キャンディキャンディ長編二次小説(バラの薫る季節に) -14ページ目

キャンディキャンディ長編二次小説(バラの薫る季節に)

アンソニーメインの二次創作・ファンフィクション「バラの薫る季節に」を掲載しております。


「不思議なもんでさ、今朝の記事を見た途端、気持ちが萎えた。今まで風船みたいに膨れ上がってた恋心が、パチンと音を立てて弾けたんだ。嘘みたいな話だろ?でも本当なんだ」
「それって、キャンディは完全に過去の人ってこと?」

くぐもった顔でアーチーがつぶやく。

「いや、その逆」
「どういう意味?」
「過去の人になったのはシェリルのほう。彼女への恋心が破裂したのさ。風船がパンって割れるみたいに。理由はわからない。でも急にそういう気分になっちまった。なぜだろう、あれほど気になる存在だったのに。そのあと不思議な気分になった。今まで俺は夢を見てたんじゃないかって。キャンディの存在が薄れるほどシェリルを思った時期が確かにあったけど、催眠術にでもかかってたんじゃないかって思ったよ」

一挙にまくし立てたあと、テリィは黙り込む。
その途端、日陰に太陽が差し込んだように、アーチーの顔がパッと輝いた。

「ってことは、キャンディに対する気持ちは変わってない?」

テリィは静かにうなずく。

「シェリルは大丈夫。俺がいなくても自力で逆境を乗り超えられる女さ。君も見て知ってるだろう?でもキャンディはシェリルほど強くない。誰かが守らなきゃダメなんだ。アンソニーがああいうことになった今、あいつを支えてやるのは俺しかいないんだって強く思った。そしたらまた、いとおしくてたまらなくなった。不思議だな」

アーチーはテリィのところへ歩いていき、背中をパンッと叩くと、「こいつめ!ヤキモキさせやがって。もしキャンディが放っておかれたら、僕が守ってやらなきゃって一瞬思ったじゃないか」と涼しげに笑う。

「そんなことしたら、アニーとアレクシスはどうなる?」
「さあ・・・アルバートさんがなんとかしてくれるだろう」

冗談に決まっているが、青い目の中にいくばくかの真実が見え隠れしてテリィは焦る。

「おいおい、そりゃあおふざけが過ぎる。妻子もアルバートさんも途方に暮れるだろうし、第一、そこまでされたらキャンディはいい迷惑だ」
「あはは、そうかもな」
「また言われちまうぜ。『アニーをよろしくね』って」
「待ってくれよ、それじゃあ聖ポール学院の裏庭と同じじゃないか。またまた僕の真剣な想いは、うまいことかわされちゃうわけ?」

アーチーは冗談めかして言ったが、内なる声は狂おしく叫んでいた。

(本気だよ、キャンディ。もし君が僕を必要とするなら、たとえアニーの手を離しても、今度こそそばにいる。たとえそれが社会的に許されない行為であっても。誰にどれだけ非難されようといいんだ。それで君が幸せになれるなら)

その直後、アーチーは何回か頭を左右に激しく振った。
恐れ多いことを考えついた自分が怖くなったのだろうか。
理性を殺し、感情に流されて暴走すれば、傷つくのはキャンディだ。
過ちを犯しそうな心に鞭打ち、唇を強く噛んだ。

「そういえばレイモンドの奴、この前おかしなことを言ってたな」

アーチーの妄想をかき消すように、テリィの不安げな声が響く。

「『アンソニーが実は生きていた』って、新聞に載ったときのことさ。『そのうちもっと衝撃的な記事が出ますよ』って、あいつは言った。それってもしかして今朝の記事のことじゃないか?」

アーチーの顔がみるみるうちに青ざめていく。

「どうしてあいつにわかるんだ。占い師じゃあるまいし」

足を組み替え、背もたれに体を預けると、テリィは眉間に皺を寄せて考え込む。
ややあって、しぼり出すような声が聞こえた。

「まさかレイモンドが一連の騒ぎの火付け役ってことはないのか?」
「だとしたら、なぜだ。ブロードウェーの役者がアードレー家となんの関係がある」
「それがわかれば苦労はないさ。でもあいつが黒幕だとしたら、今までの不可解な行動にも合点がいく。そう思わないか?」
「確かに。いずれにせよ、もうすぐ答えは出るさ。今、調査をさせてる最中なんだ。アルバートさんが雇った探偵にね」
「探偵か・・・そりゃいい!さすがはアードレー家の総長。手回しがいいな」

