先日の葬儀、故人と子供はキリスト教、親戚は仏教徒という
異宗教の人が会葬する葬儀でした。

病院緩和ケアで逝去の連絡を受け行くと、数か月前ご主人の
葬儀をされ「次は私の番だから・・」と再入会された方です。

あんしん館に搬送すると、いつもなら祭壇前での納棺安置と
なりますが、祭壇は仏式ですから、故人の信仰が分ってまし
たから、独断で安置室に納棺安置してから、最終の打合せと
なりました。

話しを始めると、葬儀をどうしようかと迷ってるようです。
「何を迷ってるの、迷う場面じゃないよ」
「お母さんの信仰に合わせた葬儀をすればいいだけのこと」
「誰の葬儀なの? お母さんの葬儀でしょ」
「親戚の葬儀じゃ無いし、嫌なら親戚は来なくていい」
「その程度の覚悟が無ければ、お母さんの希望は叶わない」
「当然、あなたは後で後悔することなる」

ほんの数分でしたが、僕の考え方をストレートに伝えます。
すると「分かりました。 吹っ切れました」と笑顔です。

友引が絡み三日安置となりましたが、その間も親戚や仲間

達が集まり賑やかで、良いお別れできたようです。

当日は宗教仲間と親戚で40~50名ほどが集まりました。
全員が私服で黒の礼服はひとりもいません。

キリスト教ですから焼香もありません。
斎場担当者が火葬炉に入れ扉を閉めると、バトンタッチを
して、おおよその火葬予定時間を僕から伝えます。

さらに今回はこんな風に言いました。
「今回は故人の信仰での葬儀を執り行っていますから」
「家族も含め火葬後の収骨はいたしませんが、」
「親戚の方々で拾骨したい方はおられますか?」
「すると数名の手があがりました」
「はぃ、分かりました。 拾骨には僕が立ち合います」

70分後、待合室に拾骨の連絡が入ると、信仰仲間の人に
ご挨拶をして貰い解散、親戚の方は拾骨室まで案内します。

7名の親戚でしたが、現段階では担当者より遺骨は詳しい
ですから、僕が説明しながらの拾骨となりました。
とりあえず箸は四人分用意しておき、次のように伝えます。

「うちのお手伝いをしてくれる住職達が共通して言うのが」
「今から行う拾骨です。 皆さん箸渡しをしたでしょう」
「でも日本は元々土葬ですから、箸渡しという言葉自体が」
「後から付けたものだし、昔は熱いまま出てきましたから」
「火傷防止のためでもあり、前橋斎場もそうでした」
「今はこの通り、触っても熱くないです」
「故人と最後のお別れになるのが拾骨ですから生理的に」
「駄目で無ければ「ありがとう」の言葉を添えて」
「各自が手でいれてあげて欲しい」
「これがお手伝いしてくれる寺の共通意見です」
「もちろん、箸渡しでも全く問題はありませんから」
「お好きなほうで拾骨してください」

最初の方が手で拾うと、全員が手で拾骨する中、手にした
骨がどの部位か、骨に付着した色の説明、混雑する火葬場
ではどうしても火力が強くなり、黒く焦げるなど、説明を
しながら質問に答えながら和気あいあいとした拾骨でした。

著書「葬儀改革」が書き終わり、最終段階の校正に入って
おり、来週くらいには原稿送付できるでしょうが、その中
でも「もっと自由な葬儀でいい」と書いています。

今回はキリスト教の、ある宗派の葬儀でしたが、仏教感覚

の親戚にも最終的には納得して貰える流れにしました。



仏教、神道、キリスト教と拘らず、異宗教混合の葬儀でも
全く問題ありません。 故人を送ろうと集まった人達なら
全員が納得できる葬儀がいい葬儀なんだと思います。

また、世界的に見てもそれが許される珍しい国が日本です
から、異宗教でも共存できる一例としての葬儀があったら
世界的視野からも良い参考例となるかもしれません。

 

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