仕事にお金を求め、仕事に自己実現の夢を託し、精一杯
頑張り続けた長い年月があった・・・

頑張る年月を重ねるのに比例して増したのは、己の持つ
能力の乏しさだったり、人を束ねる難しさや、資金力の
問題、立てた目標が達成できない言い訳だった、足跡を
改めて振り返ってみると、家が1軒残っただけで、家族
との時間や関係、自分の時間など失ったものは大きいし、
気がつけば人生の半ばを過ぎたことに気付いた。


子供が巣立てば家も使わない部屋が増えるし、老人には

狭い平屋が一番いいと、ようやく分ってきたのは50才を

過ぎてから、生き様を考えるようになった。


されど他に生き方を知らず、すでに経営者だったわけで、

自分の事だけでなく、働く人達の事も考えねばならぬと

暗中模索している時、八王子裁判所から父親逝去の一報、

その後は自分の意思と違う方向へと流れた結果が、今日

への出発点でした。

それから3年は、猪突猛進というか、五里霧中というか、
5万円火葬支援パックの完成のみを目指して走り、完成
した後は僕自身より周囲に踊らされる時期が続きました。

そんな日々を過ごす中、いくつか分った事がありました。

1. 人の一生がいつ閉じるかは全く分らない事
2. 人は間違いなく終幕が訪れること
3. 人には天職というか適職が存在すること

冷静に考えれば誰でも分かっている事なれど、その実は
対岸の火感覚でしかありません。

当時の僕は、自分の人生がいつまでも続くかの如く考え
行動していたように思えます。
また日々が仕事三昧で、何の為に頑張っているかさえも
分らないまま流れてきたようにも思える。

20代の頃に勤めていた会社の社長が、癌で亡くなったと
聞いたとき、あの社長は何の為に頑張ってたのだろうと
思いはしましたが、すぐに忘れてしまいました。

しかし昨年、一緒に会社を大きくしてきた社長が66才で
亡くなった現実を見たとき、その思いは一層強くなった。

「自分の人生に後悔ないかい!?」
「本当に幸せな人生だったか!?」
「仕事以外でやり残した事はないの!?」

死を目前とした彼に、そう聞いてみたかった・・・
僕の憶測でしかありませんが、社長の性格から考えるに

「武ちゃんだから言うけど、俺はもっと生きたかったよ」
「仕事だけの人生、半分は満足、半分は後悔だな」
「でも後悔ばっかりだよ・・・本音はな」

きっと酒を飲みながら話したら、そんな風に言うだろう。
社長も自分の死を考えないから頑張り続けたんだと思う。
経営者としての能力は、僕の及ばない資質を備え、実行
する行動力もある人でしたが、経営者である反面1人の
男であり、夫であり、父親でもあるのです。
経営者以外の部分では後悔は多くなったでしょう。

僕自身のことに話しを戻すと・・・
上の社長と同じような感覚で生きてた僕でしたが、幸い
なんだと思うけど、葬儀の仕事に入り、本音で会員さん
達と話し、その本音を実現する行動をしてきた事、また
自分の加齢もあってか、自分の周囲の流れに沿って生き、
頑張らずに、くよくよせず、食えれば良い程度の感覚と、
嫌なことはせず、精神的な無理もせずに生きるのが一番
だと考えるようになっていた。

多分、今の仕事が天職というか、今までより適職だから
建前はさほど要らず、先人がいないから好き勝手に道を
切り拓ける自由さもあるからなのだろうと思う。

先日葬儀をした家族に高校三年の息子さんがいた。
彼は自分が家族を支えなければと、考えていたようだっ
たので、こんなアドバイスをしました。

「あと半年なのだから、今は卒業だけを考えること」
「25才までは、やりたい仕事を色々やってみろ」
「何度仕事を変えても構わない、やりたい事は全てやれ」
「30才までに自分の生きる道が探せれば上出来」
「30才から35才までに経営者かサラリーマンを決めろ」
「40才になったら迷うことなく、自分の道を歩き続けろ」
「そして、一番大切なことは」
「自分の好きな仕事、一生を掛けられる仕事を探せ」
「その間は、アルバイトでも良い自分の食い扶持確保」
「それができれば、あとは何をやっても良い」

横で聞いてた母親とお婆ちゃんも頷いていました。

実際はこの続きがあって、
「40才過ぎたらくよくよするな」
「仕事を頑張るばかりが人生じゃない」
「自分や家族の人生を大切にし能天気に生きる」
「これも生き様のひとつなり・・・」



60才を過ぎ、人生の終盤になったから分ることもある。
頑張るだけが人生じゃない・・・
くよくよせず、能天気に生きる・・・
そんな人生もありだし、ある意味、お勧めの人生です。

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