ウィンクしながらテリィが指をパチンと鳴らす。
一方のアーチーは、武者震いが止まらなかった。
謎解きの最終章が、すぐそこまで迫っている気がしたからだ。

(レイモンドがスタンレーなのか?一体どこでどうつながってるんだ。頼むから早く教えてくれ。でないと、おかしくなりそうだ)

声にならない声が頭の中で渦巻き、マリンブルーの瞳は困惑してゆらゆら揺れた。





その晩遅く、キャンディはやっとアードレー家の本宅に到着した。
前の日の列車に飛び乗ったから、勿論新聞記事など読んではいない。
アルバートに出迎えられたとき初めて、アンソニーとフェリシアが婚約することを聞かされた。
その瞬間、ショックで膝ががっくり折れ、倒れそうになったところをアルバートに抱きかかえられた。
アルバートはアルバートで、なんの前ぶれもなく現れたキャンディに驚くばかり。

「ホントに君は、いつも僕をドッキリさせるんだから。どうして急に顔を見せたりしたんだい?まさかテリィと何かあって・・・」

心配そうにのぞき込むと、腕の中でキャンディは泣きじゃくっていた。

「ううん、違う。テリィは優しく言ってくれたの。そんなに心配ならシカゴへ行って来いって。だから私、覚悟を決めて出てきた。なのに・・・」
「ってことは、何かあったのはテリィとじゃなくて、『もう一人の奴』のことか」

ふーっと深いため息をつくと、アルバートは、やれやれという顔をした。

「またもや絶妙のタイミングで邪魔が入るもんだなぁ。かわいそうに、せっかくテリィが背中を押してくれたって、肝心のアンソニーが婚約したらなんの意味もない。あと一日早かったら、なんとかなったかもしれないのに。君の顔を見たら、あいつは絶対フェリシアの手を取らなかっただろう」

聞きながらキャンディは、自分の決断力のなさを呪った。
あと一日早かったら──!
たった一日のことだったのに・・・。
いつまでも悩んでテリィに本心を打ち明けなかったせいで、また初恋は腕からするりと逃げていってしまった。
アンソニーにもテリィにも、両方にいい顔をしようとした罰が当たったのだろうか。
その愚かさを悔いる涙が、あとからあとから泉のように湧き出てきた。

「泣いても仕方ないよ、キャンディ。時は戻せない。君もアンソニーも前だけ見て、それぞれの道を進むしかないんだ」

優しく髪を撫でてくれるアルバートの温もりが体中に伝わってくる。
そのとき、懐かしい景色が蘇った。
あれはアンソニーが死んだと聞かされたあと、悲しみに暮れて毎日を過ごしていた頃のこと。
心配して様子を見に来てくれたアルバートが、悲しみをすっぽり包み込んでくれた。

──運命はね、人からもらうものじゃないんだよ。自分の手で切り拓くものなんだ──

慈愛に満ちた声が、まだ耳に残っている。
あのときの言葉が今もまた、空っぽの胸にしみわたり、この上ない癒しとなった。

(ああ、私はいつだってこの人に守られているんだわ。昔も今も、そしてこれからも、二人に生ある限り、この関係は生涯変わらない)

「ありがとうアルバートさん。私、強くなる。テリィのところへ戻って、約束どおり結婚するわ。だから私がこんなに揺れてたこと、アンソニーには言わないでね。言ったらまた彼を困らせちゃうから」

もう泣いてはいなかった。
エメラルドの瞳は凛として冴え渡り、何かを決意したかのようにきらめいていた。

(また一つ、悲しみを乗り越えたね。そうやって一段一段、大人の階段を昇っていくんだ。君が辛いとき、悲しいときは、いつもそばにいて支えよう。でもね、ただ支えることしか出来ない己の役割に、時として苦しくなるんだ。見守ることしか許されない、養父という肩書きに押しつぶされそうになるんだ)

安心しきって自分を頼るキャンディに優しい微笑みを返しながらも、心には土砂降りの雨が降り注ぐ。

(誰か教えてくれ。君の手を取るのが、どうして僕ではいけないんだ?)





