アンソニーVSテリィ in 聖ポール学院 

~第10話~ 



CAUTION これは「アンソニー勝利編」ですのでご注意下さい!!

 

 

そうこうしているうち、ステアやアーチーも「遭難場所」を探し当て、皆でキャンディの無事を喜び合った。

「良かったな~、キャンディ。一時はどうなることかと思ったよ」
「ホント、ホント。アンソニーの奴なんて、興奮してイライザを怒鳴りつけたんだぜ。君にも見せたかったよ、あの姿。なあ、兄貴?」

その台詞に、テリィはふと口を挟んだ。
「そういえばアンソニーはどうした?」
「キャンディを探しに行くって、真っ先に飛び出して行ったんだけど。違う方角へ行っちまったんだろ」
ステアが答えると、その横でアーチーがブスッとした顔でテリィを見据えた。

「アンソニー、大丈夫かしら?」
不安そうな顔をするキャンディ。
「平気だよ。君と違って彼は男なんだから、何とか自力で森を抜けるさ」
心配させまいと、優しい笑顔でテリィは言った。



「ご心配頂いて悪かったね。この通り僕はピンピンしてるよ!」

突然響いた聞き覚えのある声を背にして、皆は驚いたように振り返る。
そこに立っていたのは、少し寂しそうな笑みを浮かべる金髪の少年。

「アンソニー!無事だったのね。今みんなで噂してたのよ。一体どこへ行ったんだろうって」
「ごめんごめん、心配かけて。君を探しに行ったつもりが、すっかり迷子になっちゃって。でも何とか辿り着いたよ。まあ今更現れてもバカみたい・・・って感じだけどね」

照れくさそうに舌を出す彼を見ながら、テリィはキャンディに小声で囁いた。
「な?言った通りだろ?放っておいたって大丈夫なのさ。彼は一人前の男なんだから。君が道に迷うのとは、わけが違うよ」
「ホントね。私ったら、ついついアニーやパティが迷った気になっちゃって・・・」

「か弱い婦女子と一緒にしたら、アンソニーに失礼だってば」
今度はステアが笑ってウィンクする。

「それにしてもどこに迷い込んだんだ?お前がぐずぐずしてる間に、あそこのキザ貴族に手柄を横取りされちまったぜ」
苦虫を噛み潰すアーチーの目には、仲良さそうに微笑み合うキャンディとテリィが映っていた。
「自分でもよく分からないんだ。いつの間にか方向を見失って・・・。でも良かった。代わりにテリィが見つけてくれて」
「ちっとも良かないよ!」

妙に悟った口調のアンソニーに腹を立てたのか、アーチーの怒声がとどろく。
驚いたキャンディは、咄嗟に視線を泳がせた。
テリィも反応してアーチーの方へ顔を向ける。

「何が良くないんだ?もしかして、俺がキャンディを見つけたことがお気に召さない?」
機嫌を損ねたテリィは、じりじりとアーチーに近づいてくる。

「ああ、お気に召さないね。大体、初めにキャンディを探しに行ったのはアンソニーなんだぜ。なのに何で君が彼女のそばにベッタリくっついてるのさ」
「悪いがこれも運命だよ。『キャンディを守るのは、テリュース、お前だ』っていう神の啓示だと思って欲しいね」
「ふん!そんな啓示、でたらめだ」
「でたらめとはご挨拶だなぁ、坊ちゃん」
「なにを~!君と話してると最高にムカつくんだ。こうなったらもう一度勝負してやる。いつかはキャンディに止められて中断したけど、あの続きをここでやろうぜ。今度こそ容赦なしだ」
「面白い。やってやろうじゃないか。その代わり後で吠え面かくなよ」

アニメでは、テリィとアーチーがフェンシングで決闘する場面が出てきます。しかしキャンディ・アニーが心配して止めに入り・・・。結局はテリィが優勢でしたね)

どんどんエスカレートしていくテリィとアーチーのやり取りを聞いてハラハラしているステアの横で、アンソニーは声を荒らげた。

「いい加減にしろよ、二人とも。キャンディが無事だっただけで十分じゃないか。何を争う必要がある?」
「だってこいつは後から出てきたくせに・・・」

まだ食い下がろうとするアーチーの腕を掴んで、アンソニーはズンズン歩き出した。

「来い!もう引き上げるんだ。今は君らのケンカに付き合う気力はないよ。ステアもアーチーを引っ張るのを手伝ってくれ」
「あ、ああ・・・」
オロオロするステアは帰る体勢をとったが、ふと振り返り、「キャンディも一緒においで」と優しく微笑む。

