会員システムで良いのは、短期の余命宣告を受けた家族から連絡が入ることで、
我々の心づもりや、対象家族のことが再確認できることです。
事前相談した時の希望、その後の期間を考えると、おおよそですが財布事情も
分るし勧める葬儀パックも見えてきます。 事前予測できるのと、初めて会う
家族とでは雲泥の差がありますし、無駄な前段の話しは省けます。
昨日入会した家族の対象者が兄、来館した親子の母が対象者の妹、付き添って
来られたのが娘さんですが、母親は殆ど視力の無い方で、ご主人も病気がちで
娘さんは結婚して別世帯の方でした。
そこで、もしもの時は病院から直接連絡を貰えば、搬送、手続き、火葬までの
全てをするから、焼骨だけ取りに来る方法でも良いと伝えました。
勿論、火葬日に斎場に来ても良いし、その時の状況で決めれば良いと伝えると
「助かります」と母子揃って笑顔になります。
同じように、先日は市内施設入所の親ですが、家族は県外在住と聞かされた時
逝去時は来なくて良いと伝えたわけですが、葬儀のあとで家族に言われたのは
「逝去時に来なくても良いよって言われた時は「助かる」って思ったし」
「実際に夜中の逝去で助かったわけで、何でこんな発想ができるんだろうって」
「私の知る葬儀屋さんではあり得ない事だと思って、ちょっと不思議でした」
「料金、内容、対応の全てが、へぇーって思う事ばかりで、初めて知る葬儀社」
「だって主人も言ってましたけど、その発想は何処から出るのですか?」
こう言われて、僕のほうが一瞬、考えてしまいました。
改めて考えたこともないし、考えてしていることでもありません。
その場は、明確な回答もせず何となく過ぎましたが、あとで考えてみました。
すると原因が分りました。
《自分だったら・・・》と考えるからでした。
この感覚は、今回の件だけでなく、あんしんサポートの全てに共通しています。
葬儀パックの内容、料金、散骨、永代供養墓、安置施設、更には祭壇には始め
から30万円ほどの供物類や灯篭類が飾ってあるなど、あんしんサポートがして
いる全ては《自分だったら・・・》が根底にあります。
改めて考えてみる事も無いほど、当たり前すぎる質問で戸惑いました。
でも良く考えると、これって商売の原理原則じゃねぇの!?って思うんですよ。
自分がして欲しいことを、自分が利用する料金で提供すれば、同じ感覚の人は
利用するでしょ? でも逆の内容や料金なら利用しないでしょ。
それとブルジョワ経験の無い僕は、その人達の感覚は分らないから対象者には
設定できないけど、僕と同じような階層の人達対象なら自分の感覚で発想する
だけで良い訳です。 特殊な才能が無くても事業が続けられる人と、続かない
人の違いってこれか!?・・・なんて思う言葉でした。
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