今回の話題も客観的でなく、僕の思考「我想う」です。
僕が「葬儀」と「葬式」を区別したのは、宗教儀式の
存在があったからだと思います。

最大宗教のキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、
そして日本に多い仏教、神道、さらに新興宗教など、
数えればきりがないほどの宗教と宗派があります。
厳密に言うと、それらの全てが異なる葬式をしてます。
また僕のように典型的な無信仰者も多数存在します。

個人的な見解では「信仰とは生き様」だと思ってます。
どう生きるかの道しるべの宗教に異論はありません。
信者の心の支えとなるなら、その信仰は評価に値する。

その信仰の信者なら、当然葬式も宗教儀式となります。
但し他人を中傷したり、傷つける事があってはならん
のは、人間が共同で生きる上での鉄則です。

では現在の日本を冷静に見てみましょう。
日本人の多くは「神仏信仰もどき」と言えましょう。
ただ寺の存在は生きる上で殆ど出てきません。

正月初詣は神社が多く、次が寺への初詣です。
子供が生まれると、お包みを着せて神社に行きます
七五三も子供を連れて神社に行きます
成人式のお参りも神社です
結婚式はキリスト教会でウェディグドレスで行います
この夫婦に子供が出来れば同じ道を歩みます。

この夫婦が70歳に成っても寺の存在は出てきません。
ところが逝去した途端、寺が出てきます。
住職はお付き合いがあると言います。 どこに!?
寺に墓のある人達は寺へ行くこともあるでしょうが、
公営墓地、自所墓地、地域墓地なら寺にいきません。

もしかして寺は墓地屋!?もしくは葬儀屋!?ですか、
これなら納得しますが、宗教者だと言うし宗教法人と
許可されてるけど、生きる教えは聞いてません。
教会のように決まった曜日の礼拝等もありませんから、
まぁ寺に行く機会などあるはずがない。

仏教でも、神道でも、キリスト教でも、その信者達が
宗教儀式として行うには、何も言う事はありませんが、
無信仰の人に対し、仏式葬儀を当然のように言ったり
葬儀は宗教儀式だと言うのは間違いです。

うちで仏式葬儀をした家族の大多数は、仏教信者では
なく慣習として行った人達であり、無知ゆえにとった
行動でしかありませんから、葬儀後になって葬儀社も
寺も利用した後悔を口にする人達が圧倒的多数です。

だもん寺離れが進んでも当然の流れだし、その原因は
寺の横着と傲慢さ等に起因するものが大でしょう。

それにしても布施も含め葬儀費用が掛り過ぎます。
さらに住職の中には自分が偉い!?と勘違いしてると
しか思えない愚僧も沢山見てきました。
そんな人の生活を守る為に人生と命を掛けて葬儀支援
をしているのではありません。 極少数ですが立派な
人柄の住職がいるのも確かですが、その区別は何度も
逢ってみなければできませんし、代が代われば別の寺
だから菩提寺葬儀は受けないのです。

葬儀屋の社長を始めとした葬儀社スタッフで、本気で
「人の死としての葬儀」を考えた事あるのか!? と
感じる人のほうが多いです。

葬儀屋の大多数は商売として儲かるから。
もしくは儲けたいからの葬儀業にしか思えないのです。
でも、それが悪いと言ってるのではありません。
商売なら儲けたいのは極普通の考え方です。

でも家族にとっての「葬式」は全く違う次元なのです。
だから利用する家族は、その点を理解した上で葬儀社
選択したり、依頼すべきだって事です。

相手は商売人、それも霊感商法まで使う人達です。
あなた自身や家族が無信仰なら無信仰とハッキリ言う
べきだし、出せる金額を明示したり、最低限の費用を
正確に確認して葬式の依頼をすべきです。
それを怠れば無知なのですから、葬儀社主導の葬式に
なる事を覚えておくべきです。

また寺の布施が高過ぎると思えば、住職に伝え合意が
出来なければ断るべきだし、納得できない寺なら檀家
でいる必要はありません。 寺に墓があるなら撤去を
する必要はありますが、離檀料など不要です。
(離檀料の契約書など見た事も聞いた事もありません)
寺の檀家は法律で決まっている事ではありません。

他者の利益や思惑が、家族の意志より先にある「葬式」
「葬儀」には一切無い部分、「葬式」だけに存在する

納得できない点なんです。 
だから「葬儀」「葬式」双方を明確に分け大事なのは
「葬式」ではなく「葬儀」だと公言するんです。


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