より葬儀支援対象者を明確にする事で、更なる充実を図り
同時に我々の肉体的負担軽減に繋げようと、会員対象者を
絞り込んだ今年、会員数の増加は減速するはずでしたが、
1月~9月の入会数を見ると、月間15名~20名と全く
減速してない事が分りました(過去最大は20名~30名)

それでも非対象者の相談が減ったメリットはあります。

最近は千明が入会相談を主導してる事もあり、話すよりも
聞き上手な人ですから、家族毎の持つ葬儀感覚を聞く事も
多く、やはり過去の慣習から来る思い込みが多い。

もうひとつ見栄や世間体の部分もあり、個人的には「くだ
らない」としか思いませんが、間違いではありませんから
今回は除外します。

相談者に多い間違いと思ういくつかを下記に列記します。

「葬儀は死後に行うもの」

これは何度も書いているから分るでしょう。
死後に行うのは宗教儀式としての葬式です。 厚い信仰の
ある人達は信仰に沿った葬式をすれば良いですが、皆さん
厚い信仰心なんてありますか?
あんしん館に来る大半は無信仰に近い人達です。

葬儀を信仰とすれば、信仰毎に全て違う葬儀だし改宗した
人は死後の世界が変わるんですか!? あり得ない・・・

信仰の有無に関係なく、誰にでも共通するのが「家族との
別れを受け入れる為の時間」なんです。 

自分を育んでくれた両親や祖父母と永遠の別れが来る。
「今までありがとう」
「産み、育んでくれた命を大事に生きるからね」
と対象者に感謝を伝え、家族が別れを受け入れる為の時間
こそが「家族の行うべき葬儀」だと思います。

中には数か月、数年掛る人がいるかもしれない。
実際は突然死などで、死後数年経っても受け入れできない
人達を沢山見てきました。  だから「葬儀は存命中に行う」
ものだと断言するのです。

「故人に逢いたいと言う親戚など」

生前いつも逢いに来てた人が言うなら何も言いません。
しかし、この言葉を吐く人達の大半は、生前は逢いに来る
ことさえ無かった人達なんです。
逢いたいと思うなら、意思の疎通もできる時が普通だろ?
最低でも入院や療養してる時だろ。
そんな人達の為に葬式をしてるんじゃない。

「葬儀に金は掛るもの」

これは葬儀屋と宗教者の罠に嵌った先人の負の遺産です
・家族の別れに金は要らない(感謝と温かさだけ必要)
・あの世に金は存在しない
・読経と戒名で浮かばれる訳ではない
・宗教者も葬儀屋も「死んだ事あんのか?」ねぇだろ

「遺影は必要じゃない」

・家族で送るのに遺影なんて要らない
・大きな遺影を押し入れで保管に何の意味がある
・最近は鴨居に遺影を飾ってる家のほうが少ないだろ
・写真の処分は精神的に難しい、なら最初から要らない

「位牌は必要」

・仏教で戒名があるのは日本だけ(戒名は要らない)
・院号付けたらあの世で良い所に行くなど絶対ない
・何十年も使った名前があるのに何故変更する

これらは代表的な間違いです。
その根底にあるのは「無きゃいけない物」と思い込んでる
事で、そこにつけ込む葬儀社や宗教者が存在する事です。

ちなみに火葬場は、遺影、位牌、白木膳など一切無くても

全く問題はありません。

余裕のある人達が自己満足で行うぶんには「お好きに」と
しか思いませんが、生活だけで精一杯の人達に対しても、
同じようにさせようとするのは大問題です。
だから間違いだと明言するのです。


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