業になど精を出しとらんで俳優に転向したらどうです?さぞかし売れるでしょうに」
強烈な皮肉だなと、アルバートもアーチーもアンソニーも憤る。
「さてさて、冗談はさておき、本題に移るとしますかな。ご存じのとおり、奇特な方が極秘情報を当家に寄せてくださり、アンソニー君の出自を世間に公表させてもらいました。何かきっかけがなければ、恐らくこの先一生アードレーを名乗ることなく、日陰の生活だったでしょうから、かえって良かったのでは?」
パトリックは、したり顔でアンソニーをちらりと見やる。
「さあどうでしょう。少なくとも僕は、日陰の生活と思ったことは一度だってありません。むしろ医者として生きる道が開けたことを誇りに思ってますよ。今更アードレー 一族だと公表されようがされまいが、さして関係ないです」
冷めた答えが返ってきて癪(しゃく)に障ったのか、パトリックは眉間に皺(しわ)を寄せ、不快感をあらわにした。
「おやおや、随分とシニカルな物言いをされる。気の毒だと思って、ウォルター・ウィルキンソンの一件は伏せて差し上げたんだが、それも新聞社に流すことにしましょうかな」
不敵な笑いが起こった次の瞬間、アードレー家の三人は揃って苦い表情を浮かべる。
(ウォルターの一件だって?こいつ、一体どこまで情報をつかんでるんだ)
「信頼していた執事が、こともあろうに当主の甥を二度まで殺そうとするなんて、あってはならない話ですからな。そんな人物を信じて取り立てていたなんて、アードレー家は愚者揃いだと笑われても仕方ないでしょう。今後のビジネスに悪影響を与えることは間違いない」
「お父様、いい加減にして!そんなの脅しよ。アードレーの皆さんに失礼だわ」
たまりかねてフェリシアが割り込むと、「お前は黙っとりなさい。話の腰を折らせるために、ボストンからわざわざ呼び寄せたわけじゃないんだ」と聞く耳を持たないパトリック。
「じゃあ、なんのために私を呼んだんですの?」
「それはね、いざというとき、あなたは大事な切り札に使えるからよ。ここにお揃いの殿方たちが、ことごとく私たちの提案をはねつけるようなことがあったら・・・ね」
無言を貫いていたジャクリーンが夫の代わりに口をはさんだ瞬間、異様な雰囲気が部屋全体を押し包んだ。
さすがは「シャルヴィ家の黒幕」とまで噂される人物。
頭の回転の早さと底意地の悪さは人後に落ちないらしい。
フェリシアを利用して何をしようというのだろう。
得体の知れない企みに、不気味さだけが募っていく・・・
「私が切り札って、どういうことです?」
不安げに尋ねるフェリシア。
だがジャクリーンは「いずれわかるわ」としか答えなかった。
のらりくらりと話して焦(じ)らすばかりで、なかなか本音を見せないシャルヴィ夫妻に業を煮やし、アルバートはついに正面から戦いを挑む。
「ここは一つ、単刀直入に条件を提示して頂きましょう。あなた方は一体何をお望みです?アンソニーの身の安全と引き換えに、我々に何をして欲しいんですか」
「身の安全とはごあいさつだな。そういう言い方はやめたまえ。別にアンソニー君をどうこうしようってわけじゃない。ただ・・・君たちがニューヨークに拠点を築いたniche market (すきま市場)の利権を譲って欲しいだけなんだがね」
瞬間、アードレー家三人の顔面が蒼白になった。
「ほらみろ、やっぱり脅迫じゃないか!」
思い余ってアーチーがつかみかかりそうになったところを、アルバートが手で制す。
「niche market というのは、消費財メーカーの バクスター・コーポレーション のことを言ってるんですか?ついこの前、私とアーチーボルトが契約を取り付けたばかりの」
「さよう。マーケティング担当者は、ウォルター・ヒューズとスタンレー・ピアソンだ」
