前回、墓閉じで寺とひと悶着の際、住職の共通した言葉が
あるので「バチが当たる」を少し考えてみたいと思う。

本気で言ってるなら、言葉そのものを、とやかく言う気は
ありませんが違う意味で、住職は考える必要があると思う。

バチが当たった実体験があるなら、その詳細を話せばいい
だろうし、聞いてる家族も内容によっては納得するはず。



最近は聞かないけど、何事かあると信仰ある人から・・・
「ほら、ちゃんと拝んで無いから、こんな事になった」
と言われ、怪我や病気等が軽く済むと「信心のお陰だよ」
こんなの駄目ですよぉ・・・(-_-;)

僕の嫌いな「後出しジャンケン」そのものです。
これなら、何でも言えますからね。

会員さんから話しの流れを聞いてると、言葉は悪いですが
「金づるを逃がしたくない一心の脅し」としか思えません。

また遺骨を預り、供養するなら、せめて遺骨に関わる法律
くらいは学んでおくべきです。 また納骨時に渡した火葬
許可証をちゃんと保存してある寺は99%ありません。
この辺りも考える必要はあると感じます。

宗教者は商売では無いはずだし、寺も商店ではありません
から、儲けや利益、しいては我が家の生活は後回しです。
一般庶民の僕でさえ、利益より家族の生活優先が基本なの
ですから、宗教者と名乗る以上は当然でしょう。
その恩恵として宗教法人には税制優遇等あるのです。
ちなみに、あんしんサポートは一切優遇はありません。

》1軒は都内の寺に墓があり、家族は前橋在住です

70才近いお婆さんが、前橋から東京まで墓参りは、誰が
考えても大変です。 意味不明なお説教などあり得ない。
低料金で墓閉じできるよう協力しても普通だと思える。

》1軒は嫁に行った娘が2人しか残っていません

嫁に行けば嫁ぎ先の墓がある訳で、誰も墓守が居なくなる
のは明らかです。 そのまま放って無縁墓になっても普通
なのに娘達が墓閉じしてくれたら、寺は有難いはず・・・

上記で「住職は考える必要があると思う」と書きました。
墓閉じで住職が考えるべきは2つです。

「家族のこと」(利便性や家族の生活)
「遺骨をどうするか」(故人が納得できる方法を考慮)

家族の生活や、現状を考慮してどうするか相談に乗るのが
先でしょう。 その上で問題があれば教え導いて、相談に
乗るのが筋だと思う。 自己都合だけを檀家に押し付ける
レベルの人間性で住職になるのがの間違いでしょう。

遺骨については、僕の個人的見解を書きたいと思います。
まず「一般墓」ですが、皆さんは墓の中を良く見たことが
ありますか? 湿気があり、虫がいて、真っ暗です。
そんな中に入りたいと思わないのが僕の本音です。

また遺骨を残すことが必ずしも供養とは思えません。
何も残したくない人だっているし、墓守が居なくなったら
合葬墓で他の人達の骨と一緒にされ、その遺骨は行く宛て
さえ無く、遺骨箱でごちゃ混ぜで過ごし続けるのです。 

遺骨は故人がこの世に残す最後の自分の身体の一部なのは
間違いありませんが、それ以上でも、それ以下でもない。
宗教的に言えば、着てた服を拝んでるようなものです。
大事なのは「故人を忘れず時々思い出すこと」だと思う。

更に言えば、もし故人と話しが出来たら、墓や遺骨よりも
残る家族の生活を心配する人が多いんじゃないかな。

相談に来た家族の身になって、費用面も含め最善と思える
相談をしてくれたら、故人も有難いと思うことでしょう。

読経しなければ、戒名付けなければ、バチが当たるよとか
浮かばれないとか、あの世で迷うとか、墓は何事があった
としても守らなければバチが当たる・・・

これらの言葉ってさ、どう考えたって・・・
「この壺を持ってたら幸せになれます」
「この札を持ってたら災難から逃れます」
こんな霊感商法と何処が違うの? こんな事言うから檀家
離れが急速に進んでるのが、まだわからないのでしょうか?


日本人はさほど信仰心は持たず生きてきました。

一番多いのは神仏混合信仰じゃないかな・・・

信仰が無くも災害の時は暴動も起らず、互いに助け合える

だけの人間性を兼ね備えている民族です。

その辺りも冷静に見極める必要があると思う。


こうしなければ災いがある・・・
宗教は押し付けるものでなく、信者がすがるものです。
宗教とは「生きる上の指針であり、杖であるべきです」
誰でも来る者は拒まず、去る者は追わずなはずです。
来る者拒まず、去る者は脅すではありません。

余談ですが、僕が宗教者になったら、そこそこには成れる
自信はあるのですが、宗教者には向いていません。
その最大理由は「来る者拒まずができない」からです。

嫌な人の依頼は受けないと公言する奴だし、良い人だって
思われるのは嫌いだし、人助けと言われるのも好きでない。
あくまで自己満足でしているに過ぎず、助かる人達がいる
のは間違いありませんが、それは結果にしか過ぎません。

もし、僕に上記のような度量があったら、きっと宗教者か
救急の医師になってた・・・かもしれませんね。(^-^;


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