今年も彼岸ですね。
昨日は桜が開花するんじゃないの? と思えるほどの天候
でしたが、今日は春一番には遅いだろと思うほど強風です。
昨年も確か「彼岸は先に逝った家族を思いだそう」てきな
ブログを書いたと思いますが、その意味では仏教徒だけで
なく、他の信仰でも無信仰でも家族を思い出せる日です。
両親、祖父母、姉と他界してますが、人生を生きるうえで
一番難しいのは「平凡に生きる」事だと思う。
5才で初めて母親の存在と姉妹がいるのを知り、15才で
稼業倒産、父親蒸発、母と姉妹で生活、僕は祖父母と生活
ですから、僕には当たり前の人生ですが、周囲からは波瀾
万丈な人生だと言われるし、親子で生活したのは10年間
だけと考えると親兄弟に縁の薄い人生だなぁとは思う。
「可愛い子には旅をさせろ」
世間に出ての荒波に揉まれたほうが人間として成長する。
ということですが、僕は突然の家族解散、これから好きに
生きてくださいって言われたようなものですが、結果的に
ことわざが如くになりました。
》両親には反面教師として教えられました
》祖父母には「生きる」という事を教わった気がします
》姉には「人生の終幕は分らない」と教わり
》自害した姉の旦那には耐えて生きる選択を教わった
僕の人生では、良くない事が教えになってます。
弱者支援と考える理由のひとつに、祖父母との生活がある
のは間違いありません。
人から社長と言われてた祖父は70才を超え、倒産した後
祖母と僕を養う為にスクーターで街まで行き、魚屋さんで
前掛けを締めて働いてくれました。
この経験が多分「お金が無いのは罪ではない」と僕に言わ
せる原点なのだと思います。 だからお金が無いからって
依頼を断ることは無いと公言させるのでしょう。
僕の人生経験は普通の人より特異かもしれません。
それでも経験は経験ですから、絶対に無い経験ではない。
特に倒産から先の人生は、次のように考えてきました。
夫婦や家族にとって大事なものはなに?
「愛情」「お金」どちらが大事と聞かれたら、皆さんなら
どちらが大事と答えますか?
愛情が大事って言いたいですが、残念ながら人生はもっと
シビアなもの・・・という気がします。
突き詰めると僕は「お金」と答えるでしょう。
僕の知る夫婦は、結婚式の仕事や、美容の仕事をしてきた
からでしょうか沢山いますが、夫婦喧嘩の80%はお金が
絡んでるし、金があれば喧嘩になっていません。
どんなに愛し合ってる夫婦でも、一定の余裕が無くなれば
揉めたり、夫婦間の関係にも変化はでると思う。
愛情だけで解決できるとは思えないのです。
でもお金は真面目に頑張れば、あるものでもありません。
勿論、お金だけがあればいい訳ではありません。
比率で言えば五分五分ですが、僅差で「お金」って感じ。
年金暮らしの老夫婦、独居老人、誰でも笑顔で生きるには
金の存在は否定できません。綺麗事だけで生きられません。
僕の人生で少年期までは、親に与えられた人生でした。
おそらく、老人世代の方々も似たようになるんじゃない?
仕事はしたいけど正社員は勿論、希望するような仕事では
雇って貰えない、でも生きる為には稼がなきゃならない。
人生の障害って自分で何とかできるものばかりじゃない。
両親、祖父母、姉と家族から、間接的ではありますが色々
教わって今の僕が存在しています。
人生で一番大切な事、自分が生まれた最大の目的は何だと
考えると、人生は生まれた瞬間から不平等です。
富裕層、貧困層や、美形、不美形もあるし、心身の健康も
全てが同じではありません。
されど「自分に与えられた自分の人生を精一杯楽しむ事」
だと思っていますし、老後になってから大変な思いをさせ
たくないし、後に残る配偶者や家族の事を考えたら、今の
生活を壊さずできる葬儀の存在は絶対必要だと思ってます。
この感覚は誰もが、加齢とともに納得し易くなるでしょう。
まずは日々笑顔で生きられる生活が最優先です。
その心配が無くなったら、葬儀儀礼だけでなく、あらゆる
面も含め考えればいいことです。
圧倒的多数は「障害物競走の人生」を送っておられます。
あたなだけが波瀾万丈ではありません。
問題なのは、波瀾万丈の人生に振り回されるか、どんな時
でも前を向いて歩き続ける意志と意欲を持てるかです。
大変な事があったり、失敗したりは、まだ若い証拠です。
「まだ学べと言われてるんだ」と思いましょう。
ってゆーかさ、苦難があるから楽しさを味わえるんだしね。
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創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えてたか嘘のつけない自分日誌でもあります