8月1日、危篤電話は入ってますが、あんしん館ご安置も無く、昨夜は
久しぶりにゆっくり寝られました。 
今朝あんしん館に向かう車中思ったので、お年寄りに伝えてください。

お年寄りは昔の夏の感覚をそのまま持っています。
僕が子供の頃は27、28℃が普通で30℃になれば猛暑と呼びました。
ところが、今は35℃以上にもなるわけですから熱中症になります。
「電気代がもったいない」「夏は暑くて当然」の時代ではありません。
この点だけは、しっかり伝えないと後悔先に立たずと成りえ得ます。

僕のお勧めは「ショッピングモール」と「パチンコ屋」です。
・モール内をうろうろして、人気の少ない場所で仮眠も良いでしょう。
・パチンコ屋は耳栓して備え付けの漫画本を読んでいられます。
この夏を涼しく過ごせる場所探索をしながら過ごすのも良いでしょう。

さて、今回は「お気楽処世術の勧め」です。

前回ブログを書いて改めて気づいたものです。
この感覚に気づかされたのは、ある宗教の人達だと思います。

決して世間からは高評価されてない人達ですが、大多数の人達は皆さん
穏やかな性格で、最初は違和感があって少し驚きました。
しかし何十人と葬儀をする中で、信仰が人を穏やかにしているのが分り
ましたが、正直な所、少ない金額での生活は大変だろうと思って聞いた
こともあります。 すると「ひもじい思いは無いから問題は無いと思い
ますが」と優しい笑顔で答えてくれたのが印象的でした。
信仰って本来こういうものなんだろうな・・・とも思えました。

無信仰者である自分はどうなんだろうと振り返って気付いた事がある。
それは「流れには逆らわず、流れに沿ってみるタイプ」だと何度となく
書いてますが、この根本は家業倒産だろうと思います。

大人の世界の出来事を、子供がムキになっても何もできません。
そこで激流に流されながらも、最小の力で陸に辿り着く術が最善の方法
であると子供ながら身に着けたのでしょう。
それが「執着を捨てれば楽に生きられる」の根源でもあるのでしょう。

家業倒産直後から考えた訳でなく、学んだ訳でもなく、生きる術として
身に付いたのが「お気楽処世術」であり、それを続けてきたようです。

あれから50年の時が流れた今「倒産家族から」「年老いる自分達」と
変化しましたが、上手に生きる術(処世術)は同じようです。

》今の正直な素の自分を否定しない(見栄と我慢無用、資質を知る)
》人生は他者との競争でなく、自分の、自分達の人生である
》極論、人に迷惑を掛けなければ、何をしてもいい
》大事なのは自分の人生を楽しみ、生き甲斐を持ち、堂々と生きる事
》「人の役に立てる」これは予想以上に大きな意味を持つ

虚勢を張らず、かといって卑下もせず、自分の過去を冷静に振り返って
自分の本質を知り、自分の能力と才能を知り、自分の器を知れば自ずと
我が進むべき道は見えてくる。

その道を歩んで楽しければ正しき道、楽しくなければ脇道なのでしょう。
人生が終わるまでは、年齢に関係なく、いつでも何度でも自分にとって
最善の道へ進むことはできるでしょう。 

人生は働き盛りが最高潮で、年老いたら余禄の人生ではない。
いつでも、今が最高の人生を生きられるように思う。
64歳にして今が最も充実した人生と思える僕は幸せだと思う。
その根底にあるのは「お気楽処世術」と今更乍に気付く・・・

お気楽処世術の基本は、今の自分を幸せと感じられる思考です。
日々の生活に喜びと幸福感を感じられる・・・これ最高の人生なり。

 

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