だが──
「ありがたいけど、彼女は俺が送っていく。もうちょっと話がしたいんでね。二人っきりで」

ステアの好意を遮ったのは、ちょっと気取ったイギリス英語。
「じゃあ僕らは失礼する。後は任せたよ、テリィ」

ステアの背を見送りながら、キャンディは何故か不思議な気持ちになっていた。
テリィに助け起こされる前、誰か違う人物が自分を抱きしめたような気がしたからだ。
それに唇と唇が触れたような感覚さえある。テリィはキスなどしなかったのに。
鼻先をかすめた微かな匂いも・・・
あれは何だったのだろう。
テリィのタバコ?
いや、違う。もっと甘くて切ない香り。

だがはっきりとは思い出せない。全て幻だった気もする。
夢と現(うつつ)をさまよっていた自分を反芻しながら、キャンディは去っていくアンソニーの後姿を、長いこと見つめていた。





漸く男子寮に辿り着くと、入口にたたずんでいる人影が目に入る。
すっかり日が暮れたせいで顔の判別がつかないが、どうやら女性らしい。
もしかして・・・。
嫌な予感が全員の頭をかすめる。
目を凝らして見ると、案の定イライザだった。

「アンソニーったらひどいわ。私をほっぽり出してキャンディのところに行くなんて!」

愛しい人の姿を確認するなり、大音量で噛み付いてくる彼女。
ステアもアーチーもげんなりして肩をすぼめる。
そしてアンソニーに目配せすると「後は頼んだよ」という顔で、さっさと中に入ってしまった。

憔悴しきったアンソニーは、狂犬の吠え声に何も反応しない。
頭にきたイライザは、更に声高に叫ぶ。

「キャンディ・・・どうせあなたが助け出して無事なんでしょ?いつもそうなんだから。あんな子、迷子になったきり戻ってこなければ良かったのに!」

その台詞にはじかれたように、アンソニーはイライザに強烈な平手打ちを食らわせた。
よろけて、門に背中をぶつける彼女。

「ひどいわ!女性に暴力を振るうなんて。あなたがそんなに乱暴な人だとは思わなかった。優しくて王子様みたいだと信じてたのに・・・」
「そうされたって仕方ないことを言ったんだよ、君は」
「みんなキャンディのせいね。あの子に惑わされて、あなたもテリィもおかしくなってしまうのよ。覚えてらっしゃい、今度という今度は許さないわ!」
「そういうのを逆恨みって言うんだ。彼女に一切の責任はない。恨むなら僕を恨め」
「そんな・・・」

般若のように睨み付ける青い瞳が、門灯に照らし出されてギラギラ燃えた。
さすがのイライザも身を硬くして黙り込む。

「キャンディに手を出したら許さない。たとえ君が女の子でも手加減はしないよ。今のよりもっと強烈な一発をお見舞いするから、覚悟するんだね」

恐怖で顔面蒼白のイライザ。

「分かったろう?僕は君が思ってるような優しい男じゃないんだ。勿論王子様でもない。断じてない!だからいつまでも係わってない方がいいよ。テリィだってきっと同じことを言うだろう。君だけを見つめてくれる『彼』を、他に見つけるんだ。きっとどこかにいるはずだから」

ショックを受けてガックリ肩を落とすイライザに、アンソニーは初めて柔らかい笑みを見せた。

「愛されたければ素直になって、他人を愛することだ。そうすれば、君はもっともっと素敵になれるよ」



その夜、イライザは夢見心地だった。
同室のルイゼは、同じ話を何度も聞かされ、息も絶え絶えになっていた。

「ねえ~、私って素直だと思う?」
「???」
「素直になれば、素敵な彼が出来るんですって♪頑張らなくっちゃ」
「そうなの?」
「勿論よ!だからね、これからは『あのキャンディ』にも優しくするわ」
「へ!?」
「今までさんざん辛く当たったけど、悪いことしちゃった(^^ゞ」
「ちょ、ちょっと、大丈夫?熱でもあるんじゃない?」
「ねえ~、私、素直になれるかしら?」
「・・・・・・」
「ねえ~、優しくなれるかしら?」
「・・・・・・」
「ねえ~、聞いてるの!?」
「・・・・・・(-_-;)」




