明日と明後日はバタバタ忙しいのが分ってますから、今晩のうちに
書いておくことにしました。
明日、明後日でも、時間が取れればまた別の話しを書けば良いだけ
ですからね。 前回の続編のような話しですから、書こうと思った
ことを忘れないうちに書いておきます。
僕自身は決して強い人間ではありません。
坊ちゃん育ちですから、やっぱ根は軟弱だと思ってます。
昔の自分を思い起こすと「その通りだ」って思えるほど軟弱です。
その場逃れの口実を述べ、喉元過ぎれば、他人事のように振る舞う。
それをとがめられたら屁理屈をこねて、終いには半分切れたような
発言さえする・・・どう考えても、ろくなもんじゃねぇ・・・
そんな馬鹿野郎は皆さんの周囲にもいるはずです。
昔の僕は間違いなく、そんな馬鹿野郎でした。
それが、いつの間にか人間革命が起こってたわけです。
そして別人のようになって行くわけです。
それっていつからなの? まーったく分かりませんが、多分でしか
ないけどサラリーマンから経営者になった時点が、出発点だったと
思う。 ようするに・・・逃げられなくなったって事なんだと思う。
今になって思えば幸いだったと思えるのですが、サラリーマン時代
役員に名を連ねていたとしても、責任など無いのと一緒です。
銀行からの融資で自己資産を担保に入れたことなどありません。
連帯保証人の印鑑を押したこともありません。
それが経営者になった年から5年間続けて、事業拡大をしたのです
から、その度に担保だ、保証協会だと色々ありました。
年商1千万に届かない事業から、5年後3憶までに拡大しました。
社員も数名から数十名へと増えました。
その結果として、逃げ道が閉ざされたわけです。
適当な事を言って逃げることが出来なくなったわけです。
その時に湧き出た発想が「渡った船を燃やして戦う」ことでした。
一般的に言われる「背水の陣」ってことだと思う。
これは確か、以前のブログにも書いたことがあります。
覚えておられる方もいるでしょう。
戻る船が無ければ「勝利」か「全滅」しかありません。
その後、経営が少し傾くと人の本質が現れます。
共同経営者は逃げに入りました。
この時は大変でしたが大変さと、同じ位に大きな収穫もありました。
それが今、僕の中にある「核芯」です。
とにかく全て自分でやる・・・
人は当てにしない・・・
社員にべんちゃらは言わない・・・ よいしょもしない・・・
最期は一人になっても構わない・・・
自分が思った通りにして失敗したら、自分の能力がないだけ・・・
自己破産すれば良いだけの事、今は命までとられない・・・
これなら、どんな結果になろうと後悔はしないはず・・・
そんな僕でも着いて来てくれるスタッフがいたとしたら・・・
その人が自分で何とか成れる時、できるだけの事はしてあげよう。
だから僕からスタッフは絶対に引き止めない・・・
最期は一人でも問題ない・・・最初は一人なのだから・・・
こんな覚悟をしてからの僕は、その時代の常識的な意見を聞かされ
ても、自分の未来予測を信じて言動し続けました。
その結果、ホテル婚礼美粧室の撤退も「なんで今?」と税理士が、
驚くほど早いし、あんしんサポートの設立も前社長時代だったし、
最終的には、あんしんサポートで本気になる為、会社は頑張ってく
れたスタッフに退職金代わりとして無償であげたわけです。
僕が昔の自分と決別をするには、根が軟弱なだけに相当の覚悟をし、
それを実行し続ける必要があったって事です。
この話しを、千明が読めば少し驚くでしょう。
千明が知ってる武井は、上の言動ができるようになってからです。
『言うは易し、行うは難し』その通りです。
この言葉だけで出来る人なら、とっくにしています。
出来ない僕達は、この言葉だけではできないレベルなんです。
だから「僕はやるっきゃない」と僕自身が思える所まで自分自身を
追い込んだってことです。
最初は追い込むのも、続けるのも、すんげー大変です。
嫌になります、逃げたくなります。
でも逃げられなくしてあるから、逃げられません・・・
「なら、やるっきゃねぇ」と思えてからは、ひたすら前進です。
集中です。 結果は考えません。 考えても結果は分りません。
だから、立てた目的に向かって一直線に走り続けるだけです。
これが、武井という人間が変化した当時の話しです。
懐かしいなぁ、、今は笑って話せるし、笑顔で書いていられます。
なぜか・・・できるようになれば分かります。 簡単なんです。
自転車に乗れるまでは大変だけど、乗れたら簡単でしょ?
多分理屈は一緒じゃないかな・・・そんな程度なんですよ。
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