いやぁ、過労死しても不思議じゃないとさえ思えたほど
疲れた5日、6日でしたが、しっかり寝られた7日朝は
前橋で火葬、続いて高崎で火葬を済ませ、午後2時過ぎ
ホッとした時間になりました。

10年間続けて、いっつも不思議に思う事がいくつかあり
そのひとつが逝去と搬送の一報電話です。

9月5日は許可譲受により法令試験が横浜でありました。
前日の台風21号の影響があるかもしれないと、1時間
早めの電車で前橋を出発、新幹線、東海道線、みなとみ
らい線を乗り継いで、横浜馬車道駅近くにある合同庁舎
での法令試験、午後3時終了すると逝去の一報も入って
ない事から、2駅先の中華街を散策しながら、小籠包と
ソフトクリームを食べて一路前橋に戻ってきました。

4日夕方から、5日午後10時頃まで一本の電話も無く
慌てる事もなく、全ての予定を完了できました。

今日は疲れたと、帰ろうとした午後10時15分、東京
世田谷の病院から夫が危篤との連絡が入ったと、奥さん
から関越道を走っている所ですと連絡が入った。



午後10時過ぎ、都内の病院からの連絡・・・
もしかしたら亡くなっているか、危篤なら今晩の逝去と
考えるべきとすぐに自宅に戻った。

シャワーを浴びて寝室で横になり、そろそろ寝なきゃと
電気を消して15分後、逝去の一報が入ったと連絡です。

準備を済ませドライアイスを保冷箱に持って関越高速道、
環状八号線と走り世田谷までお迎え、前橋に戻り納棺を
済ませると、夜が明ける時間になってました。

自宅に戻っている時間はないと、事務所の椅子を倒して
横になったところで逝去の一報が入った。
前橋市内の病院、朝の交通渋滞が始まっていました。

病院到着の直前、更に自宅で逝去されたと一報です。

各々相談が済むと前橋市、高崎市の市役所へ走ります。
前橋で2通提出すると、そのまま高崎まで向かいました。
高崎到着午後2時、火葬許可証が発行されるまでの時間
市役所の食堂で食事を済ませる。

途中で家族からの電話が入り、炉前経と戒名が欲しいと
言われるが、炉前経は5分が精一杯、なら、あんしん館
式場で枕経のほうが15分ほどの経になるし、その後で
お別れもできると伝え、すぐに寺に予約を済ませた。

前橋に戻る途中で果物を購入し、市役所で火葬許可証を
受け取ると、あんしん館に戻り式場を並べ替える。

午後5時、予定通り僧侶による読経と、お花を入れたり
好きな食べ物を入れたり、好きな洋服を入れてのお別れ
戒名説明等も全て終え、午後7時家族達はガストに移動、
我々は翌日火葬の準備や霊柩車の洗車等々全てを済ませ
午後8時過ぎ自宅に戻り、シャワーを浴びてから休んだ。
4日朝から38時間後の就寝となりました。

うちを利用される会員さん達で、我々が出掛ける用事の
ある時に逝去の一報は入った事が一度もありません。

もし今回の流れが1日前だったら、法令試験は受けられ
ないから2か月後になる訳で、譲受の期間的問題も出て
しまう可能性さえありました。
遊びで出掛ける事はありませんから、やむなく出掛ける
用事がある日は遠慮してくれているかのようです。

その代りと言うか・・・
用事が済んで戻った途端、今回のような騒ぎになります。

人の逝去が何故か集中するのは確かですが、我々がどう
しても出掛ける必要がある時は、電話の1本も鳴らずに、
戻った途端、電話が続々と入る・・・
それが設立から10年の間ずっと続いているって凄いと
言うか、不思議に思えてなりません。

『あと1日だけは頑張るから用事を済ませて』対象者が
我々の心配をしてくれてるのかもな・・・
何十回となく交わした会話です。

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