楽しかった夏休みも終わり、涼やかな秋風がロンドンの街を覆い始めた。
学院に戻ってからというもの、テリィはキャンディの一言がずっと気になっている。

「崖であなたに助けられる前、誰かがそばにいたような気がするの」

その後、「きっと幻だわ。気のせいよ」と彼女は笑っていたが、テリィにはそう思えなかった。

誰かがそばにいた・・・誰かが・・・

「誰か」って、まさか。

だがそんなはずはない。アンソニーはいい加減経った後で、ばつの悪そうな顔をして現れたのだから。
第一、最初にキャンディを見つけたのが彼なら、黙っているはずがない。すぐに名乗りを挙げて、彼女の気を引こうとするのが当然だろう。

理屈では分かっているのに不気味な胸騒ぎに苛まれ、テリィは動揺していた。
と同時に、アンソニーという人物に惹かれ始めた自分に面食らってもいた。

(あいつ・・・スコットランドの別荘で、お袋とやりあってるあの時、一発で俺の本心を見抜いた。どうしてキャンディに惚れ込んだのかも、お見通しに決まってる。人の心にズカズカ踏み込んで気に食わない・・・そう思ってたはずなんだ。なのに、どうしてこんなにも話がしてみたいんだろう)



「君!どうしたんだい?難しい顔して道を歩くもんじゃないよ。かなり怖いお兄さんに見えたぞ」

雑踏の中で、聞き覚えのある声がした。
ここは週末のオックスフォード・ストリート。
街をぶらつくテリィに声をかけたのは、アルバートだった。

「アルバートさんじゃないですか!奇遇ですね、こんな所で」
「それはこっちの台詞だよ。学院を抜け出したりしていいのか?見つかると厄介なんだろ。いろいろと」
「もう慣れっこですよ、規則破りなんて」

涼しい顔をしてテリィは笑う。

「やっと笑顔を見せてくれたね。さっきはどうしようかと思ったんだぞ。声かけようかどうしようか、迷っちゃったよ。一体何を考え込んでたんだい?」
「・・・」
「気になる女のこと?」
「そ、そんなんじゃないですよ」

珍しく顔を赤くして、少年はきっぱり否定した。

「じゃあ何なんだい」

一瞬口ごもった後、テリィは観念したようにボソッと言う。

「実はちょっと気になるヤツがいて」
「ヤツ?・・・ってことは男だな」
「ええ。気に食わなくて、ずーっと目の上のたんこぶだったんです。なのに最近妙に気になってしょうがない」

大人ぶっていても、心の奥底に残っている少年らしい戸惑い──微笑ましく思ってアルバートは笑った。

「それはきっと、君がそいつのことを気に入ってるからだよ、本心ではね」
「え!?」
「恋愛と同じさ。興味があるから気になる、でも認めたくない。だから嫌いだと思い込もうとする。違うかい?君もまだまだ修行が足りないな」

笑うアルバートを見ながら、テリィはちょっぴり悔しかった。

(叶わないな、全部お見通しか。この人から見れば、俺なんかただの小僧だよ、全く)

「素直になってみればいい。君の心を溶かしたほどの男だ。タダモノじゃないだろう。本音でぶつかれば、きっと受け止めてくれるはずだ」
「そうでしょうか」
「勿論さ。一人くらい同性の親友がいてもいいんじゃないかな。僕みたいに歳の離れたヤツじゃなくてね」

ウィンクしながらアルバートはまた笑った。

「ありがとうございます。何だかわだかまりが消えたような気がする。勇気を出してそいつに話しかけてみますよ。もしかしたら友達になれるかもしれない。正直言うと、僕だって本当は欲しいんです、腹を割って話し合える相手が。キャンディとは別にね」

今度はテリィがウィンクを返す。

「素直で結構。その調子だ!きっと今までより世界が広がるよ。男同士にしか分からないこともあるしな。気の置けない同性の友人ってのは、本当にいいもんさ」

包み込むような笑顔を向けてくれたアルバートに向かい、少年はちょこんと頭を下げた。そしてまた人ごみに消えていく。
初めとはうって変わって嬉しそうな表情が印象的だった。
その後姿を見送りながら、アルバートは思う。

テリィ・・・君が言ってる「気になるヤツ」って、きっと僕の甥なんだろうな。
恋敵の敵愾心をほぐすなんて、なかなか粋なことをするじゃないか、アンソニー。
これで君ら二人の距離が近づいて、真の意味でキャンディのナイトになれば最高だと思うよ。
二人のナイト──「彼女のそばに寄り添うナイト」と「陰でひっそり見守るナイト」
一体どっちがどっちになるんだろう。
いつかは白黒つけなきゃいけないのが切ないな・・・