眠れない夜を過ごしたキャンディは、カーテンを開けて窓の外を眺めた。
一面に広大な庭園が広がっている。
もうずっと昔、レイクウッドの別宅で見たのよりずっと広い緑の絨毯(じゅうたん)に圧倒された。
あのときは同じ敷地内に、アンソニーやステアやアーチーが住んでいた。
アンソニーのすぐそばで暮らしていると考えただけで胸がドキドキしたことを懐かしく思い出す。
今の自分と彼も同じ状況にいるのだ。
そう思った途端、心臓が速く激しく、甲高いメロディーを奏で始めた。

夜の闇は消え去り、そろそろ太陽が顔を出す気配が漂っていたが、屋敷はしんと静まり返り、皆がまだ眠りの中にいることがわかった。
窓を開けて新鮮な空気を吸い込む。
まだ朝もやがかかっている。
朝陽が光の筋を力強く地上に伸ばす頃になったら、アンソニーはここからいなくなってしまう。
研修医になり、多くの患者を抱えるようになった今、いつまでものんびりしているわけにはいかないらしいと、アルバートは言っていた。
はるばるニューヨークから駆けつけたのに、別れのときがもう来るなんて、正直、耐えられない。
まだアンソニーの顔を一度も見ていない。

でも彼はフェリシアと婚約してしまうのだ。
今更会ったところで迷惑にしかならないだろう。
私さえ我慢すればいいんだと言い聞かせ、黙って彼を見送る決心をする。

──あと少し、ほんの少し早くシカゴに来ていたなら、アンソニーを引き止められたのかしら──

同じ考えが堂々巡りするのが情けない。

ふと、ブライアンが言っていたことを思い出した。
テリィとの婚約報道が流れたとき、今と同じ状況だったと。
プロポーズするためにニューヨークへ発とうとしていた矢先、アンソニーは自分とテリィの婚約を知ったという。
「君たち二人を祝福するため、彼はすぐに身を引いた。自分の幸せをあきらめた」――ブライアンはそう言っていた。
一体どんな気持ちだったろう。
今は自分がアンソニーと同じ立場にいる。
あのとき彼がしてくれたように、勇気を出して身を引かなくてはいけない。

キャンディは拳を握りしめ、あふれる恋心を必死で押し殺そうとした。
それでも──!
彼を愛しく思う気持ちを、どうすることも出来ない。

ああ、どうして私はこんなに弱いの?
なぜアンソニーみたいに思いを断ち切ることが出来ないの?
仕方ないわ。だって、私は女だもの。
恋したらそれがすべてになってしまう。
他の何も今はいらない。
ただアンソニーに会いたい。
強く抱きしめて欲しいの!


本人に会えないなら、せめて彼の思い出だけでも追いたい──狂おしくそう思ったとき、ローズマリーのバラ園が脳裏いっぱいに広がった。
去年の夏、この本宅でアンソニーと会ったとき、裏庭から続く小道の先にある見事なバラ園──ローズマリーが作り上げたというバラ園に連れて行ってもらったのを思い出した。
そこにはホイットマンが大事に育てたスイートキャンディも群生していた。

(今も咲いてるわよね?可憐なスイートキャンディたち。アンソニーがくれたバラ、私だけの白いバラ・・・)

キャンディは夢見心地で咲き乱れるバラを思い浮かべた。

──アンソニーには会えなくても、あそこへ行けば彼の思い出と巡り会える!──

矢も盾もたまらず、身支度を整えてキャンディはそっと部屋を抜け出した。
朝もやの中、足早にバラ園へ向かう。
まだ誰も起きてこない。
自分の靴音しか聞こえない静かな道を、踏みしめるように歩く。

