今回は僕の思う通夜をそのまま書かせて貰います。
あんしんサポートは、通夜式を受けておりません。
通夜本来の由来と現行の通夜式は全く違うものなのは
ある程度の年代の方は経験がある人もいるでしょう。
「通夜」
昔は寝ずに一晩中線香を供えたのを知ってる年配者は
たくさんいるはずです。
始まりとして昔は医療技術も進んでおらず、死んだと
思ってた人が生き返ることもあり、生き返る事が無い
のを確認する手段として一晩中見守った訳です。
ただ通夜に行う流れなのは間違いありませんが、今は
一晩中起きてる事もなく、東日本大震災後は線香類は
全て消して寝てくださいという時代でもあります。
僕なりに学んだ中で、これが通夜の由来と思えるのは、
仏陀(釈迦)入滅(死去)の時、心配して集まってた
弟子達が、亡骸を囲んで一晩中教えを語り明かしたと
言われ、これが通夜本来の由来と考えられます。
仕事をする人達が会葬し易いよう行うのが通夜式だと
いう葬儀社もありますが、通夜返しを配るなど、商売
としてのこじつけを強~く感じるし、葬式は義理では
無いし、無理して会葬して貰うものではありません。
家族が家族の別れを受け入れる葬儀の最後となるのが
葬式や火葬という行為だと思います。
火葬前日の夜、日頃親交のあった人達を含めた家族で
「故人の好きな音楽を掛け」「故人の好きな物を食べ」
「故人の写真や動画を見て」「故人の思い出を語る」
釈迦の教えを語った弟子達がしたのと一緒です。
これ以上の通夜はないと思っています。
亡骸は無くても問題ありません。 故人の霊も同席し
皆さんの言葉を笑顔で聞いてくれてる事でしょう。
だから通夜式は受けないけど、通夜のあるべき流れは
伝え、あとは家族の想いや判断にお任せしてます。
供養の基本は故人を亡い忘れない事、思い出すことです。
その最初が「通夜に行う故人との思い出話し」です。
勿論、夜で無くても良いし、昼間でも構いません。
火葬の前日を前提に、逝去から火葬までの間に行えば
後々も良き思い出と成り得る通夜になるでしょう。
だから、いい事ばかりを言う必要はありません。
故人と喧嘩した事、頑固だ、我が侭だでも構いません。
「あんたの事、忘れてないよ。忘れないよ」と伝えて
あげる事が供養なのは、生きてる人間を考えれば理解
できると思います。
人が一番辛く寂しいのは、どんな状態でしょう。
「病気」「貧乏」も確かに辛いですが、自分の存在を
誰一人として気にかけて貰えない、世の中には沢山の
人達がいるのに、自分はたった一人だと痛感した時が
言葉を使う人間には一番辛いと言います。
だから思い出してあげる事、故人の事を語る事が供養
であり、それは家族だけでなく友人知人誰に対しても
行える供養だと思うのです。
また、そんな通夜をされた家族にとって、葬式の期間
で最高の時間になる事も珍しくありません。
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