「ねえ~、テリィったら聞いてるの?」

にせポニーの丘でのんびり過ごす日曜の午後。
キャンディの膝枕でウトウトしかけたのか、テリィは目を閉じたまま何も言わない。

「テリィ!眠っちゃったの?」

威勢のいい声が上から降ってきたとき、少年はやっと薄目を開けた。

「寝てなんかいないよ。ちょっと気持ち良かっただけさ。君の柔らかい感触がね」
少しだけいやらしそうな目つきをすると、テリィはむっくり起き上がる。
「もお~」と、赤くなって膨れるキャンディ。

「で?何の話してたんだっけ」
「あのね、サマースクールが終わってロンドンに帰ってきてから、何だかステアもアーチーもよそよそしいと思わない?」
「どういうこと?」
「わざと避けてるような気がするの、私たちを」
「君の考えすぎじゃない?」
「そうかしら」
「まあ、気を遣ってくれてるのかもしれないぜ」
「?」
「恋人たちの邪魔しちゃいけないって」

その台詞を聞いて、キャンディの頬は林檎のようになった。

「俺たちも漸くカップルとして認められたってことだな。あいつらの気持ちに応えるためにも、今まで以上に君を大事にするよ。なんたって姫君を守るのは俺の役目だから。だろ?」

キャンディは何も言えなかった。ただ心臓がドキドキして、黙ったままテリィの胸元を見つめた。
少し開いたシャツの襟からは、ほどけかけたシスターリボンがぶら下がって風に揺れている。
その奥に、日焼けした逞しい首筋が覗く。

放心状態で酔いしれていると、急に手首を強く握られた。
体全体を抱き上げられ、あっと言う間にテリィの腕の中。
驚いたように彼を見上げると、栗色の前髪が覆いかぶさってきて、そのまま唇をついばむ。

そっと触れた優しいキス。
キャンディは夢見心地だった。

だが、心のどこかで「声」が叫ぶ。

違うわ。
この前、森で助けられたときにされたキス──あの唇は、今のと違う。テリィじゃなかった。
じゃあ、一体あれは誰?




愛しい少女を腕に抱き、くちづけを繰り返すテリィ──
愛する人の鼓動を感じ、うっとり目を潤ませるキャンディ──

だがそんなとき・・・
最悪のタイミングで、またもや金髪の少年はこの二人を目の当たりにする。
どうしていつも、恋人たちが頬を寄せ合うのを見てしまうのだろう。
たまたま通りかかったアンソニーは、胸が引き裂かれるような光景を遠巻きに見せつけられ、我が身の不運さを嘆いた。

(またあの二人の幸せを確認する羽目になるなんて、僕は呪われてるのか?キャンディのためなら強い男になりたい。だけどもう・・・疲れた。正直、どこか知らない土地へ逃げていきたいよ)

亡き母に助けを求めようとしたのか──アンソニーは天を仰ぎ見る。
その目には、蒼い真珠がひとしずく光って流れた。




秋が深まっていく。
学院の中庭に植えられた木々の葉は、赤や黄色に色づき始め、アンソニーの「にわかバラ園」も、秋バラの競演が見事だった。
だがその空間でキャンディが笑顔を見せることは、もうない。
スコットランドの夏が終わり、新学期が始まった頃から、アンソニーとキャンディの間には少しずつすきま風が吹くようになっていたから。
どちらからともなく、互いの間に距離を置いた。
親しく話す機会を持つこともない。
言葉を交わすといえば、たまたま校舎ですれ違ったときに挨拶するくらい。

キャンディがコーンウェル兄弟の部屋を訪れることもなくなった。
ステアはパティと、アーチーはアニーと、そしてキャンディはテリィと・・・
それぞれにパートナーを見つけ、二人で過ごす時間を大切にしているようにも見えた。
勿論ステアやアーチーは、「男同士の時間」を積極的に作り、随分と気を遣ってくれる。

だがアンソニーは孤独の淵にいた。

エルロイ大おば様の命令を伝えるため、急にジョルジュが学院に現れたのは、そんなときだった。
命令とは、「急ぎアメリカへ帰国するように」というもの。

その頃、ヨーロッパには黒い噂が立ち始めていた。
長引く植民地政策の対立が頂点に達し、英仏とドイツが開戦するという噂だ。
もし現実になれば、ロンドンも戦渦に巻き込まれる恐れがある。
そうなる前に帰国せよ、というのが大おば様からのお達しだった。

