前回、我々の目指してきた支援対象者を明確にしました。
設立から10年、対象者を明言するまでには、いくつも
の壁がありました。

最初の壁は外でなく、内側の相棒である千明の中にある
以前の葬儀社感覚を壊すことから始まりました。

内部の人間が葬儀社と支援センターの違いを完全に理解
してくれるまでに5年ほどの時間が必要でした。
既存に無い考え方だけに、どうしても既存の葬儀社との
混同があり、来館された方の入会を断る度に言いました。

「なんで断っちゃうんですか?」

この根底にあるのは、葬儀をすれば利益があるけど折角
来た人を断ってたら、いつまで経っても経営が成り立た
ないでしょ? というものだったはずです。

当時は話しても理解できないだろうと、拒否した理由も
言わなかったと思うけど、貫ける理念は貫いてきました。

その千明が数年前から、断る理由が分ってきた気がする。
自分も断るべきだと思いましたと言うようになった。

ようやく葬儀社と支援センターの違いを理解し始めたと
分ってからは、速度を早めた動きになってきました。

但し最終目的は『自己満足』と『我が人生の謳歌』です。
実践している事は人の役に立っているかもしれませんが、
それは結果論であって、あくまで自己満足なのです。

これは恰好をつけている訳ではありません。
んとですね、自分達が、自分達のしている事が、人様の
役に立っていると思われたり、利用者から感謝されたら、
少し自分が誇らしかったり、嬉しくなったり、気分が良
くなるし、堂々と胸を張って生きられる感覚がある。 
そんな思いで過ごせる人生って幸せだと思うんですよ。

そう、根がすっごく良い人なら別ですが、僕はそれほど
良い人ではありませんし、良い人を演じ切る自信もなく
演じる気さえありません。

もし良い人を演じて今の葬儀支援を始めてたら、とうの
昔に閉鎖してたことでしょう。
自己満足だったから続けて来られたんだと思う。

その為には嫌な仕事はしない。
嫌なものは嫌だと言い、したくないと思った人の仕事は
しないという判断は大切な要素となります。

我慢は自身にストレスを貯め込む事であり、いつか爆発
するか、自分を壊すことに繋がるものだからです。

完全なる我侭、自分勝手は駄目ですが、していることが
誰かの役に立てるなら、入会相談に来るか来ないは利用
される人達の勝手だし、受ける受けないは我々の勝手な
判断であるのは、何処にでもある商売と一緒です。

葬儀社も同じです。
一般的な葬儀社は料金が高く、そんな金額ではできない
と言ってるのと一緒、15万円の直葬料金の葬儀社に行き
10万円でお願いしても拒否されるわけです。
その基準が我々は逆だったり、人だったりするだけです。

我慢してきたのは、相棒である千明も同じ感覚になれる
まで待ってあげないと、中途半端な感覚で取り残された
千明の将来に不安が残るし、僕の存在が無くなった途端
あんしんサポートは消滅する事になるからです。

ようは我々の自己満足が最終目的で、自分の人生を謳歌
する為の事業が、あんしんサポート葬儀支援センターと
いう弱者を第一とした支援事業なのです。

ただ、これを上手く利用しようとする人もいます。

反面教師として一番参考になったのは生活保護法です。
制度は必要だし、あるべきだとは思いますがその実態は、
「なんでやねん」と思う人達も沢山受給しています。
かと思えば逆の意味で「なんでやねん」と思う老人達も
沢山いるのが現実です。

働ける、働けないの判断は難しいですが、改善の余地は
有り余るほどあるのが生活保護法に思えます。

意外かもしれませんが、僕は生活保護の葬祭扶助申請は
『しない』『させない』というのが基本姿勢です。 
現状の日本は葬儀は家族が行うものだからです。

勿論、葬祭扶助が必要な方もいますし、それが必要なら
全力で応援も申請もします。

しかし普通に生活している家族はいるし、中には立派な
自宅を持ち、人並み以上の生活をしているのに、両親は
生活保護を受給させ、葬儀は葬祭扶助で行おうとする。

・・・腹が立つし、これで良いのか日本人とも思う・・・

だから、こんなケースは受けない事が多いです。
葬祭扶助の費用は全て税金なのです。

あんしんサポートには「葬儀代は安いほうが良いじゃん」
感覚で来る人達も沢山いますし、なんだかんだ言っても
葬儀屋なんだから、行けば入会できると思って来る人も
沢山いますから、断わられると驚いた顔をします。

でも、そんな人達の葬儀をしても『自己満足できません』
逆にストレスが溜まるばかりです。

今回の明言で少なくとも、我々は嫌な思いをしながらの
葬儀支援をする必要は無くなる可能性が高くなります。



入会された家族は死後費用の心配をせず、安心して日々
生活出来るのが葬儀支援センターの存在ですが、我々も
己が人生を楽しみ、謳歌し、生き甲斐と喜びとを持って
日々生きる権利はあります。
これが今回の明言をした理由です。


 

にほんブログ村 その他生活ブログ 葬儀・法事(個人)へ
にほんブログ村
誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい
創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります