11年間葬儀施行をする側での、事前、直前、葬儀後
や法要時まで施主である家族と話しをしてきました。
11年前は葬儀のその字も分らないほど、ど素人だし
無知でしたから、考えようによって何の色も染まって
ない無色だったと思います。
稼業の倒産で蒸発した父親は、たった一人に見送られ
直葬、かと思えば葬儀に200万円以上の費用が当然
のように掛かる事に違和感を感じ、葬儀とはなんぞや
との思いが湧き、葬儀を調べたが何一つ分らない業界
だと知ったのが、あんしんサポート起業のきっかけで
あるのは何度も書いた通りです。
葬儀の現場に入ると摩訶不思議な現実ばかりでした。
》お節介な人がこれほどいるのは葬儀だけでしょう
》葬儀社は霊感商法そのものです
》宗教者は建前と本音がありありと分るレベルです
》僕の知る商道とはかけ離れた無軌道な業界でした
》メディアの報道は誤報か、やらせ報道ばかりです
その結果、貧しい時代の悪習がいまもって続く事に
なっているのだろうと思える。
貧しい時代の葬儀は、お祭りのようなものでした。
滅多に無い事ですから、近所の人達は総出で手伝うし
子供達まで全て葬家で三度の飯を食ったほどです。
但し近所の人達が自分の家から持ち寄ったり、僧侶も
お金が無ければ本当に少額で対応し、時には秋に実る
米を持っていく事も珍しくない時代です。
地域の人達みんなで助け合う精神のあった時代だから
通用した事なのです。
しかし今は違います。 生きるのに金が必要です。
世間との付き合いも希薄になり、助け合う事のほうが
珍しい時代であり、様々な事情で金銭的な余裕の無い
家庭はいくらでもあります。
世の中の変化に対し、葬儀はより高額になっています。
葬儀社は豪華にして高額にし、布施は布施と呼べない
ほどの高額を当然のように提示する・・・
それに追い打ちを掛けるような親戚やメディア報道と
お節介焼きの要らぬ助言で、葬儀をする家族は破産に
追い込まれそう・・・3回葬儀が続いたら破産です。
だから「いい葬儀だった」と言うのは家族以外の人で
家族は予想以上の散財に後悔のほうが強い現実です。
》家族の弔いに高額費用を掛ける必要があるのか?
》高額な費用と供養は比例するのか?
と考えた時どちらも明確に『NO』と言い切れました。
また葬儀した家族自身が、後悔をしている現実が多い
ってことは、家族目線の新たな葬儀を創り出し、その
内容と料金が家族の納得できるものなら、葬儀の悪習
そのものを変えられるはずと考えました。
そこで・・・
》人の死に対する根本的な哲学をもつ
》葬儀の本質を考える『葬儀とはなんぞや』
》家族毎の本音と事情を聞き出すこと
》高額葬儀になってる原因を洗い出す事
》それらの原因を取り除くか別物に変更する
以上をひとつ、ひとつ解明すれば自ずと何をすべきは
見えてくるだろうし走りながら Plan do see を繰返す
ことで理想とする葬儀の形に近づけるはず・・・
こうして、あんしんサポートは出発しました。
次回は下記の実際をひとつ、ひとつ書き出してみます。
》人の死に対する根本的な哲学をもつ
》葬儀の本質を考える『葬儀とはなんぞや』
》家族毎の本音と事情を聞き出すこと
》高額葬儀になってる原因を洗い出す事
》それらの原因を取り除くか別物に変更する
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