「誠に急なお話で、皆さんはまごつかれると思いますが、帰国は一週間後です。全ての手続きはこちらで取らせていただきますので、荷物の準備だけ整えてお待ちくださいますように」
アンソニー、ステア、アーチー、イライザ、ニール、そしてキャンディが整列する前で、ジョルジュは丁重に頭を下げた。

「一週間って、そんなに急がなくちゃいけないの?」
焦ったキャンディは、半ばどもりながらジョルジュを見上げる。

「そうだよ、いくらなんでもそれは急すぎるなぁ。何とか11月まで待ってもらえない?一ヶ月もあれば、いろいろ整理できるんだけど」
これまた慌てるステアの肘をつつき、「整理って・・・どうせガラクタの山を片付けるだけだろ、兄貴の場合」と苦笑するアーチー。
「ガラクタだと?貴重な発明品の数々と言って欲しいね」
「ぷっ!」
ステアの返答に、思わず吹き出すアンソニー。
「なんだよ~、お前まで馬鹿にして」
メガネの奥の茶色い瞳は、思いっきり不機嫌になった。

「ウォホン!」
少年たちのおしゃべりを一喝すると、ジョルジュはおもむろに付け足す。
「この決定はエルロイ様だけではなく、ウィリアム様のご意向でもあるのです。申し訳ございませんが、覆すわけにはいきません。どうか御理解くださいますように」

「へえ~、ウィリアム大おじ様が絡んでるんだ」
「じゃあ、逆らっても無駄ね」
ニールとイライザは物分りのいい顔をして呟くと、「分かったわ、ジョルジュ。一週間後ね?了解よ」
そう言うと、アンソニーたちに手を振って、さっさと応接室を出て行ってしまった。
その後を追うように、ジョルジュも一礼して部屋を出る。
アンソニーに説教されて以来、キャンディに意地悪することもなくなったイライザは、実にさばさばしたものだ。
以前とはうって変わった態度に、コーンウェル兄弟とキャンディは、安堵のため息を漏らす。

だが、アンソニーの関心は別のところにあった。
自分だけが知っているウィリアム大おじ様の正体・・・なぜ彼はエルロイに同調して、自分たちに帰国を促したのだろう。

(アルバートさんの口添えって、一体どういうことなんだ。もしかしてキャンディをテリィから離す目的で・・・。それは僕のため?)

見えない本心を探ってあれこれ考えを巡らしていたら、隣でアーチーの声がした。
「キャンディ、勿論僕らと一緒に帰るよね?」
ステアの優しい声が続く。
「テリィとは別れ別れになるけど、しょうがないさ。それもきっとしばらくのことだよ。ほとぼりがさめれば、またロンドンへ帰ってこれるだろうし」

返答に困って黙り込む彼女に、兄弟は代わる代わるウィンクする。
「じゃあ僕たちは一足先に部屋へ戻るね」
きょとんとするキャンディ。

「君はもうちょっとここにいなよ」
「え?」
驚いたような顔に向かって、アーチーはまたウィンクした。
「アンソニーと話すの、久し振りだろ。たまにはいいんじゃない?二人きりになっても」

その言葉に、キャンディの顔は見る見る赤く染まっていく。
ステアが「じゃあ、ごゆっくり」とドアを閉めた途端、胸の高鳴りは最高潮に達した。

(私ったら、どうしちゃったのかしら。アンソニーと二人になってこんなにドキドキするなんて・・・。テリィに怒られちゃうわ)

でも心は正直だ。
スコットランドから帰って以来、まともにアンソニーとしゃべったことがなかったから、余計だった。
気がつくと、こんなにも近くに彼の顔がある。

(ど、どうしよう?何をしゃべったらいいの?)

その時、頭の上から甘く懐かしい声が流れた。

「キャンディ・・・大事なのは君の気持ちだ。どうしても帰りたくなければ、ここに残ればいい」

見上げると、アンソニーの笑顔。
いつもと変わらない金色の髪に、青く優しい瞳。

久し振りに間近で見る彼の姿に、キャンディの胸は押さえきれないほど、ドクンドクンと音を立てた。

「でも、大おじ様や大おば様には・・・」
「大丈夫さ。僕が何とかするから。これでも大おば様には一番気に入られてるんだ。僕の言い訳なら、きっと聞いてくれるよ」
そう言って、彼の右手がキャンディの肩にそっと触れる。

その瞬間、フッと鼻先をかすめた甘い香り──
キャンディは「あの日」を思い出して、めまいを覚えた。

(これよ!これだわ。あの森で感じたのと同じ香り。崖に落ちそうになった私を助けてくれた人の香り。じゃあ、じゃあ、テリィが来る前に私のそばにいたのは・・・)

