11年間この仕事をして思うのは、経営者の立ち位置により
全く異なる方向に進める珍しい業種のひとつという事です。
》利用者の無知を利用し知名度に金を掛ての金儲けの種
》誰もが迎える死だからこそ、誰でも使える葬儀支援の提供
この両者は全く違う方向へ進み、その差は年を追う毎に離れ
交わることの無い道です。
法人設立から11年経ち、ブログ2.000回を超えた所で
少し立ち止まり、後ろを振り返り、自身の足跡を冷静に確認
したり、反省したり、自己満足した後、これから歩む未来を
見越した動きをしようと、立ち止まったところです。
》葬儀支援は先人の無い道と改めて実感させられた11年
》されど予想した以上に葬儀支援を求める人達は多い現実
》11年間の足跡に全く後悔はありません
》我ながら単体で良く頑張って来れたと感心するほどです
》それにしても実に金儲けが下手な奴と改めて分りました
》但し自分の性格はさすがに熟知していると感心します
好きで入った道ではありませんと、何度も書いた通りですし、
僕の意思より強い流れに飲まれ、身を任せた結果の11年間
ではありましたが、これが天職ってやつなんだろうと思える。
》ほぼ素の自分、本音に近い部分だけで生きられる日々
》金、人、などの問題で悩むことなし
》何処に向かって進むか考える必要なし勝手に向かってる
》向かった先で何をするかも考える必要なし自然に思いつく
》素の自分で対応すれば利用者から感謝される日々
》利用者の皆さんから僕の健康まで心配して貰える
こんな仕事って、そうそうあるもんじゃ無いでしょ!?
少なくとも僕の人生で初めてだし、これが最後でしょう。
だから天職なんだろうなぁ・・って思うだけですけど。
まぁ、あえて課題を挙げれば
【食えるけど、金は儲からない】
【儲からないから、欲しい施設などが作れない】
だけど、毎日はそれなりに楽しくやってるからなぁ・・・
玉置浩二さんの「メロディー」の世界のようですね。
「あの頃は 何も無くて それだって楽しくやったよ~♪」
そう考えると、葬儀の仕事は好きじゃ無いって言ってるけど
11年経った今では、好きなのもしれませんね。
金儲けは下手くそだし、経営者としての能力にも欠けるけど
この仕事に導いてくれた強い流れには感謝しています。
それは人のって言うより、僕の性格なら最高の生き方はこれ
だよって教えられた気がするからです。
この点については人それぞれ千差万別だと思います。
》お金儲けが最大の喜びと感じる人もいる
》経営者として事業の拡大が最高の喜びと思う人もいる
》温かい家庭のある事が何よりと思う人だっている
その他にも様々な自己基準はあるでしょうが、どんな基準で
あっても人に迷惑を掛けなければ問題ありませんし、どれが
上とか下も無いでしょう。
昨日は3件の葬儀を済ませ、午後2時30分過ぎ、散骨場に
向かい、帰りに千明の実家に寄り、母親と姪っ子を引き連れ
近くのスーパーで買い物をしてあげて戻ってきました。
わずか1時間くらいの事ですが、千明には、ほんの少し母親
孝行の真似事のお手伝いをしてあげられました。
この時期ならサクランボ狩りに行ったり、冬から春までなら
いちご狩りをしたり、夏場は鮎の塩焼きを食べたりと以前も
書いたように、小さな楽しみを繋ぎながら日々生きるのが、
人生を楽しむ基本だと思いますし、それを教えてくれた仕事
でもあるし、人に感謝される喜びを改めて教えてくれたのも
葬儀支援という仕事です。
誰でも毎日の生活に休日はありません。
でも誰も文句を言う人もいません。
仕事が日々の生活の一部で当たり前の生活なら、休日は無く
ても全く問題ないことも、実践の中で教えられました。
今回の最後に・・・
葬儀支援活動で一番良かったのは「小さな思いやりの心」を
改めて思い出したり、持たせてくれたことです。
誰も、では無いかもしれませんが、人は自分の事を優先した
生活より、人の為に役立ち、それを心から喜んでくれる人が
いるのを実感した時のほうが喜びは大きく、生き甲斐となる
ものだと教えられた事と、そのきっかけが50代前半だった
事は「ここしか無い!」最適な地点だったと思う。
僕が死を他人事でなく捉えられたのは、60代に入ってから
だからだし、波乱万丈と言われる人生を過ごせた事、今では
人からの相談で役に立つのですから、人生に無駄って無いの
かもしれませんね。 その経験を活かせるか、活かせず毒に
なるかは自分次第なんでしょう。
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