昨日は三人で事前相談に来館された家族がいます。
千明から今日の事前相談は、同席して欲しいと言われる。
相談者の一人が入院、もしくは手術をするらしく、その
前提での入会希望でした。
あえて細かい事は聞かず、もしもの時にすることだけを
確認しておきます。
》県内他市の病院までお迎え
》隣接市の自宅に搬送してご安置
》自宅で最後のお別れを済ませ出棺
》火葬と拾骨は我々だけで行い焼骨は全て散骨
仏式の人には違和感もあるでしょうが、キリスト教の人
ならさほど違和感は感じない流れでしょう。
葬儀内容で最大のポイントは、入院や手術をされる前に
夫婦や家族で温泉に行ったり、小旅行したり、とにかく
今なら行ける所に行って欲しいと考えたからです。
入院にせよ、手術にせよ、さほど心配の無い事だったら
わざわざ隣接市から入会には来ないでしょう。
多分、一歩間違えば命がなくなる可能性があっての入会
だと考えたほうが自然です。
だとしたら例え手術が成功しても、簡単に退院できると
思えませんし、今のように普通に歩けるとも限りません。
いつも言うように、葬儀より普通に動き、話し、笑って
いられる今を大事にして欲しいし、今を心に刻んでおく
べきだと思ったのです。
だから葬儀費用は最低限まで抑えても良いから、夫婦や
家族で穏やかに過ごす時間をもったほうが良い、もしか
して現実になったら、家族で過ごした事が良き思い出に
なるし、心配が現実にならず、何事もなく時が過ぎたと
しても、いい思い出になるのは間違いないはずです。
葬儀費用は抑えて浮いた分を家族の時間にまわす。
間違っても高額な葬儀代を残す・・・など考えて欲しく
ないと心から思う。
この感覚は費用だけでなく、家族がもしもの時はと考え
たら、誰を呼び、どんな葬儀で、どうすべきか・・・と
考える事になるし、そんなの苦痛でしょ!?
もしもの時は家族で、静かに温かく送ればいいんです。
そう考えれば、家族全員が気が楽になるし、費用面の
心配も減るし、家族の想い出作りもできるわけです。
10時30分に来館され3時間おられましたが、帰り際に
対象者が振り返って言いました。
「事務的に入会手続きをするだけと思ってきましたが」
「こんなに色々話しをしたり、聞かせて貰えて良かった」
「内面から生きるぞって思えるようになりました」
いつもの事ながら、葬儀の話しは15分もあったかなぁ、
後は人生相談のような、家族の過ごし方や、セカンド・
オピニオンの話題、更には我々がしてきた経験談などを
話し、来館した時よりは明るい表情で帰られました。
日々の言動を改めて思い起こしても、やっぱうちは葬儀
ではなく、残る家族の生活を守り、今をどう生きるかが
大前提なんだと再認識できます。
よーく考えれば、次の文章は理解できるはずです。
『葬儀は費用と内容の心配さえなきゃ良いんです』
『その為に支援センターに足を運んだのです』
『基本が決まれば、あとは考える必要は無いんです』
『だから家族だけで送るのが最善で最高なんです』
『その時が来るまで一切考える必要なんて無いんです』
『我々はその為に存在しているのですから・・・』
足を運んでくれた家族が、心穏やかに、安心して過ごせる
ことが、わざわざ来館までして、じっくり話しをする目的
のひとつなのですから、、