アンソニーVSテリィ in 聖ポール学院
~第9話~
湧き水が流れている場所に辿り着こうと森の中をさまよっているうち、思いもよらないほど深みにはまってしまったことにキャンディは気づいた。
さっきまでは木漏れ日がキラキラ輝いていたのに、今は光線が弱くなり、辺りは薄暗い世界に変化していた。
おまけに足元はどんどん悪くなっていく。
細い道が枝分かれしていて、どちらへ進んでいいのかも分からなくなってきた。
「ここはどこなの?もしかして私、迷子になっちゃった?」
いつもは底なしに元気なキャンディだが、さすがに心細くなってきたのか、珍しく弱音を吐いた。
「これ以上進むのは怖いから戻ってみようっと」
くるりと回れ右すると、もと来た道を歩き出した。
が、いざ進んでみると、似たような景色が連続しているので違う場所へ迷い込んでしまったような気がする。
「ダメだわ。戻ることさえできない。一体どうしたらいいの?アンソニー、テリィ・・・助けて!」
足がガクガク震えてきた。
知らないうちに、恐怖で涙が頬を伝う。
それでもがむしゃらに歩き続けるキャンディは、突き出ている大きな枝に誤ってぶつかり、その拍子に転倒してしまった。
「キャアア~!」
運悪くそこは急な坂になっており、彼女は倒れたまま斜面を転がり落ちる。
加速が付いた体が巨大な石にぶち当たったとき、やっと回転が止まった。
だが同時に彼女は気を失った。
あとちょっと行ったら、下は断崖絶壁──まさに間一髪の所だった。
太陽は段々力を弱め、日没が迫っていることを教えていた。
「おかしいな。この時間になっても、まだ来ないなんて」
とっくに丘の上に着いてキャンディたちを待っていたアンソニーは、腕組みをしたままそこらじゅうを歩き回った。
「手分けして探した方がいいかもしれない。もしかして道に迷ったってことも考えられるし」
ステアの声も真剣だった。
「やっぱり二人だけにするんじゃなかったよ。何て言われても、僕がそばについてれば・・・」
悔しそうに爪を噛むアンソニーを見て、アーチーは「落ち着けよ。そのうち元気に現れるって」と、彼の肩をポンと叩く。
アニーとパティも「心配だわね」「大丈夫かしら、二人とも」と、不安な顔をするが、なぜかニールだけ落ち着き払っているのが不自然だった。
「おい!やけに冷静だな。キャンディはともかく、妹のことが心配じゃないのか」
青い目をギラギラさせてアンソニーが食って掛かると、ニールはギクッとした。
「だ、大丈夫だろ。この辺は庭みたいなもんだから」
「イライザにとってはな。だけどキャンディは違う。スコットランドは初めての土地なんだ。もし森で一人になったら・・・」
そう言ってステアはアンソニーの顔を見た。
「まさかお前ら、何か企んでるんじゃないだろうな?」
きつい語調で言い放つと、アンソニーはニールの胸倉を掴んで強く揺すった。
「キャンディに何かあったら、ただじゃ済まさないぞ。分かってるのか!」
「うう、苦しい・・・」
「アンソニー、心配してくださってありがとう。私なら大丈夫よ。だからお兄様を離してあげてくださる?」
急に響き渡った猫なで声に振り返ると、そこにはすこぶる元気そうなイライザが、得意満面で立っていた。
「君一人なの?キャンディは・・・彼女はどうした」
ニールを突き放すと、アンソニーはイライザに向かってまっしぐら。
「あらぁ~、こうして私が無事に帰ってきたのに、いきなりあの子のこと?」
憎々しげに吐き捨てると、イライザはそっぽを向いた。
「キャンディはどこにいるんだ。答えろよ!」
「知らないわ」
「知らない?そんなはずないだろう。彼女は君に付き添うために残ったんだぜ。それなのに・・・」
「だってキャンディったら、『水が飲みたい』なんて言って、勝手にどこかへ行っちゃったのよ。私をほっぽり出して。ホントに失礼な子よね。信じられないわ」