「どうかした?」

青い顔をして自分を見上げる少女に、アンソニーは優しげな声を発す。

「な、何でもないの。ただちょっと、ちょっとだけ・・・」

その先が声にならず、キャンディは後ずさりしながら部屋を飛び出していった。




その週末、外出許可を取ったキャンディは、ブルーリバー動物園にいた。
アルバートの控え室を訪れているのだ。
帰国の期限まで、もう一週間を切ったというのに、一体どうしたらいいのか答えを出せずに苦しんでいた。

「で、君はどうしたいんだい?」

うつむいたまま泣きそうな顔をしているキャンディに、アルバートはホットチョコレートを注いでやった。

「それが分かれば苦労はないわ」
「今付き合ってる相手はテリィなんだろ?」
「そうよ」
「なら、答えは簡単じゃないか。そういう場合、恋人のそばに残りたいと思うのが普通だけど」
「でも・・・」

キャンディは初めて顔を上げた。心なしか緑の瞳は潤んでいる。

「他にも気になる人がいるから、帰国の決心が付かない。そうだろ?」
「・・・」
「君の中ではまだ決まってないんだね。アンソニーかテリィか・・・。神様はなかなか答えを教えてくれないってわけだ」

キャンディは答える代わりに、ホーッとため息をついた。

「冷めちゃうよ。焦ったってしょうがないから、ココアでも飲むといい。少しは落ち着く」

促されるまま、キャンディはマグカップに手を伸ばし、丸みを帯びたラインをすっぽり覆った。そしてこげ茶の液体を口に含み、一気に飲み干した。温かさが体の芯まで伝わってくる。

「実はね、ちょっと気になってるの。アンソニーのことで。彼に聞いてみたいんだけど、何だか怖くて」
「どうして?」
「答えを聞いたら、益々揺れる気がするのよ。テリィとアンソニーの間で」

少しだけ表情が和らいだ少女を見つめながら、サングラスの奥にある瞳は優しく笑った。

「それでも勇気を出さなきゃいけない時があるんじゃないかな。アンソニーに会ってごらん。聞きたいことがあるなら確かめた方がいい。アメリカへ帰るか、ここに残るかは、全てを納得してから決めるべきだと思うな」

すがるように緑の瞳が見つめ返した。

「そうしなきゃ、きっと後悔が残る」
「ホントに?」
「勿論さ。君はとうにそのつもりなんだろう?でもテリィに気兼ねして、アンソニーに会うのを遠慮してるだけなんだ。だから僕の役目は君の背中を押してあげること!」
「アルバートさん・・・」

キャンディはやっと笑った。
「ありがとう。おかげで勇気が出たわ。私、アンソニーに会ってみる。もし本当のことを聞き出せなくても、会うだけで気持ちが落ち着くと思うの」
「それがいい」

嬉しそうに帰っていく少女を見送りながら、アルバートは心の中で思った。

(もしかして君は気づいたんだろうか。スコットランドの森で助けてくれたのは、テリィじゃなくてアンソニーだったってことを)




次の日、キャンディは男子寮の裏庭へ足を運んだ。
久し振りの空間を見渡すと、真っ先に視界へ飛び込んだのは、アンソニーのバラたち。
今を盛りの秋バラが、見事な競演を繰り広げている。
赤、白、黄、薄ピンク、クリーム・・・その中で一際目立つのはスイートキャンディ。
決して派手な色ではないのに、見る者の心を打つ健気な姿を見ていたら、キャンディは切なくなった。

その花弁の奥で、丹念に剪定をするアンソニーの横顔が見え隠れする。
何故かドキッとした。
初めて見る顔でもないのに、もう何度も見ているはずなのに、出会った頃のときめきが蘇って、わけもなく胸が震えた。

(アンソニー、あなたなの?森で私を抱きしめてくれたのは)

声にならないまま立ち尽くす少女に、優しい声が聞こえた。

「ハロー、キャンディ!久し振りだね、君がここに来るなんて。テリィと待ち合わせ?」

からかうように笑うアンソニーが、少しだけ憎らしかった。

(そんなわけないじゃない!テリィと会うのに、わざわざあなたのバラ園で落ち合ったりしないわ)

黙ったまま拗ねた素振りを見せたキャンディに、「ごめん、冗談だよ」と少年はまた笑う。

「何か用事があって来たんだよね。もうふざけたりしないから話してごらん」

ズボンの裾に付いた泥をパンパンと払い落として立ち上がると、青い瞳が見つめてきた。
何を言っていいか分からなくなり、キャンディはうつむいたまま、やっとの思いで口を開く。

「あのね、スコットランドで・・・」
「スコットランド?」
「・・・」
「スコットランドがどうかした?」
「あの・・・あの・・・」

(スコットランドの森で、私を初めに見つけてくれたのはあなたなの?)

