『あなたは仏教信者ですか?』
僕自身は完全なる無信仰者であると公言している通りですし、施行をする人は
無信仰者が最善だし、特定宗教以外の葬式もするなら無信仰であるべきです。
信仰する宗教があったら、他の信仰、無信仰者から見れば偏見が強くて当然で、
依頼する家族目線にはなりません。
日本人の多くは、僕同様で無信仰者が大多数だと思えます。
正月は神社に初詣、でも厄年には厄除観音(寺)、子供が生まれたらお包みを
着せて神社に行き、七五三で手を引いて行くのも神社、結婚式はウェディング
ドレスとベールに憧れキリスト教会で行う――、
宗教や信仰という目線で見ればあり得ない現実です。
特定の信仰を持つ人達に聞けば分ります「あり得ない」と言うはずです。
しかし、これが日本人の多くの感覚なのは無信仰者だからする行動です。
僕の1年は30年以上通っている神社への初詣から始まります。
その目的は『家族と一緒に行きお守りを買う』のと『甘酒を飲む』事です。
信仰とは無縁の感覚である『習慣』でしかありません。
毎朝起きるとシャワーを浴びる。年間通して毎朝のルーティーンですが、毎年
年が明けると午前3時に出発、年初めのルーティーンに過ぎません。
神道、仏教、キリスト教と違う信仰でもサラッと出来るのは無信仰者の証です。
特定信仰のある人なら、あり得ない行動なはずです。
でも、それが大多数の日本人なのですから否定する事もないし問題ありません。
何でもありなら、葬式が仏式でも良いんじゃない!?
そう言われるでしょうし、その通りで仏式の葬式でも問題はありません。
問題なのは仏式の葬式が高額過ぎることです。
信仰でもないし、結婚式のようにウェディングドレスへの憧れもありません。
仕方なく行う葬式なのに宗教者への謝礼が30万円~100万円はあり得ません。
葬式全体で最低100万円~もあり得ません。
信仰心が無いから『高い』と思う(信仰心があっても高いと思うよな――、)
また視点を法律にすると、葬式の決まりなど、法律には全くありません。
死後については2つだけです。
1. 死亡診断書記載の死亡時刻から24時間以内の火葬はできません。
24時間以内とは書いた時間も含まれ(午後3時は、午後3時1分以降です)
2. 火葬には行政の発行する『火葬許可証』が必要です
法律の決まりは他にはありません。
また葬式は全国全県全地域で全て違うと断言できますから、無信仰者の葬式や、
我が家の葬式があって当然と言えます。
宗教色無しでも良いし、様々な宗教の良いとこ取りでも構わないのです。
現に仏式の葬式をして棺の中に生花を入れるのも普通でしょうが、元々仏教の
葬式で棺に花入れはなく、花入れがあるのはカトリック系のキリスト教です。
仏式の葬式ですら、これが現実のですから無信仰者は自分達家族の思う通りの
葬式をすれば良いのです。
あーだ、こーだ言うのは特定の信仰を持つ人だからでしょう。
じゃなかったら、言ってることの意味が分かりません。
『直葬』
お金の掛らない葬式と考える人達ばかりですが、これは違うし偏見です。
無信仰だからの葬式が直葬なんです。 勿論、余裕の無い家族ができる唯一の
葬式でもありますが、無信仰者にとって宗教儀式は意味がありません。
だから信仰者達が行う葬式は火葬だけなんです。
でも、存命中から家族との別れを受け入れようと何か月、何年も前から葬儀は
してきたし、逝去後は故人と信仰の深かった家族(血族ではありません)達で
集まり、故人の好きな音楽をBGMでかけ、故人の好きだった食べ物を食べな
がら、写真や動画を見ながら、故人との思い出やエピソードを語り、家族達の
心に刻む葬式の時間を過ごしているのです。
葬式は何もしないのか――、は間違いで宗教儀式をする人達よりも、長い期間
ずっと葬儀をし、逝去後の葬式も宗教儀式より濃密な葬式をしているのです。
ただ信仰が無いのですから、宗教儀式をしないのは当り前のことなんです。
これが僕の勧めている無信仰者の葬儀、葬式です。
この葬式を勧めると、家族と業者は正反対の作用が発生します。
『家族への作用』
・とにかく費用が抑えられます
・極端に言えば直葬料金だけのようなものです
・費用面の心配が無くなり、最後の最後まで温かい心で過ごせます
(余裕の無い家族にとってお金の心配は非常に大きな精神的負担になります)
『施行業者への作用』
・とにかく儲かりません(うちなら69.000円+税だけです)
・この葬式ばかりでは経営が成り立ちません
・だからと高額な葬式を勧めて良いか――、対象者を限定するなら構いません
でも利用者を限定してるのは、全国で葬儀支援を行う当方だけです。
それも真逆で、お金のある人、お金の掛る菩提寺葬式は断っています。
無信仰者は今回書いた葬式を土台にして、あとは家族の事情毎に付け足す。
それが『僧侶読経』『牧師神父のお祈り』『神官の祝詞』でも良いし、湯かん
でも良いし、豪華な食事、豪華な花祭壇、何でも好きにすれば良いでしょう。
お坊さんを5人依頼した布施が200万円でも、葬儀屋なら普通に受けます。
元々信仰では無いのですから、同じ金額を支払うなら納得できる葬式をされる
べきでしょう。依頼時に信仰として行って無いと伝えれば良いでしょう。
断る寺もあれば、受ける寺もあるでしょう。
受けた寺は信仰でなく、イベントとして受けてるので問題ありません。
信仰心も無いのに宗教儀式をするほうが不自然です。
本当に信仰のある人達から見れば、冒涜(ぼうとく)とも取れるはずです。
普段から無信仰なのに、葬式だけ信仰と言わるほうが変でしょ――、
建前は要らない――、最後まで無信仰の本音を通せば良いだけの事です。
こんな当たり前に事を今まで、誰も言わなかった事が不思議です。
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