「勝手で失礼なのはどっちだか・・・。どうせ君がワナにはめたんだろ。言われなくても分かってるさ」
今度はアーチーが割って入った。
「証拠がないじゃない!変な言いがかりをつけるのはやめてよ」
「言いがかりで済むよう、心から祈ってるよ」
ステアも険しい表情で言ってのけた。
「とにかく僕はキャンディを探しに行く。日暮れが近いから一刻を争うんだ。こんな所で責め合ってる場合じゃない」
上着を羽織って立ち去ろうとするアンソニーに、イライザは取りすがって言った。
「そんなぁ~。じゃ、私の誕生日はどうなるの?これから折角楽しいお食事が始まるっていうのに。デザートだって沢山用意したのよ」
アンソニーは振り向きざまに、とどめの一撃を放つ。
「君はお腹が痛かったんじゃないのかい?よくご馳走を食べる気分になれるな。それに悪いけど、僕にとっては君のバースデーより、キャンディの無事の方がずっと大事なんだ」
「そういうこと、そういうこと。僕だって同じさ。失敬するよ。彼女を探しに行くんでね」
そう言ってアーチーも続く。
「アニーとパティはここに残ってくれ。キャンディが戻ってきたとき、誰かがいてやらないとね」
ステアが優しく微笑むと、二人は大きく頷いた。
(フン、何よ!アンソニーったら。アーチーもステアも馬鹿にしてるわ。私よりキャンディが大事ですって?どんなに探したって見つかるもんですか。あの森は一旦迷い込むと、抜け出るのが一苦労なのよ。キャンディなんか二度と戻って来れなければいいんだわ)
丘を降りていく三銃士の背中を見つめるイライザは、肩をワナワナと震わせて拳を握った。
「キャンディ!どこにいるんだ。聞こえたら返事をしてくれ。キャンディ~」
彼女が進んで行ったであろう森の道を歩きながら、アンソニーは何度も何度も愛する少女の名を叫んだ。
だが、いくら繰り返しても声は返ってこない。
頭上から降り注いでいた太陽の光は完全になりを潜め、間もなく日没が訪れようとしているのを告げている。
(君は一体どこへ迷い込んでしまったんだ。頼むから無事でいてくれ。そうしたら僕は何だってするよ。君を守れるなら、どんな辛いことも受け入れてみせる)
アンソニーは歯を食いしばりながら不安と闘っていた。
いつの間にか目には熱いものが溢れている。
キャンディを失いたくない・・・彼の気持ちがどんなに一途で強いか、その涙は物語っていた。
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同じ頃、ステアとアーチーは別のルートを当たっていた。
「おーい、キャンディ~」
「どこにいるんだー?返事しろよー」
口々に叫んだが、やはり応えはない。そうこうするうち、後方から馬のいななきと蹄(ひづめ)の音が聞こえてきた。
「兄貴、誰か来るぞ」
「らしいな。こんな所に一体・・・?」
振り返った兄弟は馬上の人物に驚き、一斉に声を上げた。
「テ、テリィ!」
「なんだ、君らか。奥深い森でピクニックですか?仲のよろしいことで・・・ってな時間でもなさそうだけど。もうすぐ日暮れだ。早く引き上げないと迷子になっちまうぜ、お二人さん」
いつものようにからかい半分で見下ろす彼に、ステアは真顔で頼み込む。
「丁度いい。ちょっと手を貸してくれないか。実は・・・」
「兄貴、こんな奴に話す必要なんかないさ。胸クソ悪い」
これまたいつも通りの反応に、ステアは肩をすぼめる。
「何なんだよ。言いかけて途中でやめるのは良くないぜ。実は・・・どうした?」
「キャンディがこの森に迷い込んだんだ。もう3時間以上経つけど音沙汰無しだ。一緒に探してくれないか」
はっきり言い切った兄に、弟は「チェッ」という顔をしたが、事情が事情だけに仕方ない。