そう言いたいのに、言葉が出てこない。
小さく拳を作ったまま口をつむぐ彼女に、アンソニーはもう一度声をかけた。

「キャンディ?」

怖くて真相は聞けない。だから咄嗟に話をはぐらかす。

「あのね、いつかあなたに言ったわよね。スコットランドに行く目的は、丘の上の王子様の正体を知りたいからだって」
「ああ、覚えてるよ」
「でも結局分からなかったわ」

ちょっとガッカリ気味の彼女に、アンソニーは優しく微笑む。

「君の王子様は凄く近くにいるのかもしれない、本当は。気づいていないだけで」
「え?」という顔をするキャンディ。
「そんな気がしただけさ。真実は意外に自分の足元にある・・・ってね」
「ホントに?」
「でもね、今はまだいいんじゃない?王子様探しは、君がもっと大人になるまで取っておくといいよ」
「それもそうね。先の楽しみは多い方がいいもの!」

急に顔を輝かせるキャンディを見て、アンソニーは吹き出した。

「わざわざそんなことを言うために来てくれたの?」

途端に恥ずかしそうな顔をする少女。

「分かってるよ。君が本当に言いたいことが何なのか。言い出しにくいだろうから、僕が代わりに言ってあげる」

アンソニーはキャンディの目を、奥まで見透かすように覗き込んだ。

「アメリカへは帰らないでここに残りたい、テリィと一緒に・・・だろ?」

その瞬間、緑の瞳が哀しそうに歪んだ。

「僕に遠慮しなくたっていいんだ。君は自分が選んだ道をまっすぐ進むといい。それが僕自身の幸せでもあるって、やっと気づいたから」
「アンソニー・・・」
「レイクウッドの日々は、もう彼方へ過ぎ去ったってことさ。僕らが生きてるのは未来を築くためだろ?過去に埋もれるためじゃない。だから顔を上げて一歩を踏み出すんだ」

彼の両手が優しく肩を包んだとき、また「あの香り」がした。
切なくて苦しい。
一筋の涙がキャンディの頬を伝う。

(違うの!違うのよ、アンソニー。あなたの口から聞きたいのは、そんな別れの言葉じゃない。どうして本当のことを言ってくれないの?私がテリィを選んでもいいの?それとも森で私を助けてくれたのは、あなたじゃなくて別の人?)

キャンディは「香り」を確かめるように、アンソニーの胸元へ顔を近づけた。

甘いバラの匂い。ずっとずっと前から知っているアンソニーの香り。
どうしてあの時、すぐに気づかなかったのかしら?


テリィへの想いが、勘を鈍らせたのかもしれない。
レイクウッドの頃とはすっかり変わってしまった自分の気持ちが悔しくて、キャンディはうつむいたまま、また涙を流した。

「そんな顔、らしくないな。いつかも言ったよね?君には笑顔が一番似合うって。だから笑ってごらん」
「ごめんなさい。あなたの言うこと、よく分かったわ。私・・・ここに残る」

辛うじて笑みを浮かべた彼女に、「やっと決心が付いたね。良かった」と、アンソニーは小さく微笑み返した。

そしてキャンディは去っていく。
アンソニーに背を向け、一歩一歩大地を踏んで。
小さな影がバラ園からどんどん遠ざかっていくのを、少年は黙って見つめる。

今ならまだ間に合うかもしれないのに──
走っていって抱きしめて、「僕のそばにいて欲しい」と素直に言えたら、どんなにいいだろう。
だが、それは出来なかった。
今にも走り出しそうな足は理性の力で押し留められ、地面を離れることは決してない。

(これでいいんだ。いつかは僕ら二人のうち、どちらかを選ばなきゃいけないんだから。なら、今が潮時だろう。未来へ続く道へ手を引いてやるのも愛じゃないかな。たとえその道に僕の存在がないとしても・・・)



一枚の枯葉が舞う。
そしてまた一枚、更に一枚と、頭上から色づいた落ち葉がハラハラと舞い降りる。
見上げた木の上に、今度も「彼」を見つけてアンソニーは驚いた。

「なんだい、また君か。覗き見ぐせはまだ治ってないようだな」
「別に覗いてたわけじゃない。いつかも言ったろ?ここは俺の特等席なんでね。勝手にラブシーンを始めたのはそっちだぜ」

