原爆童話 「 終わりをください 」 | あいらぶありす

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家族のために一生懸命な
パパ & はすなこと橘まゆの日々のブログです♪



「 終わりをください 」



ある国で、長く つらい戦いがありました。

その戦いも、終わりを

迎えようとしていました。



ミカエルは、9歳の男の子。

かくれんぼが 大好きです。

お父さん、お母さんは、

1年前に、空爆で

亡くなりました。

だから、ミカエルは弟のジルと

2人ぐらしです。

いまは、おうちのそばに

マメ爆弾が落ちても

びっくりしなくなりました。

ですが、そのおうちも

けさ、マメ爆弾が落ちて

粉々に、砕かれました。

ミカエルのおうちは

なくなってしまったのです。

幸い、ミカエルと 弟のジルは、

ぶじでした。

おうちがなくなってしまったので

兄弟は、

兄弟は、お父さんの遺した

腕時計と、お母さんの櫛を持って、

誰も使っていない防空壕へと

引っ越ししました。



防空壕から少し 離れた丘に、

大きな 一枚岩が ありました。

ミカエルは、弟のジルと2人で

空爆でなぎたおされた木の

残骸の穴の中に 丸まっている虫と、

木の葉っぱを食べて

暮らしました。

他には何も、食べるものが

ありませんでした。


天気が いい日で、

空に 怖い飛行機が

飛んでこない日には、

2人で 丘の上に登って、

かくれんぼをするのです。



その日も

天気がよくて、雲ひとつない青空が

広がっていました。

兄弟は ジャンケンをして、

夢中で、遊んでいました。

遠くから 近づいてくる

飛行機のプロペラの音にも、

まったく きがつかないほど

楽しい時間が、

兄弟に ながれていたのです。


弟のジルは、ジャンケンに負けて

かくれんぼの鬼に なりました。

「もう いいかい」

「まあだだよ!」



ミカエルは、丘の下のほうの

岩と岩のすきまに

かくれていました。

すると、そのとたん

空が割れるかのような稲妻が

横に はしり

「ドカン‼」という 凄まじい

轟音が、ミカエルの耳を

つんざきました。

ミカエルには、いったいぜんたい

何が起こったのか、

わかりませんでした。

いちもくさんに

ジルのいる大岩めがけ、

駆けました。


ミカエルは、大きな一枚岩を見て

息をのみました。

4歳のジルの小さい身体は、

大きな一枚岩に 影だけが

爆弾の熱線で 焼き付いて

遺っていました。

ジルは、おそらく

兄をさがすため、

岩に登って あたりを

みわたしていたのでしょう。

「ドカン!」という轟音は、

原子爆弾が 空中で炸裂した

爆音でした。


幼い弟の身体は、原子爆弾の熱で溶け

もう この世のどこにも

無くなりました。

ミカエルは、

たった ひとりぼっちになりました。

ミカエルは、だんだん

暗くなってくる

さっきまで青かった空から降る

真っ黒な雨粒に うたれながら、

岩のそばに 立ちつくしていました。






「 ミカエルの詩 」


僕は ひとりぼっちになりました。

弟も死にました。

お母さんも死にました。

お父さんも死にました。

僕は大人になって

結婚したけれど、

愛する人も

生まれた子供も

白血病で死にました。

子供には、ジルという名を

つけました。

僕の子供ジルには、

眼球が ありませんでした。

それでも、ひとつの生命でした。



戦争は 終わったけれど、

僕の身体には

戦争が のこっている。



黒く 忌々しい輪廻は、

いつ 終わるのですか?


僕たちに黙って

戦争をはじめるのは

やめてください。


終わりがくるのは いつですか?

僕の身体の遺伝子の戦争の

終わりがくるのは いつですか?




終わりをください。










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この短い童話を書いて、数年が経つ。

童話を書いてと、依頼されて

書いたものの、

作品は高評価を受けたが、

私の名前が 新人なので

やっぱり 刊行は見送りましょうと、

出版社の販売部門に 言われました。

いつの日か、

世の中の人に、ミカエルとジルの

ことを 知ってもらいたいと思う。



明日8月9日は、故郷 長崎の原爆忌。

娘が、まだ ちいさいときに、

母と娘と3人で、

原爆記念式典に 参列し、

遺族席に 座りました。

当時の総理大臣は 小泉さん。

暑いなか、長崎出身の作曲家の

大島ミチルさんが、

指揮されていた姿が

思い出されます。





明日で、原爆投下70年。



三度 許すまじ。




合掌