アーチーは諦めたようにテリィを見ると、「キャンディのためにお願いする」と頭を下げた。
当のテリィは顔面が蒼白になり、既に心ここにあらず。
「この辺には崖も多い。もし足でも踏み外したら大変だ」
独り言のように呟くと、手綱を引き締め、挨拶もなしに行ってしまった。
「おい!一言くらい残してけよ。これだから嫌いなんだ、あの野郎」
苦虫を噛み潰したようなアーチーをなだめてステアは苦笑する。
「つまらない意地を張ってる場合じゃない。探索部隊は一人でも多い方がいいんだから」
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「キャンディ、どこだ。なぜ返事をしてくれない?」
狂ったように歩き続けるアンソニーは、勢い余って突き出た枝に体をぶつけてしまった。
「痛っ!気をつけないと、彼女を見つける前にこっちが倒れちまう」
フッと笑った瞬間、足元を見ると、泥の斜面がえぐり取られたようになって下の方まで続いているのが見えた。
「もしかしてこれはキャンディが転倒した跡かも」
咄嗟にひらめいたアンソニーは、自分の直観を信じて急坂を駆け下りていった。
「母さん、頼む!僕をキャンディのところへ連れてってくれ」
祈りが通じたのか、少し下にある、大きな岩の横に倒れている彼女が視界に飛び込んだ。
(ああ、神様!)
アンソニーは涙を浮かべて滑り降りると、彼女のそばにかがみこみ、震える手で抱き起こした。
「キャンディ・・・キャンディ、僕だよ。分かるかい?」
だが返事はない。
(まさか、もう彼女は・・・)
一瞬、嫌な空想が頭をよぎったが、頬に触れたら温かかった。
(良かった。生きてる!キャンディは生きてる)
その瞬間、アンソニーの頭は真っ白になり、彼女のこと以外何一つとして考えられなくなった。
目の前にあるそばかすの寝顔を見つめたら、いとおしさが胸いっぱいに溢れてきて、思わず抱きしめる。
「好きだ、キャンディ。好きだ!誰にも渡したくない。たとえ君がテリィを選ぶって言っても、離したくない。僕だけのものにしたいんだ」
アンソニーの真っ直ぐな心は、前後の見境を失って絶叫していた。
腕は更に激しく彼女を抱きしめる。
だがそれでもキャンディは目を閉じたままだ。
「いつまでも眠ってちゃダメだよ。ほら、こっちを見てごらん。その奇麗な緑の瞳を、僕のためだけに輝かせて欲しい」
彼女の体の温もりと柔らかな感触が、腕から全身に伝わって、アンソニーは息苦しくなった。
(このままじっと見てろって言うの?そんなことしたら、きっと狂っちゃうよ。もしも、もしもテリィより早く君を・・・)
アンソニーの手は、いつの間にかキャンディの胸元まで伸びていた。無我夢中だった。本能の赴くまま、彼女をこの場で奪ってしまいたかった。
だがその先を押し留めたのは、理性という抑止力。
(こんなのはフェアじゃない。もし君が僕を選ばなかったとしたら、テリィに申し訳が立たないしね)
自分の愚かさを一笑に付しながら、アンソニーはキャンディの顔を覗き込んだ。
そしてもう一度その頬に手を当てると、柔らかなラインを愛しげになぞっていく。
「好きだよ、世界中で一番。この気持ちにウソはない。だから・・・このくらいは許してくれるよね?」
誘われるように顔を近づけると、アンソニーの唇は、桜色の小さな口元にそっと重なった。
瞬間、体中を満たしていくのは、甘酸っぱい想いと不思議な満足感──
初めてのキスは、あまりに儚くあまりに切ない。
アンソニーは身も心も、甘やかな陶酔の中に溶けていってしまいそうだった。
(キャンディ、君は知らないだろう。僕がどんな想いで今ここにいるか。でもいいんだ。この一瞬と引き換えに全てを失っても、僕は後悔したりしない)