ふと懐かしい光景が蘇ってきた。
もう八年も前、アードレー家の養女になって、夢のように幸せな日々を過ごしていた頃、レイクウッドのバラの門には見事な数のスイートキャンディが咲き誇っていた。
まだ人気(ひとけ)のない早朝のバラ園に、キャンディは胸弾ませて先を急いだ。
するとそこには、いつも決まってアンソニーがいた。
約束したわけでもないのに、示し合わせたようにバラの門へ来て、二人きりの逢瀬を重ねた。
ステアにもアーチーにも内緒で。
朝露に濡れたスイートキャンディは本当に奇麗だった。
それを丹念に手入れするアンソニーの横顔も繊細な指先も、言葉に出来ないほど美しかった。

いつまでもこの幸せが続いて欲しい──朝が来るたび、狂おしいほどにキャンディは願った。
そうしなければ、アンソニーがどこか遠いところへ──手を伸ばしても決して届かない世界へ行ってしまうような気がしてならなかったから。
今にして思えば、あれは何かの前ぶれだったのだろうか。
これから二人に起こる悲しい出来事の前兆だった──そう思えて仕方ない。





過去と現実が錯綜する中、ようやくローズマリーのバラ園が見えてきた。
わずかに顔を出し始めた太陽の光が、競い合って咲き誇るバラたちの姿を浮き上がらせる。
目を凝らすと、おびただしい数のスイートキャンディが視界に飛び込んだ。

(あった!あったわ!アンソニーのバラが。まるで私を歓迎してくれてるみたい。ああアンソニー、あなたとここでもう一度会えたら、どんなにいいかしら。そしたら私、何もいらないわ)

叶わぬ願いを天に祈ったのと、バラの群れがサワサワと揺れたのは殆ど同時だった。

(こんなに早くから、もう誰かいるのかしら)

人の気配にギョッとして身構えると、地面にかがみこんでバラの手入れをしていた人物が、ゆっくりと立ち上がった。

瞬間、キャンディの息が止まる。
その青年は、ブロンドにサファイアブルーの瞳だった。
彼のほうも予想外の人物が目の前にいることに驚いたらしく、剪定用のハサミを手に持ったまま、じっと立ち尽くした。

「キャンディ!どうしてここに・・・」

静寂を破り、アンソニーの甘い声が、くすぐるように耳元をかすめていく。

ニューヨークにいるはずの彼女が、なぜ本宅のバラ園でスイートキャンディを見つめているのだろう。
もしや、フェリシアとの婚約を知って駆けつけたのだろうか。
それにしてもアクションを起こすのが早すぎる。
アルバートかアーチーが知らせる以外考えにくいが、二人がそんなことを彼女に吹き込むとは到底思えない。
では、なぜ・・・。

「一週間の休暇が取れたから里帰りしたの。エルロイ大おば様のお加減も気になってたし、アレクシスの顔をまだ見てないから、是非とも会いたかったし・・・」

咄嗟(とっさ)に思いついた口実は、我ながら上出来だとキャンディは思った。
信じてくれるだろうかと不安げにアンソニーの様子をうかがったら、納得したような顔つきに感じ、とりあえず安堵する。

「君の休暇とぶつかるなんて、すごい偶然だね!大おば様もすっかり元気になられたし・・・いや、元気を通り越して、またうるさくなっちゃったかな」

アンソニーがいたずらっぽく笑い、キャンディは、「あら、そんなこと言っていいの?」と応酬する。

「アレクシス、すごくかわいいんだ。感動しちゃったよ。アーチーにそっくりだし」
「まあ!じゃあ将来はオシャレでハンサムになること間違いなしね。女の子が群がる様子が目に浮かぶわ。悪い虫がつかないか、アニーは心配でしょうがないんじゃないかしら」
「ははは。いくらなんでも気が早いよ」

アンソニーはおかしそうに声を立てて笑った。

「それもそうね~」

キャンディも恥ずかしそうに笑う。

しばらくは和んだ空気が二人の間を流れたが、それも長くは続かない。
「ところでさ、こっちに着いたらいきなりこの騒ぎだから驚いたろ?」とアンソニーが口火を切った途端、キャンディの顔は曇った。


「ええ、正直驚いたわ。あなたとフェリシアの婚約」

気のきいた台詞をしぼり出そうと頭はフル回転するのだが、靄(もや)がかかったようになり、何も浮かんできてくれない。
しばらく格闘したが、やがてあきらめ、思ったままを口にする。

