今回の執筆は、改めて過去を振り返る事ができた事で、ずっと不思議に思ってた
ことの謎が解けたのは、個人的には大変意義がありました。

『寺や葬儀屋の知り合いは無かったのに、葬儀、葬式の明確な思考があること』

父親逝去の一報が入る52才まで、葬儀屋勤務の経験なし、葬儀関連の友人もいま
せんし、寺の知り合いもいませんから、自分は葬式の『そ』の字も知らない人間
であると思い込んでいました。ブログにもそう書いてきました。

ところが、執筆で初めて気づいた事の中に葬式経験数がありました。
祖父母、母親、姉、叔父、叔母3名、義兄、奥さん母親と、さらっと思い出せる
だけで10回の葬式経験があり、それらのひとつ、ひとつを改めて思い出すと、
葬式の場に居ただけでなく、色々なお手伝いをしてきた事と、少なくとも葬儀社

と寺は、各々6軒を客観的に見ていた自分を思い出せました。

》スキルス性癌で痩せ細り46才で逝った姉から最後のお願い
》事業の失敗から自ら命を絶った義兄の顔に塗ったファンデーション
》お金が無くて病院から自宅まで毛布に寝かせ従弟の車で運んだ叔父
》業者湯かんで見世物にしか思えなかった叔母
》湯船で亡くなった義母の脱糞処理
》そして自分の死後は全て決め、同居人に書き残した父親の死に様――、

正直なところ全て忘れていました。ってゆーか、繋げて考えた事がありません。
52才で10回の葬式は多いし、ちょっと書いても『特殊な経験してるなぁ』と
今なら分かることばかりです       
ただ、大半は良かったと思う経験ではなく、反面教師に近い経験ばかりです。
個々の葬儀屋の印象、住職の印象などは、何故か全て忘れてましたが、潜在意識

にはしっかり残っていたようです。

葬儀、葬式に対する思考が明確過ぎるため、自分で『気持ち悪いなぁ』と思って
いましたから、思考の出所が分っただけでも安心しました。

『経験に勝る知識なし』
この言葉その通りです。スキーでも、野球でも、勉強もそうですが、机上の空論
では絶対に成功しません。これは葬式でも同じです。

本日2件の火葬をしましたが、1件は仏式、昨日葬式を済ませ、慌てて火葬せず
ゆっくりお別れをして本日の朝一で火葬、11時には拾骨も終わり、その後家族
でのランチタイムに向かいました。

もう一件はキリスト教で、火葬炉に入る所は立ち合い、拾骨は斎場担当者に依頼
して待合所で待機、焼骨を受け取って家族は帰りました。

存命中に行う葬儀も各家族で違うし、葬式の流れも個々に全て違います。
葬儀社が知っているのは、自社の流れに沿わせた葬式が主流ですから、家族達が
本当に満足、納得できるはずが無いのです。

でもこれは葬儀社のせいとは言い切れません。
家族が全くの無知だから自社の感覚を主流とするわけで、家族に知識があるなら
それに沿って組み立ててくれる葬儀社もあるでしょう。

その為には、まずは正確な知識を持つことです。
その知識があれば100%は無理でも、家族の意に沿った葬式は可能です。
それが10万円でも、100万円でも我が家の意に沿ったものではれば、安いと
思わないまでも、高いとは思わないでしょう。 しかし意に沿わない葬式ならば
100万円が80万円でも高いと感じるのでは――、

あなたが世間一般の流れの葬式を良しとするなら、葬儀、葬式の知識を持つ必要
などありません。あなたの地域にある葬儀社に全て任せれば、普通の葬儀社なら
大丈夫なはずです。(葬式は地域が違えば内容も違います)

でも我が家の葬式、温かく送る葬式などを望むなら、普通の葬儀社に依頼をして
任せても、ほぼ不可能と思ったほうが良いでしょう。

但し勘違いしてはいけないのが、あーだ、こーだと指図することではありません。
自分達の意志を事前に伝え、納得してくれる葬儀社なら、して欲しい事があれば
それを伝えるという流れでしょう。あなたや家族の意思が分かっていれば、もし
かしたら家族より一歩上手の対応をしてくれるかもしれません。

――、と色々書いてみましたが、実際の葬式を見て、家族の話しを聞いて決める
のが最善だろうと思います。とはいえ知識は無いより持つべきです。
次回からでも『葬式の知らない教えます』を書こうかと思うのですが、以前にも
書いてる内容との重複は避けられませんけど――、


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