今朝お迎えに行ったのは精神的な病の人達を対象とした
病院、死亡診断書を見ると26年ちかく患っておられた
ようですが、家族親族が誰一人来るでもなく、明後日の
火葬も我々だけの見送りとなります。

家庭裁判所からの依頼で付いた後見人が、全てを手配し
火葬後は墓に入れるようです。 
でも決して珍しい光景ではありません。 
12年間で少なくとも十数件はしてきた葬儀の形です。

同じような患者で家族がおられる事もあります。
小さな頃や生まれた時から障害のある人もいます。
両親が揃っていれば母親は仕事もできません。
片親なら施設に預けて働くしかありません。

自分の人生の全てを子供の為の時間として過ごします。
親なら当然という意見もあるでしょうが「凄いなぁ」と
思うし、何処か納得しきれないものを感じます。

ネットで語る葬儀への考え方は決して多くない。
「故人が・・」「故人の・・」とはやし立て、宗教者の
行う葬式を良しとする傾向が強すぎる。

精神的な障害者ばかりでなく、様々な事情からの自殺も
あるし、癌で極度に痩せ「死後の自分は誰にも見せない
で欲しい」と僕に伝えた姉のように、人様に知られたく
ない、逢いたくない、人を呼ぶ葬式はして欲しくないと
対象者自身が思い考える死もあるし、家族が同様に思う
死はいくらでもあります。



葬儀をひとつの考え方でしか捉えられない人達は、一体
どれくらいの葬儀を知り、経験から言っているのだろう。

個人的には非常に無責任な言葉にしか思えない。
だから評論家や、自分の経験を人に押し付けたり、その
経験が全体論のように書いたり、言ったりする人に苦言
を呈するのです。

葬儀支援を始めた12年前は、100名ほどの経験談と
希望、要望を柱にものを言ってました。

100件、500件、1.000件以上と経験を重ねる中、
様々な家族の気持ちや実情を知る事で、現実から学んだ
「家族の気持ちを最優先」する葬儀へと進んでいます。

無責任な過去の慣習、地域の習慣、親戚のお節介よりも
家族の「事情と本音」を最優先した葬儀が「家族目線の
葬儀」なのは間違いありません。

個人的には「葬祭ディレクター」等の資格は家族からは
全く意味のないものと断言できる。 葬式の幕の張り方、
テーブルクロス掛けなど、どうでも良い。

葬儀担当者に必要なのは
「死体の正確な知識と管理技術」
「死後の財産も含めたあらゆる手続知識」もっと言えば
「写真加工技術(費用下がり家族の好む写真が作れる)」
「ある程度の文章力(礼状等で親近感の持てる文章)」
「人前で飽きさせず話せる話術(30分程度)と説得力」
「口は出すけど金出さない親戚から家族を守る姿勢」が
遥かに「家族目線の葬儀」に必要なスキルです。

その上で「家族から絶対信頼が得られる人間性や言動が」
できれば、どんな資格より家族に喜ばれます。
また葬儀施行に携わる人は「葬儀社」「宗教者」を筆頭
として全員が「家族の裏方」であり続けるべきです。

本来裏方の人間が、しゃしゃり出るから、高額になると
言っても過言ではありません。

今回の葬儀で自分が成すべき事をしっかり把握して動く、
家族毎の事情により、前に出ることもあり、さがる事も
あり、葬儀期間だけでなく、葬儀前、葬儀後も安心して
家族が過ごせれば、その家族にとって最高の葬儀社だと

思います。 その意味で葬儀社の格付けもどうでも良い。


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