「ニューヨークを発つときはまだ知らなかったの。ここに着いたらアルバートさんに聞かされたわ」
「そうだったんだ・・・」

気のせいか深いブルーの瞳も、湖の底のように暗く沈んでいる。

「おめでとう。好きな人と一緒になれるんですもの、本当に良かったわ」

その瞬間、アンソニーは眉をひそめ、「え?」という顔をした。

「フェリシアのこと、やっぱり好きだったのね?去年の夏、あなたと彼女がここでキスするのを見たときはショックだったけど、ホントにお付き合いしてたんだ・・・」

もう少しで涙がこぼれそうになった。
必死でこらえ、(泣いちゃダメ!アンソニーに心配かけちゃいけないのよ)と言い聞かせる。
だが、彼から返ってきたのは意外な答え。


「君は本気でそう思ってるの?僕がフェリシアと付き合ってるなんて・・・」

耳に届いた声は震えているような気がした。

「あれは芝居だったんだよ、君をニューヨークへ返すための。それに好きだから婚約するわけじゃない」
「違うの?」

アンソニーは長いため息を漏らした。
真意がわからず、キャンディは不安げに彼をのぞき込む。

「アルバートさんから何も聞いてないんだね?」

彼が何を言い出すのか気になってたまらず、キャンディは頭を激しく左右に振る。


「聞いてない!何も聞いてないわ」
「好きだから婚約するわけじゃないんだ。それだけはわかって欲しい」
「じゃあ、どうして・・・」

半泣きになりながら夢中で食い下がる。

「長い話になるから大事なことだけ話すよ。詳しいことは、あとでアルバートさんやアーチーから聞いて」

キャンディがうなずくのを確かめると、アンソニーは一呼吸ついてから語り始めた。

「僕と婚約しなければ、フェリシアはイギリスの中年公爵と婚約させられてしまうんだ。もし拒んで逃げたりしたら、アードレー家に不利な情報をマスコミにリークすると、シャルヴィ家の当主は脅迫してきてる。どう転んでも最悪の状況だ。だからアードレー家の名誉を守って、しかもフェリシアを救うには、僕らが婚約するのが最善の策だと思った」

言い終わるとサファイアの瞳は悲しみ色に染まり、がっくり肩を落としてうつむいた。

「でも、それじゃアンソニーの気持ちはどうなるの?それに好きでもないのに婚約するなんて、フェリシアに失礼よ」

キャンディは涙目になって必死に訴える。

「ごめん、言葉が足りなかったね。恋愛感情を抱いたことはないけど、フェリシアのことは『同士』として尊敬してる。真面目で努力家で、曲がったことが大嫌いで、何に対しても全力でぶつかっていく人なんだ。すぐ熱くなるところは僕にそっくりだし。なんだか自分を見てるみたいで切なくなる。そんな相手なら結婚しても許される、神様は許してくださる・・・そう思って決心したんだ」
「それがいつかは愛に変わると思う?」
「さあ・・・わからない。でもイライザみたいな女性のそばにいるより、ずっと救われるのは確かだ」

ふふっと乾いた笑いを浮かべると、アンソニーは憂いを帯びた目でキャンディをじっと見つめた。

「あとは君の気持ちだけだ、心配なのは」
「私の・・・気持ち?」
「テリィのこと、好きだよね?」

唐突に言われ、どぎまぎしてしまう。

「僕が生きてたせいでいろいろ迷わせちゃったけど、今でも彼が好きだろ?」

念を押され、思わず「ええ」と答える。
アンソニーのためにも、そう答えなければいけない気がした。


「なら大丈夫だ。僕がフェリシアと婚約すれば、余計に気持ちは落ち着くよ。君の目には、もうテリィしか映らない。僕のことは思い出の一ページになるさ。今度こそ本当に」

返す言葉がなかった。
黙ったままサファイアの瞳を見上げることしか出来ない。
次第に明るさを増してきた太陽の光が、東の空から頭上に降り注ぐ。
アンソニーは眩しそうに目を細め、光を遮るようにうつむいた。

