最近は「家族目線」と謳う葬儀社が増えました。
ただし葬儀社の言う「真心」と一緒で、言葉だけが独り
歩きしてる感は否めません。

建前と本音がこれほど違う業界も珍しいでしょう。
しかし業界で長く生きた人は、自分達が対外的な建前と
内部の本音で生きてる事すら分りません。
話してると「面倒くせぇ」としか思いません。

「家族目線ってなに!?」
そう質問して明確で納得の「回答と現実」を兼ね備えた
葬儀社は殆ど無いはずです。

価値観は家族毎に違いますが、家族目線と公言するなら
特例や少数意見でなく、一般論が当たり前と考えた時、
「葬儀はいくら掛かっても豪華で盛大に」こんな感覚の
家族は少ないはずです。

》費用は抑えたい
》豪華で無くても違和感の無い葬儀にして欲しい
》後の生活に支障が出るのは困る

これが極々普通の家族が考えることです。
家族目線を本気で行うと葬儀は安くなるのが普通です。

「できるだけ安く」「誰が見ても違和感の無い葬儀」
「個々の事情に合わせた葬儀を組んであげる」

「家族目線」とは、これを実現する事です。

「最後ですから・・・」
「故人の供養になりますよ・・・」
「普通は・・・」「一般的には・・・」

葬儀社では非常に良く使うけど、うちでは絶対に言わ
ない言葉です。 何故言わないか分りますか!?

これらの言葉は全て「セールストーク」だからです。

「最後ですから、これくらいはしてあげましょうよ」
「豪華な祭壇は故人の供養になりますよ」
「普通は専門業者の湯かんをしますね」
「一般的な施主花は5万円の物ですよ」

だから、うちでは使う場面の無い言葉なんです。

余談ですが、うちで良く使う言葉もあります。

「そんなの必要ない」「無くても全く問題ないよ」

・お経や戒名は付けなきゃですよね?
・遺影写真は必要ですよね?
・顔の周りにお花を入れるじゃないですか?
・お塩と葬儀のハガキみたいなやつは?(会葬礼状)
・黒の礼服じゃないと駄目ですよね?
・運転手や火葬場の人達への心づけはいくらですか?
・などなど、他にも沢山あります

これが「家族目線の葬儀」に必須な第一段階です

 

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