3年まえの今日 3月2日の写真が、
あらわれました。
いまは、
ほんとうに 便利ですね。
便利には なったけれども、
大切な愛する家族を亡くして、
心の用意が できていないときに、
たのみもしないのに、
ふいに、
こうやって、
スマホの画面に、
3年まえの今日の写真が、
あらわれる。
ひごろは、
便利にスマホを使っているくせに、
今日はスマホが いやになる 。
3年まえの3月1日、
爆弾低気圧が ふきあれて、
翌 3月2日は、
雲ひとつない 快晴でした 

その3年後の今日、
かなしみのどん底で、
もがく自分になるなんて、
想像すらできませんでした。
ありすは 死なない。
ずっと わたしたちは、
一心同体だ、
そう 思っていました。
2年前の9月26日、
ありすが 心不全で、
亡くなってからも、
ずっと ありすとわたし、
ずっと 一心同体です。
けれど、
たましいが 語りかけても、
姿がみえない。
やわらかい ありすのからだに、
ふれることはない。
1週間が 1年に感じる。
毎日 毎日 、
なにかに 急ごうとしている私を、
引き留めてくれたのは、
短歌でした。
ありすへの愛、
ありすだいすきだよ、
あなたは愛しかくれなかったね、
たくさんの思いを、
ありすが 亡くなってから、
短歌作品に してまいりました。
なかには、
犬のことだから、
擬人化するのではなく、
ちゃんと 犬だと詠んだほうが、
わかりやすいのではないか、
と リアル歌会で、
アドバイスをいだだきました。
ですが 私のなかでは、
犬と人間の境が ないのです。
ありすは 愛と笑顔だけを、
生きているあいだ、
ずっとずっと、
毎日 毎日、
私に プレゼントしてくれました。
ありすのことを短歌に詠み、
いま、すこしずつ、
立ち直りつつあります。
私の命をつないでくれている短歌。
数年前から、
私は 長崎原爆殉難者遺族として、
原爆の後遺症で 亡くなった、
私の父の生前の体験をもとに、
原爆詠を 詠むようになりました。
そして 震災のことも。
グスタフ・マーラーの、
交響曲 第2番 『 復活 』
この『 復活 』の詩を読み、
なみだが あふれました。
生と死が編まれた詩を、
何度も 何度も 読み返して、
そして チケットを買って、
コンサートホールを訪れ、
交響曲第2番『 復活 』を 聴きました。
そして 歌を詠みました。
馬場先生、
私に 光をあたえてくださり、
ほんとうに ありがとうございます。
翌年は 勤務していた会社からの、
10年におよぶ、
壮絶な パワハラに悩むなか、
通勤バスに 乗るところを、
短歌に 詠みました。
馬場先生、
佐佐木先生、
ほんとうに ありがとうございます。
この受賞後、
ありすの心臓病の看病のため、
わたしは 会社を退職しました。
むかしむかしのわたしは、
過去をふりかえる人は 弱虫だと
思っていました。
でも それは 違う、
と 今のわたしは、
むかしのわたしに言えます。
今の自分を作ってくれたのは、
まぎれもない 過去のわたし。
だから 愛おしく、
懐かしい過去たちは、
今の自分をささえてくれている。
ときどき うしろをふりかえりながら、
でも、
前を向いていかなければ。
涙だけを ためているわけには、
いかない。
明日のために。
たまらなく愛おしい
過去にもドレスにも
明日のために
ファブリーズかける
橘 まゆ