執筆する本人がそうですが、完全なる無信仰者です。
だから、いかなる宗教でも否定はしません。
人を殺めたり、霊感商法や騙して金品を搾取する等、
人道的な問題は批判しますが、信仰そのものを批判
することはありません。 それは無信仰だからです。
さて、葬儀屋さんも含め「無信仰の葬式って言われ
いも何をして良いか難しい」と言う家族がいます。
この言葉が変なのに気づきますか?
仏式、神式、教会式で「宗教者が行う」部分に何を
すれば良いだろうと考えるみたいです。
なぜ省くという発想にならないのでしょう。
その結果「音楽葬」など意味不明な葬式が生れます。
概念って怖いなぁって思う。
多分、宗教儀式のあとで行う「花入れ」などお別れ
って短時間でするものだと思ってるんでしょう。
なら逆に聞きます。
黒の礼服を引っ張り出し、アイロンを掛け、仕事の
合間や休みをとって式場に向かい、1万円の香典を
出して、名前を書くと暫し式場の椅子で待たされる。
聞きたくもない宗教者の読経を長々と聞かされて、
自分は「枯れ木も山の賑わい」のような存在として
座り、焼香だけして帰ってくる・・・
故人に厚い信仰心があるなら、これも当然と思える
けど、そうで無かったら「はぁ!?」って思ったと
しても不思議ではないでしょ!?
無信仰の故人なら、こんな葬式をする必要はない。
無信仰の葬式を立案する中で一番多いのが、以下の
ような流れです。
午後2時頃から午後7時頃までの中で3時間ほどを
設定します。 例えば3時~6時とする。
すると年寄達は1時間前に来る人もいるから、実質
2時からとなり、午後6時と言っても少し遅れると
いう人や、仲の良かった人達は1時間くらい余計に
いるから、実際は2時~7時の5時間掛かります。
あんしん館式場祭壇前、頭を祭壇に向け蓋は開けた
納棺状態でご安置しておく。
足元には線香(焼香)を数セットと、花の部分だけ
切り取った生花を山盛りに入れた籠を置きます。
午後2時、喪主から順に焼香し、生花を入れていく。
あとは順次会葬に来てくれた人達に、香典を預かる
時は受付をし、香典なしなら芳名帳だけ書いて貰い
喪主と同じ流れです。
友人たちは一緒に来ますから、花を入れて棺を囲み
あーだ、こーだと自分達の思い出を好きなだけ語る
こともできるし、それを順次して貰うと2時間など
あっと言う間の故人もいるし、あまり会葬者が多く
なければ、棺の周囲に椅子を配置して、お茶を飲み
ながら故人の思い出を語る時間にすればいい。
宗教儀式が終わると、急き立てられ火葬に入るより
遥かに温かく送れる葬式になるはずです。
本音を言うと、我々は宗教儀式のほうが短時間です
から楽です。 でも家族間のお別れも含め、最後に
逢いたい人達にも逢えたり、故人の親しい人達とも
ゆっくり会話ができる時間は、これが最後なる事の
ほうが多いですから、その後のお付き合いも続けて
いける時間にも成り得るはずです。
そして翌日の火葬は朝一番もしくは、午前中に行い
そのまま納骨に行かれるのも良いでしょう。
火葬の基本は家族だけですが、火葬にも来たい人が
いれば来て頂けば良いし、人数が多そうなら待合室
だけ用意すれば良いし、友人たちが多ければ飲物と
乾物をスーパー等で買ってきて貰い、お世話をして
貰うのもありです。
にほんブログ村
誰もが終幕後の費用を心配する事なく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい
創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えてたか嘘のつけない自分日誌でもあります