前回のみ横幅一杯に書くつもりでしたが、千明から一杯に書いたほうがスマホでは
見易やすいと言うので、今回も横幅一杯で書いてみます。

前日午後4時から葬式、昨日朝一の火葬、この流れは、あんしんサポート限定で
しょうが、家族葬ならとっても理に叶ってる流れだと思います。

》前日葬式は昼食を食べてから、夕食の間で食事の心配いりません
》服装は全員いつもの普段着で構いません
》読経のあとは午後7時までゆっくりお別れができます
》翌日朝一番の火葬なら無料待合所に絶対に座れます(基本10人まで)
》午前11時には拾骨が済んで斎場を出られます
》土日でなければ普通にランチが食べられます(家族なら問題ないでしょ)
皆さんも本当の家族葬なら検討する価値はあると思います。

ところで昨日は11名のうち7名の孫達は若い人達でしたから、いい機会だと思い
葬式について考えるきっかけにして欲しいと伝えました。

今の若い人達の大半は、現行の葬式は変だと思っています。
親達に言われるから黙って参加してはいますが、自分達の中で納得していません。
お寺との付き合いなど皆無なのに、葬式の時だけ出てきて布施40万円、50万円
と言われても、何処にそんな価値があると思って当然です。
あの世に逝って――なんていう脅しは若者には通用しませんし、あんた死んだ事が
あるのか!? これが僧侶に対する本音でしょう。

個人的にはいい傾向だと思います。
家族との別れを受け入れる存命中の『葬儀』なら、費用と時間を費やしたとしても
後悔には繋がらず、納得に繋がってくれるでしょうが、人生を閉じた人間に対して
高額な費用を掛ける事に何の意味があるのか、掛けるなら生きてる時じゃねぇの、
これが多くの若者の本音であり、その通りだと思うからです。

死んでから逢いにきてくれるより、意思の疎通ができる存命中に逢いにきてくれる
ほうが対象者だって良いに決まってます。

葬式の夜は配偶者である婆ちゃんに爺ちゃんとの馴れ初めを聞いたり、爺ちゃんの
思い出をみんなで語って過ごすよう伝えました。
葬式はどうしても故人だけが注目されますが、こうする事で残る婆ちゃんのことも
考えられる孫達になって欲しいと思ったからです。

故人は行年94才(満93才)死亡診断書には『老衰』と書かれています。
男性で老衰と書かれるのは珍しいですから、残った婆ちゃんの笑顔で送ってあげる
のがベストかなぁ――と思い、拾骨も僕が先導してワイワイ、ガヤガヤと賑やかに
温かい空気の中で最後まで送れました。

家族全員で『澄ました顔』や『笑顔』の写真を撮りたいとカメラを渡され、場外で
数回シャッターをきりました。お葬式が良き想い出の時間となるなら、写真に納め
ておけば、盆や正月で全員集まった時、また爺ちゃんの話しになるから、それこそ
供養になるわけで、供養の布石としては良い方法だと思います。

 

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