「アンジェラを失ったとき、僕はどうしていいか分からなかった。この先二度と誰かを好きになるなんてありえないと思った。でも月日が経つうち、いつの間にかその思いは消えた。現にバラの門でキャンディと再会したとき、僕は君に一目ぼれしたからね。あれほど愛しかったアンジェラの目も、口元も、髪も、声も、すべてはおぼろになって、今でははっきり思い出せないんだ。彼女のことをどんどん忘れていく自分を許せなくて悩み続けた日々もあった。それでも容赦なく、心はアンジェラの面影を消し去っていく。たとえどんなに引き留めようとしても、彼女の姿を脳裏に繋ぎ止めようとしても。人の心なんて、そうしたものさ。きっとキャンディも同じ経験をしてると思う。きつね狩りで僕を失ったとき」


アンソニーに言われ、胸がズキンと痛んだ。
確かに彼の言うとおりだ。
アンソニーを失った日、泣いてばかりいたのに、時がかける魔法はなんて不思議なんだろう。
テリィと出会ったあと、あれほど好きだったアンソニーの面影が、日一日と薄れていき、やがてテリィが放つ強烈な色の中に溶け込んでしまった。
そしていつしか初恋は、美しい思い出の中に着地した。
その過程をもう一度繰り返すことになるのだろうか。

「君がテリィを愛してるかどうか、それだけが気がかりだったんだ。アルバートさんから聞いたんだけど、彼は『命に代えてもキャンディを守る』って言ったそうだね。そこまで言ってくれる相手が君のそばにいるなら心残りはないよ。だからキャンディ、絶対幸せになるんだ。いいね?約束だよ」

まるで自分に言い聞かせるように、アンソニーは一気にしゃべった。
何かに取り憑かれたようで、妙に熱を帯びている。
そのせいだろうか、言いたいことが沢山あるのに、なぜか反論できない。
呪文にかかったように、青い瞳の奥をじっと探ることしか出来なかった。
その眼差しに気づいたのか、今まで圧倒的な強さの光を放っていた目が、急に切ない色を帯びて沈み込む。

「ごめん、本当は後悔ばかりなんだ。正直、テリィにも誰にも渡したくない。それが叶わないなら、せめて遠くからずっと君のことを見守っていたかった。生涯独身のままで」

そう言ったきりうつむくと、アンソニーはもう一度繰り返した。

「ごめん。一生結婚しないつもりだったのに、こんなことになって・・・ごめん」

哀しそうな肩を見ていたら、もう少しで涙がこぼれ落ちそうになった。

(これじゃスザナのときと同じだわ。愛し合ってても別れなきゃいけない──もう一度あの苦しみを味わうことになるなんて!テリィは戻ってきてくれたのに、私がこんなに揺れてるから、きっと罰が当たったんだわ)

キャンディは歯を食いしばり、運命のいたずらに必死で抵抗しようとした。

「ねえ、聞いてもいい?もしテリィがいなかったら・・・私と一緒に歩いてくれる男性が、あなたの他にいなかったら、それでもフェリシアと婚約した?」

アンソニーに何を言わせたいのかわからないまま、混乱した頭がわがままを言う。
その声に反応したのか、うなだれていた肩がはじかれたように上を向き、青い瞳がカッと見開く。

「するわけないじゃないか!婚約なんて、絶対しない。君を守る男が僕一人しかいないなら、手放すなんてありえない。たとえフェリシアを犠牲にしようと、アードレー家を裏切ろうと、生涯キャンディと一緒にいる」
「でも、そんなことしたら大勢の人を悲しませるわ」
「君を悲しませるより、ずっといいよ」
「後ろ指をさされるかもしれないのよ。努力して勝ち得た信頼も名声も、すべてなくなるかも」
「そんなの関係ないさ。君を失うことに比べたら、なんてことない」
「いい人じゃなくなるわ。今までみんなに愛されてきたのに、掌(てのひら)を返したように冷たい目で見られて」
「誰かを本気で愛したら、いい人ばかりじゃいられないのさ。鬼にならなきゃならない瞬間が来るかもしれない。恋するって、奇麗事じゃすまされないんだよ」
「でも、でも・・・」

