葬儀支援を始めて11年目の冬を迎えようとしてます。
10年前と今では葬儀も変化はしていますが、まだまだ
変わっていいし、変わるべきだと思っています。
結論を言うと『自由な葬儀』です。
10年間は葬儀施行する側ですから、葬儀という儀式も
家族や親族も全てに於いて客観的に見てきました。
葬儀支援を始める前から感じたのが選択肢の無さです。
月に数万円で生活する家族も、百万円で生活する家族も
何故か同じ土俵にしか選択肢がありませんでした。
また誰でも死ぬのに、何故葬儀はこれほど高額なのかと
感じたのも活動前であり法人設立前でした。
そして生まれたのが国保葬祭費だけで可能な『5万円の
火葬支援パック』です。 当初の目的が達成した3年後
には新たな疑問が山積みになっていました。
人が生れてから人生を閉じるまで、いくつもの儀式やら
岐路を迎えますが、葬儀ほど他人がくちを出す儀式等を
僕は知りません。 それも土足で踏み込むようにです。
誕生、お宮参り、七五三、入園入学、成人式、結婚式と
どれをとっても親戚が口を出すことはまずありません。
なのに葬儀だけは家族の都合を無視して、自分達の感覚
だけで好き勝手言います。
『家族の好きにして貰えばいいじゃない』
これが本音であり結論ですが、他の儀式では黙っている
のに、葬儀だけごちゃごちゃと喧しいのも同じ人です。
何故そうなるか・・・と考えてみました。
『霊感商法がまかり通っている』
断言しますが、供養にお金が掛るはずがありません。
あの世にお金などありません。
お金はこの世の人が使うだけで、高額な費用が掛る供養
など、到底信じられるものではありません。
『過去の悪習がいまだ続いている』
貧しい時代の葬儀は、ある種のお祭り感覚でした。
葬儀は一週間も行ない、その期間は親戚全員が朝昼晩の
食事をするような時代でしたが、助け合いの心も持って
おり、醤油ひとつでも貸し借りできる時代でした。
後半部分は無くなり、前半のお祭り騒ぎの部分だけ変化
して風習のように残っているのが今の葬儀です。
『故人、故人というのが良い人だと思い込んでる』
葬儀の知ったかぶりする人は後を絶ちません。
葬儀は全国全県全市で全て違いますから、自分が知って
いるのは極々狭い地域の習慣でしかありません。
なのに、あーだ、こーだと知ったかぶりは、間違っても
お利口さんには見えませんから、黙ってたほうが良いし
同じ言うなら「無理しちゃ駄目だよ」なら、間違いなく
いい人と言われるでしょう。
葬儀は社葬やお別れ会以外は、基本家族が行うものです。
》信仰の厚い人は宗教儀式で行えばいい
》無信仰の人は無宗教の葬儀でいい
》カラオケ大好き故人ならカラオケ大会でいい
》バーベキュー好きならバーベキューをして送るもよし
》家族で焼骨を持って想い出の場所に行くもよし
》みんなで集まって故人の想い出話しをするもよし
黒服で無くてもいい、仕事着だっていい、送って欲しい
人だけに連絡をし、出席してくれる人は一人5.000円の
寸志のみ支払い、お返しなしでいいんじゃない。
立食、軽食、お茶と菓子など、どんな物でも良い、当然
現在のような料理でも構いませんが、参加した方が恐縮
するよな豪華なものは避けるべきでしょう。
勿論、今まで行ってきたような葬儀でも全く問題はない
のですが、もっと自由な葬儀がどんどん誕生しても良い
はずだし、個人的には自由な葬儀を推し進めたい。
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