「何年もかけて交渉した末、やっとニューヨークに足がかりをつけた案件を、いとも簡単に横取りしようというわけですか、シャルヴィ家のお歴々は」
なるべく穏便にことを運ぼうと努めているアルバートだが、表情が徐々に険しくなってくる。
「横取りとは人聞きの悪い。もともとニューヨークの niche market に目をつけていたのは我々シャルヴィ家なんだがね、ウィリアム・アルバート君」
急に上から目線の言葉遣いになったのも気に食わず、アルバートの声は益々威圧的になっていく。
「目をつけただけでは話になりません。そこからいかにしてクライアントをつかみ、折衝してビジネスを軌道に乗せていくかが起業家としての腕の見せどころでしょう。違いますか?」
そうまで言われた途端、コンプレックスを刺激されたのか、パトリックの声色は興奮じみたものに豹変した。
「30そこそこの若造に何がわかるか!由緒あるアードレー家をつぶされたくなかったら、黙って要求に従えばいいんだ。 バクスターの権益を我々に譲りたまえ。さもないと、そこにいるアンソニー・ブラウンの悪行の数々、もっと大々的に新聞社へリークしてもいいんだがな」
「悪行の数々?」
アルバートとアーチーは、ほぼ同時に繰り返した。
「はて、おかしなことをおっしゃる。アンソニーは私の甥っ子で幼少の頃からずっと見てきましたが、不器用なくらい正直者で、その上お人好しときてます。間違っても悪行を働くなんてありえません。誓ってもいい」
「そのとおりです。僕だって証人になりますよ。こいつほど真面目で他人思いの奴はいない。どこを指して悪行の数々なんて言えるんですか?」
憤慨したアーチーも鼻息荒く加勢する。
だがシャルヴィ夫妻の反応は冷ややかだった。
「そこまで言うなら聞きますが、そんな実直な男が、なぜ我々の娘を二人ともたぶらかしたりしたんですか。え?おかしいでしょう。アンジェラは散々惑わされた挙句に自殺するし、ここにいるフェリシアだって随分泣かされたそうじゃないですか。もてあそんで骨抜きにする・・・たちの悪い遊び人ですよ、アンソニーは」
「本当に。なんとかして責任を取ってもらわなきゃ、親として収まりませんわ」
勝ち誇ったような顔つきのパトリックとジャクリーン。
フェリシアだけが肩を震わせ、激しい憎悪を二人にぶつけた。
「なんてこと言うの!私たち姉妹がたぶらかされたですって?とんだ言いがかりだわ」
「だってそうでしょ?この人に言い寄られさえしなければ、アンジェラはエドワードと結婚したはずですよ。今頃はきっと幸せに暮らしてるわ」
白々しいことを言ってのける継母に、フェリシアは益々激昂(げっこう)する。
「今更よく言えたもんだわ。姉さんを追いつめてボストンに駆け落ちさせたのはあなた方じゃないですか!」
「あなた方だと?親に向かってその口のきき方はなんだ」
「親なら親らしく、娘の幸せを見守ってやれば良かったでしょ。なのにお父様ときたら、姉さんに好きな人がいるのを承知の上で、イギリスのいやらしい中年公爵と結婚させようとしたじゃない。忘れたとは言わせないわ」
「それ以上言うと、いくら実の娘でも容赦しないぞ」
「どうとでもご自由に。そこにいるお義母様の操り人形になってしまったパトリック・シャルヴィなんて、もう父とは思わない。きっと今頃アンジェラ姉さんも悲しんでるわ」
「なんだと!」
手がつけられないほどエスカレートした親子の言い争いを、アードレー家の面々が止めに入ろうとした矢先、ジャクリーンがしたり顔で言う。
「まあまあフェリシアったら、すっかり興奮してしまって。男性陣の前で見苦しいですよ。だけどこれではっきりしたわね。あなたをそんなふうに熱くさせるのは、他でもない『彼』の仕業なのよ」
「どういう意味ですか?」
しつこく食い下がるフェリシア。
「まさか気づいてないってことはないでしょう?自分の気持ちに」
