今日は癌の手術から1ヶ月検診でしたが、順調に回復して
いるようで先ほど戻ってきました。
何度やっても口からの胃カメラは苦しくて嫌です・・・
昨日は1日掛かりの搬送でしたが、今朝は6時30分病院
からの搬送連絡、2人搬送した後、千明1人で他市斎場に
向かい、午後1時前には過ぎに戻ってくるそうです。
午後1時から搬送した故人の葬儀打合せです。
今朝の搬送は一昨日、入会した方で医師からは、すぐすぐ
では無いと言われてたそうですが、人の終幕は医師も分ら
ない・・・これが現実です。
人の死、誰もが1度だけ迎え、平等に与えられしものとも
言えるし、生まれた直後に死を迎える人もいれば、100
年以上の時を経て迎える死もあるのは不平等とも言える。
この世に生を受けた者は誰もが必ず迎える事であり、人は
生れた瞬間から、己が終幕に向かって歩み、これを人生と
呼ぶのは誰もが知る現実です。
逝去の瞬間を境に『生前』と『死後』に分けられます。
葬儀は死後と考える方が多いですが、大事なのは『生前』
であると個人的には考えてます。
死後の世界はあるかもしれませんが、具体的には全く分ら
ないし、死後の世界が絶対あると断言できません。
この仕事に入って、実に不思議で不可解に思う人がいる。
》死んでから逢いたいと言う人
・これは全く理解できない、逢うなら存命中だろうが!?
・体裁や建前だけの人間だと自分で言ってるようなもの
》普段は顔も出さず葬儀だけ騒ぐ人
・これも体面ばかりの人間だと自分で言ってるようなもの
あんしん館に何人の故人がいても静かなもんです。
何かを言った故人は一人もいません。
話しも出来ず、意志の疎通もできません。
だからこそ、大事なのは生きてる時だと思うのです。
できれば意思の疎通ができる時、時々でも良いから逢いに
行って言葉を交わし、顔を見せることだと思う。
疲れてる家族に替わって、付き添ってあげるのも良い。
意思の疎通ができたり、動けたり、飲食が出来るのなら、
対象者の写真や動画を持って行き、1枚、1枚丁寧に振り
返って貰ったり、動画を見せてあげるのも良い・・・
子供、孫、曾孫の顔を見せるのもいい・・・
とにかく行ける時は行ってあげる事が孝行だと思う。
仕事が終わったら顔を出す、それが5分でも良い、毎日の
ように顔を出すと、ある現象が起きて来る・・・
対象者が我がままになります。
最初は遠慮してた対象者が、段々我がままになってくる。
それだけ頻繁に来てくれたって事の証だと思っていい。
我がまま言ったら、笑いながら怒ってもいいでしょう。
生きてるうちに行きたい所があるなら、医師の許可をとり
連れて行けばいい・・・例え途中で終幕を迎えたとしても
家族なら問題ないし、故人の意思を叶えてあげたと思える。
医師は誤嚥性肺炎を恐れ、最後は水も飲ませてくれないと
思いますが、どれだけの家族が、あんしん館に来て言った
ことか「こうなるなら水を飲ませてあげれば良かった」と
家族が涙を流し、後悔する事に成り得ます。
飲みたい水を飲んで死んだらそれまでと考えればいい。
後悔より、希望を叶えた満足感のほうが強いでしょう。
これらは全て生きてる時だからできる事、死んでからする
事なんて、温かく送る以外は無いんです。
できると言われてる事は、仮説であったり、霊感商法とか
家族の自己満足でしかありません。
大事なのは死後に騒ぐ事でなく、生きてる時だってことが、
本当の意味で理解できれば、それだけで充分です。
上記のような日々が過ごせた家族は『葬儀は終わってます』
と言える。 なぜか、、次回は葬儀について書きます。
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