辞書等で調べれば、ほぼ同じ意味として使われている
でしょうし、僕自身も混同して使っていますが、正確
には下記のように別ものとして考えています。
あんしんサポート定義「葬儀」
家族が家族との別れを受け入れる為の時間。
数日の人もいれば、数年掛かる人もいるし、当然の事
ながら死後でなく、存命中に行うものと考えてます。
あんしんサポート定義「葬式」
亡骸を荼毘に付す行為であり、家族毎に信仰する宗教
儀式で行う家族もあれば、無信仰なら火葬だけで送る
家族もあるし、焼骨を持って思い出の地や温泉に行き
思い出話に浸るなど、家族観の違いで色々あって当然
だろうと考えてます。
見て分るように、大事なのは葬式で無く葬儀です。
しかし現実は葬式を大事にし、葬儀はおざなりです。
最愛の家族の死を受け入れられない人達を、沢山見て
きました。 故人が「母親」「お婆ちゃん」「ご主人」
時には親より先に逝く「子供」など、順番も対象者も
バラバラですが、それぞれの人生に於いて、無くては
成らない存在だった事だけは分るし、その多くは突然
にも近い感覚の中で逝った人達です。
何年も介護したり、入院してた家族の死で、受け入れ
出来ない家族を僕は知りません。
だからこそ「葬儀は存命中にすべき事」だと公言もし、
経験者から聞いた言葉の中から、その方法も伝えてる
のが、あんしんサポート葬儀支援センターです。
大多数の人は「家族の死を考えたくない」し「自分が
突然死ぬとは思っていません」その感覚は分るし当然
だと思いますが、冷静に「人の死」と向き合えれば、
「人の死はいつ訪れても不思議ではない」のも理解も
納得もできるでしょう。
ただひとつ言えるのは、自分も含めた家族の死を受け
入れられた人達は、人生を、毎日を、悔いのないよう
精一杯楽しみ、謳歌し、価値ある日々にしようとする
ことができるでしょう。
・多少腹が立っても「和」を大事にしようと思える
・互いに自分より配偶者や家族の事を優先思考できる
・沈黙や怒号でなく、歓談と温かい家庭を求める
僕自身、奥さん孝行ができないまま、この年に成って
いますが、何度か書いてるように結婚してから43年
付き合いからは49年、着いてきてくれた人ですから
奥さん孝行の真似事だけでもしたいと言い続けてれば
いつか叶う時が来るでしょうし、改めて孝行らしきは
出来ない日々ですが、奥さんへの対応は年を追う毎に
優しくなってるし、僕が連れて行けない今は、息子が
休日を利用し、連れてってくれ助かってます。
大事なのは死後でなく、生きてる今です。
死を考える事を不謹慎だと考え、口にする人達もいま
すが、愚かな妄想と、現実逃避にしか見えません。
今の人生を家族なりに、少しでも心豊かに、穏やかに
生きられるよう、いつ家族の誰に訪れるかも分らない
「死」から逃げず、真正面から意識しながら生きる。
人は誰も生まれた瞬間から、己が終幕に向かって歩む
これを人生と呼びますが、その裏にあるのは、人の死
とは、ある日突然来る事だってある。
だから毎日を精一杯生きるべきなのでしょう。
そう考えると人生とは「葬儀」なのかもしれません。
宗教儀式としての葬式は次回にでも書いてみます。
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