「だから何が言いたいんです?」
「じゃあはっきり言うわ。あなたはそこにいるアンソニー・ブラウンに惹かれてるのよ」
「なんですって!」
その場にいた全員が仰天するような大声を出してしまい、フェリシアは自分で驚いて口をふさいだ。
「ほらご覧なさい。我を忘れて叫ぶほど彼にぞっこんなのよ。男勝りで恋愛音痴のあなたが、ここまでになるなんてびっくりだわね。一体何をされたのかしら?」
いやらしげな含み笑いが続いたが、実の父であるパトリックは呑気に笑っている心境ではない。
「アンジェラはともかく、フェリシアは私の大事な娘だ。傷物にされて黙ってるわけにはいかん。責任は取ってもらうぞ」
「傷物って何よ!アンソニーは私に指一本触れてないわ。なのにその言い草、失礼にも程がある」
「指一本触れてないですって?そんなわけないでしょう。でもそう言うしかないわよね。みんなのいる前で、『私とアンソニーは深い関係です』なんて恥ずかしくて言えるはずないもの。たとえ本当のことでも」
「お義母様!」
怒りを通り越して涙がにじんできた。
アンソニーに申し訳なくてたまらないのだ。
だが泣いている場合ではない。
あふれ出そうになるものをグッとのみ込み、真正面に見えるブロンドの髪を目でなぞった。
アンソニーは拳を握りしめたまま、苦しそうな面持ちで下を向いている。
一瞬の間があって、彼は重い口を開いた。
「責任を取れとは、どういうことでしょう。具体的に何をお望みなのか聞かせていただきたい」
待ってましたと言わんばかりにパトリックがニヤッと笑う。
「ではズバリ言おう。フェリシアと結婚してやって欲しい。そうすればシャルヴィとアードレーは縁続きになる。今までの確執は消えて、めでたしだと思うがどうだろう」
今度はアルバートが笑い出す。
「縁続きになってライバル関係を解消すれば、確かに見た目は win-win situation でしょう。いや~、見事な筋書きだ。感心しますよ」
「でもその実、アードレー家が携わってる事業をすべて乗っ取る腹づもりなのでは?それじゃあとても win-win とは言えないなぁ」
アーチーが苦々しい表情で付け足した。
「提案をのんでいただけないなら、マスコミにリークするしかありませんわね。アンソニーさんのお気持ちはどうなのかしら?お家(いえ)のために一肌脱いで、フェリシアと結婚する気はありませんの?」
狡猾な笑いを浮かべ、ジャクリーンがにじり寄る。
「僕は・・・」
唇を噛みしめ、うつむいたままのアンソニーを見るなり、フェリシアの胸は針で刺されたようにチクリと痛んだ。
(そんな哀しい顔しないで!わかってたわ、あなたは私のこと、なんとも思ってないって。温かい微笑みも優しい心づかいも気さくなおしゃべりも、すべては友人としてのフェリシアに向けられてただけ。あなたは一度も、私を女として見たことはない)
「お父様、お義母さま、これ以上アンソニーを困らせないで。その代わり私に言ってちょうだい。どうすれば満足するの?何をしたらマスコミへのリークを取り下げてくれるの?」
ハキハキした口調でフェリシアが言ってのけたとき、困り果てていたアードレー家の三人は、ハッとして顔を上げた。
そのときアンソニーの瞳に映ったのは、凛として気高い決意に満ちた顔。
一切の責めを自分一人で背負おうとしている、高潔な眼(まなこ)だった。
エメラルドに縁どられた凛々しい目は、もしかしたらアンジェラのそれより美しいのではないかと、アンソニーは初めて思った。
(女性ながらあっぱれだよ。君は男より男らしい。それに比べて、僕はなんて優柔不断なんだ・・・)
「アードレー家と縁続きになれないとすれば、他の結婚相手を探さねばならんな」
結婚と聞いて、さすがのフェリシアもビクッとした。
