相変わらず年末の入会が続いて、本日29日も朝一から
入会相談で千明が対応してますが、年末年始に予断を許
さない対象者がいるみたいです。

我々は毎年の正月も、しっかり休んだ記憶はありません
から、慣れと言うか、仕事柄しゃあないと言うかですが、
我々以上に忙しい正月を過ごしてる人は沢山います。

正月何処に出掛けても、働いてる人達が対応してくれて
食事ができたり、映画を見たり、初詣もできたりする訳
ですから、自分が休みだから、皆が休みじゃないんです。

しかし世の中には視野の狭い人も多く、自分の持ってる
感覚は人も同じだと思ってる人がいます。
これを露骨に出すのが葬式だったりするわけです。

「葬式はこうするもんだ、それが当たり前だ」と言う人
結構いますが、この人より間違いなく葬式に詳しい僕は
葬式に対する感覚が違います。

13年前は素人で何も分かりませんでしたから、言われる
ままに近い感覚でしたが、5年、10年、100件、1000件
と葬式をして思うのは「なんで死んでから騒ぐ!?」と
思うし、多くの皆さんが思うのか、残る家族生活以上に

大事な葬式は絶対無いし、間違ってるのに、有り金を全

部はたかせたり、ローンまで組ませてまで行う葬式。

こんなの意味も価値も分かりません。

誰の為に、何の為に馬鹿っ高い費用を掛けたり、無理を

してまでするんだ? としか思えないし現状と感覚は、

年々強くなってます。

特定の信仰はありませんから、宗教儀式は無用です。
良い時も、辛い時も、ともに生きた大切な家族がこの世
から姿を消すという現実を受け入れなくてはならない。
その辛さは宗教儀式では癒してくれません。

だから死後でなく、存命中のお別れが大切なんです。
それは残る家族だけでなく、逝く人にとっても同じです。

映画の1シーンじゃないけど・・・
「あなたと出会って過ごせた人生は幸せでした」
「君と過ごせた人生は最高の宝物だったし」
「君のお蔭で子供達とも出会えた僕は本当に幸せ者だ」
「僕は幸せな人生を生きられたし、できればあの世でも」
「幸せなままで居たいから、君や子供達が笑顔で生きて」
「くれる事が最高の贈り物だと思って欲しい」

ちょっと臭過ぎるけど、こんな感覚が持てたら、最高の
葬儀が終わった瞬間だと思う。
でもこれは死後でなく、存命中で無ければできません。
これが「葬儀」そして静かに息を引き取る・・・

死後に行う「葬式」は故人が盛大にと望み、後の生活に
支障が無ければ盛大にし、僕みたいに家族だけで送って
くれたら良いと思う人は、そうすれば良いのです。
でも大事なのは死後でなく、存命中なのは間違いない。

そう考えると、心筋梗塞、くも膜下出血、脳溢血、また
事故などで突然の他界は、当人も家族にも心残りです。

できるなら、家族、友人などとしっかり別れを済ませて
から逝きたいものだし、それが叶った人は人生の閉じ方
としては幸せなのかもしれません。

この年末に来て、こんな話題を書いたのは、正月ならば
普段は余り逢えない家族とも逢う人が多いからです。

正月から死の話題は、決して喜ばないでしょうが、いつ
誰に、何が起きても迷わないように家族間で確認しあい
来年の正月も家族全員が元気で逢える事を願い、誓って
新年を迎える・・・これもありだと思うのです。
 

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