アンソニーは思わず苦笑する。

「あれがラブシーンに見えたんなら、君も焼きが回ったな」
「かもしれない」

笑い返すテリィはそれ以上言わず、枝の上に伸ばした膝を縮めて背中を丸めると、勢いよく飛び降りた。

「今日は『振られたな、坊ちゃん』って、バカにしないのかい?」

いつかの光景を思い出して呟くアンソニーに、テリィは「そんな気分でもないんでね」とウィンクする。
意外な反応を受け取り、青い瞳は戸惑って揺れた。

「キャンディが俺たちのどっちを選ぼうと、恨みっこなしでいこうぜ。もし俺が選ばれたら全力で幸せにする。勿論キャンディのために。そして・・・あんたのためにも」

アンソニーは益々驚いて目を白黒させた。
攻撃的でしかなかったテリィが初めて自分に心を許したからだ。
一体何が彼を変えたのか──皆目見当がつかないまま、アンソニーは立ち尽くす。

「黙ってないで、あんたも誓え」
「な、何を?」
「もしあんたが選ばれたら、キャンディを全身全霊で愛すって。それは俺のためでもあるんだからな」
「あ、ああ。勿論誓うよ」

少しどもりながらやっとの思いで返答すると、目の前に右手が差し出される。

「キャンディにはフェアで行こうぜ」

(彼からこんな台詞を聞こうとは思いもしなかった。なんだかレイクウッドの頃を思い出すよ。ステアとアーチーと三人で、お互いを牽制したっけ。キャンディが誰を選ぶのか、結局答えは出ないままだったけど・・・)

秋の日に、一年前のきつね狩りが重なる──

(もしあの時事故に遭わなければ、今頃僕と彼女はどうなっていただろう)

過ぎ去った昔に思いを馳せる自分が可笑しく思え、アンソニーはフッと笑った。

「何だよ、失礼な奴だな。ニヤニヤするなんて。俺が握手を求めたのがそんなに滑稽か?」

ちょっとむくれるテリィに詫びながら、アンソニーはすかさず自分の右手を差し出し、彼の厚意に精一杯応えた。
強く握り返してくるテリィの右手は、とても大きく、温かい。

(思った通りだ。本当はいい奴なんだな、君。みんなは誤解してるだけなんだ)

「で、ついでだからもう一つ確認したいんだけど」
握手が済んだ手をポケットに突っ込むテリィは、照れ隠しに背を向けて言った。

「今度は何?」
「スコットランドの森でキャンディが道に迷ったとき、どうやら俺より先に彼女を見つけた奴がいるらしいんだ」
「!?」
「それってもしかすると、あんたじゃないのかい」

テリィは咄嗟に振り返り、相手の目を真っ直ぐ見据えた。
ドキッとして大きく見開かれた青い瞳が、greenish blueの瞳に映ってユラユラ揺れる。
それでもアンソニーが真実を口にすることは無かった。

「さあ・・・知らないね。彼女の勘違いだろう」

平静を装ってサラッと言いのける。
これ以上突っ込まれたら、どこまでとぼけられるだろう
不安にさいなまれた時、救いの始業ベルが鳴り響く。

「おっといけない!午後の授業だ。君は出なくていいのか?」
「聞くだけ野暮だろ」

テリィはクスッと笑う。

「でも出席日数が危ういんじゃないのかい?そろそろ真面目にやった方がいいぜ。さもないと留年ってことになる」
「かまわんさ。間違いだらけの解説を聞くより、自分で参考書を読んだ方がずっとためになる」

アンソニーは答える代わりに口笛を吹くと、肩をすぼめて見せた。

「一応僕は優等生で通ってるんでね。生憎と君に付き合う気はないよ。これで失礼するけど悪く思わないでくれ」

テリィは「分かった」という合図を送る。
アンソニーも右手を高く上げて振り、別れの挨拶をテリィに返した。

急ぎ足で校舎へ引き上げていく背を見つめながら、テリィは確信していた。

(やっぱりあんただったか、森でキャンディを救ったのは。ってことは、彼女の直観は正しかったわけだ。なのにどうして名乗りを挙げない?なぜ『一番先に君を見つけて助け起こしたのは自分だ』と彼女に言わない?これ以上キャンディの気持ちが揺れるのを見たくないからか。たとえ俺に盗られても、自分は身を引いても、彼女が幸せなら満足できるからか?──だとしたら、とんでもないお人好しだぜ、アンソニー・ブラウン!)