キャンディはまだ続けようとしたが、それ以上は言葉にならなかった。
代わりに涙があふれてくる。
あれほどな泣かないと決めていたのに、真珠の粒は決意を裏切って、好き勝手に頬を滑り落ちる。
それを見たアンソニーの瞳も熱いもので満ちてきて、目の前の世界は大きく歪んだ。

「レイクウッドで君にスイートキャンディを初めてプレゼントしたときは、今日みたいな日が来るなんて思いもしなかった。それに大人の世界がこんなに複雑で汚れてるなんて、15歳の僕には想像もつかなかった。でも初恋が実って結婚する人って、ほんのわずかしかいないんじゃないかな。多くはそのあと、いくつもいくつも恋をして、やっと運命の相手にたどり着くんだと思う。その頃には、もうおぼろになってるのさ、初恋の面影は。だから今日まで互いに関わってこれた僕たちは、本当に幸せだったよね」
「私もそう思うわ」

キャンディはほんのひとこと返すのがやっとだった。
ふと見ると、アンソニーの頬をキラリと光るものが滑り落ちた。

──泣いてる!彼も泣いてるんだわ──

嗚咽が漏れないように、アンソニーはギュッと手を握りしめる。
庭園から吹いてくる涼風が、キャンディの後れ毛を優しくなびかせる。
夏も終わりに近づいているのか、地上を焦がそうとする晩夏の太陽は、名残惜しそうに光の筋を地面に伸ばした。

「お互い伴侶を思いやって、神様に恥じない生き方をしよう。そうすれば必ず僕らのやってきたことは報われる。これから先、ずっと幸せでいられるよ」

キャンディは黙ったまま、こくりとうなずいた。
アンソニーの長い指がすーっと伸びて、桜色の頬にそっと触れる。

「幸せに・・・キャンディ」

瞬間、ひときわ優しい風が吹き渡り、バラの枝々を揺らした。
早朝の庭園でさえずる鳥たちの軽やかな声が耳に響き、珍しい色合いの蝶が気忙しく舞い踊る。
周りのすべては生き生きと動いているのだ。
自分たちがどんなエピローグを迎えようと、それとは無関係に自然の営みは繰り返されていく。
取り残されてはいけない。
気持ちをしっかり持って、この先の人生を懸命に生きるしかない。
思春期の入口でこんなにも素晴らしい相手と巡り合えたことを感謝し、誇りに思って。


アンソニーもキャンディも、それぞれの胸のうちで同じことを考えた。
だから不思議と絶望感はなかった。

アンソニーは剪定用のハサミを持ち直し、朝露に濡れたスイートキャンディを一本だけ切って花びらに口づける。

「今日という日の記念に。そして僕たちが出会えた幸運を祝って。いつまでも、これは君だけのバラだよ。僕が自分で名づけた最初で最後のバラだ。キャンディの思い出と一緒に、生涯大事にするよ」

そう言いながら、キャンディの目の前に差し出す。

手渡されたバラを近づけ、深く息を吸い込んだ。
鼻先で甘く香る、かぐわしい香りに酔いしれる。


「う~ん、いい香り!アンソニーの香りだわ。私も一生忘れない。あなたがくれた沢山の思い出と一緒に」


そしてついさっきアンソニーが口づけた同じ場所に、自分の唇を寄せる。

意識などしていないのに、勝手に体が動いてしまう。

愛する人と寄り添いたいと、本能的に思うからだろうか。
すぐそばで見ているアンソニーから、優しい微笑みが漏れ出た。

「テリィと結婚しても、君がアードレー家の一員であることに変わりはない。僕らはこれからも親戚同士なんだよ。何かの機会に顔を合わせることもあるだろう。そのときはお互い笑顔でいようね」
「勿論だわ」

急に話が途切れる。
何を話していいのか、もはや何も頭に浮かんではこない。
いつまでも黙ったまま、こうして見つめ合っていたいが、無情な時の流れに押し流され、ここにとどまっているのはもう叶わないと悟った。
使用人たちが動き始めたのだ。
庭園の掃除をしている気配がするし、人の出入りが多くなってきたせいか、屋敷のほうから賑やかな声が聞こえてくる。