「そうですわね。シャルヴィ家を磐石(ばんじゃく)にするためですもの、喜んで嫁いでくれるでしょう、フェリシアは」
「誰なんです?その相手って」
恐る恐る尋ねる。
するとジャクリーンは薄ら笑いを浮かべた。
「さっきあなた自身が口にしたじゃない?イギリスのいやらしい中年公爵って」
「まさか、あの人と私を?」
聞いた途端、たちまち血の気が引いていく。
「あらどうしたの?さっきまであんなに威勢が良かったのに。クラクストン公爵がそんなに嫌い?私はいい縁談だと思うのよ。あなたにはイギリス人の血が流れてるんだし、故郷に帰れるチャンスじゃないの。公爵様はずっと年上だから、きっと大事にしてくださるはず。それにアンジェラがいない今、花嫁候補はあなたしかいないのよ。ここで覚悟してもらわなきゃ困るわ」
唇が震え、うまく言葉が出ない気がしたが、なんとか絞り出す。
「でも仕事が・・・。医師免許を取ったばかりですし。病院をやめるわけにはいきません」
「別にあなたじゃなくてもいいわよね?代わりの医者はいくらでもいるわ。でもクラクストン公爵の花嫁には代役がきかないのよ」
きつく言い渡され、二の句が継げなくなったとき、助け舟を出したのはアンソニー。
「代わりがいくらでもいるなんて、そんなことありません。フェリシアは優秀なレジデントです。担当している患者さんも沢山いる。今彼女に放り出されたら、患者はどうすればいいんですか?」
「だから他の医者が代わりに担当すればいいだけの話でしょう?そんなにかばうなら、あなたが結婚してやってくださいな。そうすればフェリシアは病院に残って医者を続けられますわ」
今度はアンソニーが絶句する。
何か言わなければいけないとはわかっているのだが、焦れば焦るほど言葉が浮かんでこない。
恐らくは二、三分も経っていないだろうに、一時間も二時間も経ったような気味の悪い沈黙が部屋中を覆った。
「どうするおつもり?黙っていてはわかりませんわ、アンソニーさん」
にじり寄るジャクリーンに、パトリックも加勢する。
「さあ、決断して頂きましょうか。アードレー家とフェリシアのために」
フェリシアのために、という一言は、かなりきつかった。
アンソニーの正義感を、もろに刺激する決定打だったから。
追いつめられたその瞬間、キャンディの笑顔が脳裏いっぱいに浮かび上がる。
すべてを犠牲にしても、手に入れたかった、ただ一つのもの。
命ををかけて幸せにしてやりたかった、ただ一人の女性。
たとえ彼女がテリィと結婚しても、陰で見守ることだけは許されるはずだった。
自分は生涯独身でかまわない、ただ彼女を想っていたかった。
だがフェリシアと結婚したら、ささやかな望みすら、もぎ取られてしまう。
想ってもいけない、幸せを祈ってもいけない。
なぜならそうしてしまった瞬間、待っているのは「道ならぬ恋」だから。
妻になるフェリシアを裏切ることは許されないのだ。
だからもう、二度と追い求めてはいけない。
今度こそ、キャンディは遠い空へ舞い上がっていってしまう。
決して追いつけない、手繰り寄せられない高みへと。
真綿で首を絞められるような息苦しさを感じ、うつむいた直後だった。
「わかりました。私がクラクストン公爵と結婚すれば、すべて丸く収まるんですね?」
フェリシアの声が、哀しく静かに響き渡った。
はじかれたようにアンソニーは顔を上げる。
目の前には、さえざえとしたエメラルドの瞳。
さっきと同じ、決意の眼差しがあった。
「良かろう。後悔はないな?」
念を押すパトリックに、「ありません。覚悟を決めましたから」とフェリシア。
「ちょっと待って!でもそれじゃあ仕事は?病院はどうするんだ」
あわてふためくアンソニーに、彼女は優しく笑った。
「大丈夫、心配しないで。あなたはあなたの道を歩いてちょうだい。私の分まで・・・ね」