20日ラグビーワールドカップが日本で始まりました。
昨日になって初めて知り、ルールも知りませんけど・・

それに先駆けウェールズ代表が、練習地に使用したのは
ミクニワールドスタジアム北九州(福岡・小倉)でした。

9月16日、午後2時の公開練習でグランドで出て来る
選手達を迎えたのは観客席15.000人の「ウェールズ
国歌」の歌声とウェールズ代表の応援歌でもある賛美歌
「Calon Lan」(カロン・ラン)でした。
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※ウェールズとは
グレートブリテン(イギリス)を構成する4つの国の1つ
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国歌は英語で無くウェールズ語で歌われたと言います。
改めてネットで検索すると、9日には千葉県柏市で優勝
候補筆頭ニュージーランドの歓迎レセプションで、民族
舞踊「ハカ」を子供達が踊り歓迎したそうです。
その他にも各地域で様々な歓迎をしたようです。

15.000人の観客を集め、初めて見聞きする言語での
歌を合唱する・・・自分がウェールズの代表だったなら、
どんなに豪華でお金を掛けた歓迎より嬉しいでしょう。



 

主導したのは市役所の職員のようですが「お見事!」と
しか言えないほど素晴らしい発想の歓迎です。

英語でも無い初めて聞く言語で歌う15.000人と聞く
だけで、大変だっろう事は容易に想像できます。
スマホで撮影した動画を見ましたが感動で涙しました。

今回ラグビ―W杯一連の歓迎を見て、各地で参加された
皆さんを同じ日本人として誇りに思います。 

この動画を見て、ひとつの話しを思い出しました。
敗戦から5年後、アメリカ海軍提督アーレイ・バークが
日本に来て敗戦国の占領を担当しましたが、大の日本人
嫌いで、日本人とまともに話しすらしませんでした。

殺風景なホテルの部屋、せめて心の慰めにと一輪の花を
買いコップに差しました。 が翌日は花瓶に差してあり
フロントに文句を言うと、ホテルは指示してないと言う。
その後は部屋に花が増えていく・・・

調べさせると客室係の女性と分り、理由を聞くとお花が
好きだと思ってと自分のお金で買って活けてたと分った。
ならばとチップを渡そうとするが受け取らない。

話しを聞くと未亡人で自分と同じ海軍将校だと言う。
戦場となった海を聞き、もしかしたら自分が殺したかも
しれないと伝えると、あなたが殺さなければ、あなたは
殺されていたかもしれない。 誰が悪いわけでも無い・・

バークは自分の日本人に対する考え方は、間違ってるの
かもしれないと思うようになり、改めて日本人を見つめ
直してみると、その女性の言動が理解できた。

アメリカ国内で反日の強い中、バーク自身奔走して東ア
ジアの安全には日本の独立と合わせて海上自衛隊が必要
であると作られたようです。

その後、海軍トップになったバークに海上自衛隊創設の
功により日本から勲一等旭日大綬章が送られました。

96歳で逝去された時、各国から多くの勲章を授与され
たバークでしたが、葬儀で胸に飾られた勲章は彼の遺言
により日本の勲章ただひとつだったそうです。
ワシントンの海軍博物館にあるバーク大将の展示には、
日本の勲章だけが抜けたままになってるそうです。

時は流れ平成23年3月11日東日本大震災が起きます。
在日アメリカ軍は直ちに「トモダチ作戦」を発動します。
早々に被災地に到着したのは「原子力空母ロナルド・レ
ーガン」でしたが、艦長の名はトム・バーク、アーレイ
・バークの孫でした。

敗戦国のホテル客室係の女性がとった言動が、今の日本
という国の礎になってるように思えます。

そして人を感動させるおもてなしは、計算されたもので
なく、お金を掛けたものでもなく、ただ気持ちよく迎え
よう、来て良かったと思って貰おうという純粋な思考に
よって起こり得るもののようです。

日本人の中には、こんな素晴らしい感覚があるのです。
ほんの少し心を掘り起こせば顔を出します。
そう、貴方にも、、僕にも、、誰にでも・・・

 

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