会員さんには事前相談の時に伝えますが『葬儀』と『葬式』は別物と考えてます。
『葬儀』とは
家族が家族との別れを受け入れる為の時間であり、数日の人もいれば、数年掛る
人もいるし、死後も引きずる人だっている。だからとても大事な時間です。
・対象者である家族との別れで後悔しない為に、無理せず今できる事をする
・行きたい場所があれば途中で死んでも良いから連れて行く
・食べたいものがあったら医者に止められても食べさせる
(医師は誤嚥性肺炎を心配するから食べたり、飲んだりさせない)
・逢いたい人がいるなら、意思の疎通ができる段階で逢わせる、などなど
本人との時間を一緒に過ごした家族に後悔が無いのは経験上知っている。
最後の時を過ごすのは精神的にも、肉体的にも、金銭的にも、家族は楽ではない、
でも精一杯のことを続けた家族達は、みんな同じことを言う
「できる事は全てしたから後悔はありません」
だから泣かない家族も多い、やりきったという思いなのだろう。
個人的には、とてもいい葬儀をされたと思う。
だから、我々が手助けできる事はしてあげたいと思う。
『葬式』とは、
逝去後は温かく送ることしかできないし、それだけで良いと思う。
死体に対して騒ぐ事でないし、人を集める事でも、豪華に飾ることでもない。
どちらかと言えば、静かに送ってあげたいとさえ思う。
そして、葬式が終わったあとは、できるだけ早く元気に過ごす姿を見せてあげる。
そして時々で良いから思い出す、これが供養の基本だろう。
だから葬式で金銭的な無理をさせたくない。懐に余裕があれば人は優しくなれる。
僕の葬儀葬式に対する考え方は、だれかに聞いた訳でなく、誰かに教えられた訳
でもないから、葬儀の「そ」の字も知らなかった人間が、なぜこうもハッキリと
自己主張があるのか、ずっと不思議に思い続けてきましたが、ようやく原点とも
言える部分が分りました。
葬儀支援を始めるきっかけとなった父親と、最後を看取ってくれた女性が見せて
くれた火葬だけのお葬式の写真と話、余命宣告を受けてから2人で過ごした日々
の話しは、まさにお互いが別れを受け入れる為の葬儀でした。
たった一人だけで、火葬だけのお葬式をされた女性から感じた心からの満足感、
13年前の僕には全く分りませんでしたが、今ならハッキリ分ります。
執筆しながら読み返して初めて気づきました。
突然逝かれたら、残念ながら悔いは残るでしょうが、葬儀期間が与えられたなら
残された期間をどう生きるか、どう過ごすかが、とても大事だと教えられました。
その女性は、父親との最後の思い出と覚悟を決め、父親の車椅子を押してグァム
まで行った写真がありました。写真に写る父親は車椅子が写って無ければ普通の
老人夫婦の旅行にしか見えないほど嬉しそうにしてました。
そして父親も、自分の死後は全て計画を立て、葬儀屋にも伝え、遺骨はハワイの
海に散骨するよう書き残したそうで、これが彼の精一杯の愛情でしょう。
ハワイの海への散骨は、2つの意味合いからだろうと感じます。
1. 自分の好きなハワイに散骨して欲しいと言えば叶えてくれるはず。
でも、それは方便で、何も残さない事で、俺に縛られる事なく自分の人生を
生きて欲しいという思いでしょう。
2. 最後の時を踏ん張った彼女に、思い出のハワイで身も心もリフレッシュして
おいでという思いと、近くの海ではすぐに行けますが、ハワイは老人が簡単
に行ける場所ではないから、自分の人生と向き合えると思った気がする。
父親は葬儀が僕の天職だと分かっていたのでしょうか。
でも葬儀屋を忌み嫌ってたのも分かってたから、葬儀支援という前例の無い道を
開拓させようとしたのかもしれません。
勿論、事実は全く分りませんし、確認のしようもありません。
葬儀の仕事、いまだ本人でさえ、あれだけ忌み嫌ってきた葬儀の仕事だったのに、
考える間もなく突然始まり、あっという間の12年間で正直、実感は薄いのですが、
父親が導いた流れと考えれば、この13年間はすべて辻褄が合うのです。
それにしても、自分の思考の原点、何故今まで気づかなかったんでしょう。
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