そんな一途な姿を、そっと陰から見守っている姿があった。
アルバートだ。
アンソニーよリほんの一足先にキャンディを見つけたが、愛する甥のためにわざと救助の手を差し伸べず、「手柄」を譲ったのだ。
(ローズマリー、見たかい?妬けるくらいに純愛じゃないか。僕は是非ともキャンディに目を開けてもらいたいよ。今すぐこの場で。自分を助けてくれたのはアンソニーだって知ってもらうためにね)
その時だ。叔父の願いが天に届いたのか、キャンディが「うう・・・」と低い声を漏らして顔を歪めたのは。
「気づいたのかい?僕が見える?」
嬉しい変化に胸を躍らせ、アンソニーはキャンディの手を握り締めた。
だがタイミングの悪いことに、まさにその時、もう一つの人影が現れる。
大きな足音を立てて坂を下ってくる気配に気づき、アンソニーはその方向を見定めた。
「テリィ!」
間違いない。その姿は明らかに恋敵のテリィだ。
(一体どうして彼がここに?ステアやアーチーが知らせたのか)
彼も必死の形相だった。やっとのことでこの崖を探し当てたのだろう。
咄嗟にアンソニーはキャンディを横たえ、自らは木の陰に身を隠した。
何のために?
「自分だけのものにしたい」と、さっき狂おしく想ったばかりなのに。
本当にキャンディが欲しいなら、逃げたりせずに真っ向からテリィとやりあうべきなのに。
何故かそれはできなかった。
「キャンディ、やっぱりここだったか」
テリィは駆け寄って彼女を抱き起こす。
「キャンディ、しっかりするんだ!俺がそばにいるから」
人の気配を感じ取り、キャンディはゆっくりと目を開ける。
すると眼前にgreenish blueの瞳が揺れ、栗色の髪が頬に触れた。
「テリィ・・・」
おぼろげな意識が次第にはっきりしてくる。
「私、どうしちゃったのかしら」
何が起こったのかわからず、キャンディは周りを見回そうとして体を起こした。
だがテリィの腕は、優しくその動きを抑える。
「急に頭を動かしちゃダメだ。暫くこうやってじっとしてるのがいい」
そう言って彼女の体を自分の方へ引き寄せると、真綿のようにふんわり包み込んだ。
(テリィの抱擁がこんなにも穏やかだなんて・・・知らなかった)
広い胸の中で安堵し、キャンディは思わず顔を埋める。
「怖かったわ。どんどん森の奥にはまり込んでしまって。どこを歩いているのかも分からなかった」
「もう心配しなくていい。俺がずっとついててやるから」
テリィはほんの少しだけ腕に力を込めて抱きしめると、花の香りがするブロンドの巻き毛に、そっと口づけた。
「もう離さない。ずっと、ずっと俺のそばにいろ。・・・な?」
キャンディはテリィの腕から顔を起こし、目を潤ませて頷いた。
「あなたが好き」
その台詞は「彼」の心臓に突き刺さり、無情にも切り裂いた。
そう・・・木の陰から二人の様子を窺っていたアンソニーは、やっとの思いで立っていたのだ。
もし恋人たちが愛の囁きをもう一言でも交わしたなら、きっとこの場に倒れこんでしまうだろう。
それほどまでに追い詰められ、動揺していた。
(アンソニー・ブラウン!お前はいつからそんな腰抜けになったんだ。何故黙ったまま見ている?どうして二人の前へ出て行って、「先にキャンディを見つけたのは、この僕だ」と言わない?)
心は絶叫したが、もう一人の自分がそれを掻き消す。
(そんなことしたって無駄さ。だって彼女はあいつにはっきり言ったじゃないか、「あなたが好き」って。それに僕は誓ったんだ──キャンディが無事なら、どんなに辛いことだって受け入れてみせる)
苦しい葛藤に顔を歪め、拳を握り締める甥の姿を、アルバートは黙って静かに見つめていた。
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