『残る家族の生活に支障きたす葬儀などあってはならぬ』
『そんな葬儀は声を大にして言う絶対に間違っている』
『どんなに偉そうな能書きを言っても間違い』
この感覚は非常に強く、頑固に思えるほどでしょう。
残る家族もそうですが、当の本人についても言えます。
その辺りの実話はあとにして、まずは葬儀費用と布施に
ついてですが、富裕層の人達は論外です。
追加が普通で、請求書を見るまで総額が分らず、見れば
誰もが高いと感じる葬儀費用、布施と呼ぶには余りにも
高額な僧侶への謝礼、それを正当化させる為の霊感商法
「おぃおぃ・・」と言いたくなる現実に、どう考えても
葬儀社と僧侶の生活を支える為の葬儀としか思えない。
余裕のある富裕層の人達や、厚い信仰心のある人達なら
全く問題はありませんが、無信仰に近く日々の生活さえ
やっとの人達にとってはどうでしょう。
神が仏がと言う前に、まずは当人の生活が先でしょう。
強く言い続けているのは、生活の実態を知るからです。
あるお婆さんが一人で暮らしていました。
動くのもやっとで、本当なら毎日訪問介護を頼みたいの
ですが、自分の最期が来た時、できるだけ周囲に迷惑を
掛けたくないと、葬儀費用を貯める為に訪問介護は週に
2日間にしていると言ってました。
介護費用だけを捉えたら、数百円なのでしょうが、他に
医療費や生活費が掛りますから、お婆さんが節約をする
には食費を削り訪問介護を減らす事と考えたのでしょう。
多分、これと似たような話しは、全国の何処にでもある
だろうし、皆さんの近くにも間違いなくあると思います。
この話しを聞いた時、不覚にも涙が出てしまい、あとで
怒りが込み上げてきました。
わずかな年金だけで暮らし、身体が不自由な独居老人が
死後費用を貯めようと訪問介護費用を節約する・・・
想像してください。
週のうち5日間は、誰もいない部屋の中だけで過ごし、
何とか窓の近くに行って、窓からの景色と季節毎の風を
感じ、訪問介護に来て貰った日に、買物、洗濯、掃除を
して貰うと、外への散歩時間さえない・・・
これが一年365日続く生活です。
だから葬儀は、今の現実で可能な選択肢があるべきだと
考えるし、本来なら行政が福祉の一環で行うべきと言い
続けているのです。
毎月300円つづ役所に納め、20年間市民を続ければ
72.000円で火葬はできるはずです。
市民歴10年の人は半額自己負担すれば良いだけです。
一度に7万円は出せなくても月々300円なら、何とか
なる人のほうが多いでしょう。
30才から始めて50才になったら火葬はして貰える。
途中転居したら、そのまま転居先で利用できる。
なんで、こんな簡単な事ができないのでしょう・・・
葬儀をしたい家族は、遺骨で行えば問題が無いどころか、
日程も自由にできるしホテルでも可能になります。
火葬までは家族だけで温かく送ればいいのです。
ちと話しがそれましたが、低料金専門業者か行政主導で
現行の葬祭費のような料金幅など不要、行政区によって
無料もあれば、有料火葬地域もありますが、何処に住ん
でも火葬の心配はせず生活できるよう進めれば良い。
葬儀使用品は全て指定した上で、7万円で受けてくれる
葬儀社を募集するだけで済みます(追加はさせない)
また宗教者が、お金の無い家族から布施は受け取らない
と言うのは、僕の知る限り嘘です。
お金の有る無しなど、分るはずがありません。
過去に我々が経験したり、聞かされた話しでは、お金が
無いと分ってても数十万の布施を払った人ばかりです。
これを『布施』と呼べますか!? 違うでしょ。
ただし本当に良心的な住職もおられるはずです。
しかし多くは偉そうな事を言っても、金取り主義の住職
だから僧侶全体の評価が下がり続けているのでしょう。
葬儀社も全く同じです。
間違いなく良心的な葬儀屋さんはいます。
ただ全体的には葬儀は儲かる商売と考える葬儀社だし、
最初から儲けるつもりだから、霊感商法とも思わず創り
話しを堂々としたり、嘘つき商法を行えるのです。
その代り、腰は低いし、愛想はいいし、逆らいませんし、
とにかく持ち上げてお客様扱いします。
全ては高額葬儀にし高額な集金をする為です
この僧侶や葬儀社でも富裕層なら問題はありません。
でも上記のお婆さんのような人を、同じ土俵で考えては
駄目だろ! なんとかせにゃいかん・・・・
そう思って10年・・・
自分達の中では精一杯やってますし、それなりの影響も
あるのは確かですが、それ以上に能力と力の無さを実感
するほうが強いです。
それでも一歩、一歩、弱者への葬儀支援を続けることが
群馬県前橋市だけでなく、全国全県に広がる道なんだと
信じて走り続けてるし、これからも走り続けます。
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