受付電話番号を変更し、新たな葬儀が1パック増えただけ
なのに、やたらと色々な部分を変更することになりますが
ひとつ忘れていました・・・ホームページです。

本日からホームページの変更を始めますが、面倒臭せぇー
これが本音です。 ボケ防止だと思って頑張りまーす。

最近は直葬系葬儀が増えて、家族に伝えたい、葬儀とはな
んぞや、供養とはなんぞや等を伝える場が減っている。

湯かん納棺があれば最低でも60分間、手足を拭きながら、
旅支度を整えながら、じっくりと話せますが、ご安置後は
斎場の火葬炉前でお別れをする家族が増え、家族と話しを
する機会が減っています。

直葬系の増加率は、正直、僕の予想を上回っています。
勿論、葬儀とは家族との別れを受入れる時間と考えるなら、
火葬だけで全く問題の無いことですが、財布事情というか
金銭的な問題は、僕が思ってるより深刻な現実なのだろう。

また11年間、変わらぬ姿勢でいる事が「余裕がない」と
素直に言える場所と認識されてきたり、我々が本来対象と
している家族に浸透し始めているのかもしれない。

設立当初は100名以上の一般葬が主体、たまに家族葬や
自宅葬はありましたが、自分の中では何処が一般葬儀社と
違うんだろう・・・少し安いだけじゃねぇの?と思ってた
のも事実だし、胸を張って葬儀支援と言えるだけのものが
あるのかと自問自答してた時期もありました。

それでも依頼数が増え続ける事が『一般葬儀社とは違う』
『葬儀支援だから増えてるんだ』って自分に言い聞かせて
いた頃は、イライラしてた時期もありました。
僕の中で思い描く葬儀支援と何かが違うと思っていた。

今から思えば、当時利用してくれた家族は、僕の予想より
遙かに豊かな人達だったんだと思う。

生協活動と似てるね。
無添加、防腐剤未使用は確かに安全性は高くなる。
けど反面では間違いなく料金は高くなる。
本来貧しい人達が、お金を出しあって生まれた生協なのに
利用者は富裕層が主体になってるんじゃないかな・・・

主旨に賛同してくれた人達は、今思えばある程度の余裕が
あるから話し合いの場にも出席してくれたわけです。

本当に我々を必要とする人達の多くは、アナログでネット
など無縁ですから、当初は耳に届かなかったでしょう。

そこから施行数が増える毎、料金設定を下げたりパックの
内容を濃くしたり、永代供養墓を建立し完全無料で納骨が
できるようにしたり、10万枚ほどのチラシを何度か配布
した事もあって、僕が目指した葬儀支援に近づいてきた。

今は搬送し安置し打合せの際、できるだけ伝えている。
火葬場に来てくれた人達には、火葬炉前で供養や、拾骨、
残る家族の生活が第一など話すようにしています。

時代の流れと言うか、実感なのでしょう。
お年寄りでも賛同される方が増えているのが分ります。

昨日の葬儀も、喪主が想定して無かった親戚の人達が来て
くれたのですが、内心「こんなの葬儀か!?」って言われ
るかと心配してたそうです。

当初喪主は家族葬を考えてたようですが、生活事情を聞く
限り無理をすべきで無いと判断し僕が勧めた葬儀です。 

ところが拾骨まで休憩所で待っていた時、来てくれた中の
長老から言われた言葉は「俺は代表の考え方に納得したし
賛同するよ」だったそうです。
話して貰って良かったと言われたと報告を受けました。

改めて思うと以前のようなイライラはありません。
以前より忙しくて、身体は疲れるし、施行単価は下がって
売上は減少、当然儲けも少ない・・・ 

ただ目指してきた葬儀支援に近づいている実感はある。
年を追うごとに、沢山の人達に受け入れられている実感も
あり、対象者も本来の対象者に絞られてきたし、遺骨供養、
新盆、各年忌法要など全て自社で可能になった今、高額な
布施の宗教者の葬儀を我慢しなくてもよくなった。

設立から10年の時を経て、ようやく自分が登るべき山に
辿り着いた感があります。 

世間の常識に異論を唱えれば、あらゆる障害壁が現れるが
それが多くの人達の本音であったり願望要望なら、いつか
世間が認める時が来るはず・・・

過去の慣習を変えていくのは簡単でない想定はしていた。
その想定以上に時間が掛るのも分ってきた。
されど一歩、また次の一歩が無ければゴールはない。



きっと頂上の無い山だろうと思うが、これからも一歩一歩
地に足をつけて登りつづけようと思う。

仕事は増え、身体は辛いし、儲からない、けど満足・・・

どう考えても変だけど、これが偽らざる心境だよなぁ、、
・・・この感覚、分るかなぁ・・・

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