初めての葬儀経験で何をどうして良いか分らず、お金は
出さないのに口だけ出す親戚がいる中で、最初から最後
まで側で付き添ってくれ、家族の立場で相談にも乗って
くれ、時には親戚から家族を守ってくれる事もある。
家族の心が揺れる事があっても、葬儀後の生活を第一に
考えた冷静なアドバイスをしてくれる・・・
それが葬儀支援センターの成すべき事と考え実践し続け
ての10年が過ぎた今、日本人の持つ柔軟さでもあるけど、
反面、弱さとも思える部分が見えてきた。
》人と争うことを好まない
》周囲と同じなら安心する
これ自体、決して悪いことではないと思うけど、葬儀に
なるとマイナスの要因として作用することが多い。
納棺師を行う際にも言うけど、過去の日本人は別として
現在の日本人で信仰心を持ってる人は決して多くない。
なんだかんだ言っても一番多いのは仏教でしょう。
しかし、その現状を冷静に考えてみると、圧倒的多数は
『なんちゃって仏教』としか思えない。
》墓参りに連れて行かれる子供が減っている
》寺の僧侶と話す機会など全くと言っていいほど無い
》法話は偉そうに言うが、実生活は全く別物僧侶は多い
》僧侶は葬儀屋、布教している僧侶は何十年も見ない
》仏教と接触する事など皆無と呼べるほど無いでしょう
自分は仏教の学校で学んだり、寺で生活してきたろうが
一般の人と寺はさほど交流などない。
寺の僧侶は農家の現実など知らないのと一緒です。
そんな人達の中に仏教心など芽生えるはずがない。
自分達がしてきた事を振り返ってみれば分ります。
『子供が生れて最初に連れて行くのは寺ですか?』
・大多数はおくるみ着せて神社だったはずです
『七五三は何処へ行きましたか?』
・七五三や十三参りも神社でしょう
『成人式は何処へいく?』
・少数でしょうが、一番多いのは神社でしょう
『結婚式は何処でしましたか?』
・現時点で一番多いのはキリスト教会かな、次が神前式
・仏式結婚式は非常に少ないでしょう
『葬儀は何処にお願いしますか?』
・圧倒的多数は寺であり僧侶なのです
個人的見解ですが『宗教は生きる道標』と考えています。
大切なのは今の人生をどう生きるかであり、一番大事な
人生や生き様を不安にさせるのが、人の終幕であり死な
のだろうと思う。
まず初めにあるべきは『死後』でなく『今の人生』なの
ですから、上に書いた平均的日本人のしている事を考え
るに、信仰でしているのではなく、ある種のイベントと
して行っているのだろう。 セレモニーではない・・・
なら最後まで無信仰のまま通せば良いと思うが、自分の
死は怖いと思うのが普通です。
その恐怖を和らげる為、信仰すれば救われる・・・とか
お経を唱えれば極楽に行けると言われると、その言葉に
すがり安堵感を見出したいのでしょう。
信仰心のある人が、信仰の教えを信じるのは当然ですが
無信仰の人が信じようとするのは、恐怖から逃れる為の
逃避行為でしょう。
だから霊感商法に惑わされる。
個人的には死後の世界は、死んでみなきゃ分からないが
本音ですから死後の話題は何を聞いても信用しませんが
死後の世界を語る人が、最後に『お金』が絡んでいたら
霊感商法だと思っていいんじゃない。
宗教なら本来『お金』は絡まないはずである。
あの世に金はない・・・その金を使うのは生きてる人な
訳で、宗教とは金銭で売買する情報ではないはずです。
また無信仰を最後まで通せば良いし、信仰を持つのなら
死を意識してでなく、元気に生きてる時にすべきと思う。
僕自身は無信仰ですが、しっかり信仰心を持った人達と
話しをすると、信仰を道標として生きてるのが分る人が
多く、人生に迷いがなく、日々生き甲斐を持って生きて
おられる人も多く、その意味ではいい事だと思う。
僕は信仰を持つ人を色メガネでは見ない。
どんな信仰であっても、それが宗教と呼べるものである
なら、否定することもない。
見るのは宗教で無く、社会的立場でもなく、当然お金の
あるなしでもなく、その人の人間性だけです。
あんしんサポートは無信仰ゆえに、誰にでも対応できる。
そう、我々は信仰でなく、自然の摂理である人の死後に
発生する現実の対処と、残る家族の生活への対策を含め
弱者を中心にした葬儀支援をしているのだから・・・
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