前橋、隣接市と火葬を済ませ、夕方でしたが、その足で散骨に行きました。
毎年この時期は雪で散骨に行けないのが普通なのに、今年は雪がありません。
スキー場にも雪が無いんじゃないかなぁ――、だとしたら死活問題です。
スキー関係の経営者は資金繰りが大変でしょう。 
自然相手のビジネスは計算ができないのが最大の難点でしょうね。

僕も経営者の端くれですが、葬儀支援をして12年続けてきましたが、計算でき
ないのは自然相手の仕事と一緒です。

 

 

今でも自分が葬儀関連の仕事をしてる事が信じられないほど、忌み嫌ってた仕事
でしたが、外から見れば『葬儀屋』も『葬儀支援』も大差無いと思うでしょうね。
多分葬儀屋さんも大差無いと思ってるでしょう。

でも8年間葬儀社に勤務してた千明(ちぎら)は全く別物だと言います。

『利用者との距離感が全く違って親戚か昔からの知り合いのようだ』と言います。
『利用者の我々に対する姿勢というか接し方も最後まで全く違う』とも言います。

さらに『私が知ってる葬儀社の仕事と、あんしんサポートは全てが違う』と言い、
当初は僕の話し方、話す内容、時に断る姿勢など、その全てが理解出来なかった
らしく、隣で黙って聞いてるしか無かったけど、最後まで感謝する家族が多くて
少しづつ、自分の仕事に自信を持てるようになったと言います。

現在執筆中の「生き方の葬儀屋さん」にも書きましたが、千明は元々大手葬儀社
勤務をしており、経営してた美容室のお客さんで、ある店長に連れて来られた人
でしたが、葬儀に対する僕の話しを聞くうちに、自分の仕事が人を騙してるよう
だと思い始め、仕事が出来なくなったという人です。
『今が人生で一番堂々と胸を張って生きてる』と言わせる何かがあるのでしょう。

ただ僕自身は、葬儀社の勤務経験もなく、葬儀とは無関係に生きてきましたから、
違いは全く分かりませんけど、全く知らないとは、何も概念が無いわけですから
利用する家族と同じ目線で葬儀、葬式を見られたのが幸いしました。
家族目線ですから、葬儀社のサラリーマンは務まらない性格です。

物販業も、美容業でも、基本的に利用者目線を貫き通せば、数字は後から付いて
くるもので、商売して結果が出せないのは貫いてないからです。
こう言い切る明確な根拠はありますが、今回は関係ないので省略します。

でも既存にある葬儀屋の仕事は違います。
家族目線を貫いたら上司から大目玉だし、家族目線を貫くなら自社でなく他社の
ほうが、間違いなく良いって思う葬儀社勤務の人は沢山いるでしょう。 
されど給料を貰う限り、利益を出さねばなりませんから、建前と本音が交錯する
のが葬儀社サラリーマンだろうことは想像に難しくありません。

儲けありきで、接遇、付加価値、屁理屈で家族を納得というより、捻じ伏せると
いうか、結局高額なら、料金については触れない――、はぐらかすような仕事を
するしかないのでは――、日々ジレンマを抱えてる生活かもしれませんね。
僕が葬儀社勤務なら、上司や経営者との衝突は必至、絶対に務まらないです。

長い仕事人生の中で、葬儀社に近い感覚の仕事は過去に経験がありません。
食品を始めとした物販業は『より良い物をより安く』が王道で、美容業にしても
バブル崩壊後は同じ感性が必要だったからです。

個人的に商売は『客数絶対主義』であると考えています。
最後の勝者は、より多くの利用者を捕まえたものだと確信しています。

儲け優先でなく、家族目線のみ貫く事が『葬儀支援』となり、人様の役に立ち、
利用者がそれを認め、評判が広がり、事業が安定し、長期存続する。
そこで働く自分は、年老いた人間でも人から必要とされる事ができると実証でき
るし『遣り甲斐と生き甲斐』に繋がる現実を見せ続ける事が、老人達の生き方や
考え方を変える一石にも成り得ると思うのです。

僕にとって『葬儀支援』とは、天職でもあり、我が人生の終盤を意義あるものに
してくれた仕事でもあり、人助けも出来るし、人の役にも立てるし、これからの
老人に対し生き方の一例として示せる最高の事業となりました。
サラリーマンに向いてない性格が、我が人生の中で最も活かされた時だと思う。

 

     にほんブログ村 その他生活ブログ 葬儀・法事(個人)へ 
にほんブログ村 
誰もが終幕後の費用を心配する事なく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい
創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えてたか嘘のつけない自分日誌でもあります