人の死は担当する医師でさえも分らないのが現実です。
「まだすぐではないよ」と言われた家族が入会相談して
帰り、わずか30分後に逝去の一報が入ることもあるし、
余命一週間と言われて3年後のこともあるのが現実です。
老衰だけでなく、病死でも、事故死でも自分で命を絶つ
人以外は、年令に関係なく『天寿』なのだろうと思う。
健康診断、食生活に注意、毎朝の散歩、規則正しい生活
だからと長生きする訳でもなく、タバコを吸い続けても
肺癌になるわけでもなく、暴飲暴食でも長生きする人も
いるのだから、寿命に関しては『神のみぞ知る』です。
しかし生き方については、全て自己実現であり、自分の
思うように生きられるはずです。
身体的な理由で、思うにならない事も確かにありますが、
脳障害以外は与えられた人生の中なら、自分の思うよう
生きることは可能なはずです。
ところが、事前相談で来館する人達は二種類に大別する
ことができます。
『前向きで積極的で肯定的な明るい性格』
『後ろ向きで消極的で否定的な暗い性格』
両者の説明は不要でしょう。
少し話しをすればすぐに分かるはずです。
僕は前者ですから、後者の人と話すのは疲れるし、暫し
話しをしていると面倒にさえ感じます。
多分・・・後者の人達は前者の人達と比べると、かなり
損な人生を過ごしているだろうとさえ感じます。
僕の座右の銘のひとつに(自分の言葉ですが)
『人は執着を捨てれば楽に生きられる』
が、ありますが、悲観的、消極的、否定的な事を指して
いる訳でなく『過去の栄光や自我に拘るな』が真意です。
『前向きで積極的で肯定的な明るい性格』
これは、あんしんサポートそのものです。
代表の僕は63才、千明は50台半ばですから、改めて
年令を見て貰えば分ります。
一般論では、お爺さんとお婆さんで経営している事業と
思われても不思議ではありません。
こんな年代の人間が24時間体制で増員せずに踏ん張る。
これだけで『前向きで積極的で肯定的な明るい性格』で
あることは分るでしょう。
今日の法要後、お手伝いして貰っている住職が言います。
「人を入れたほうが良いよ、忙しくて死んじゃうよ」
「我々だって友引は休むんだからさ」
「だよね、でも料金上げたくないからさ」
「うちを頼りに生きている会員さんも沢山いるからね」
こんな会話の前提にあるのは、自分達を年寄りと思って
ない自覚の無さがそう言わせるのです。
いつ天寿が訪れ、自分の人生の終幕になるかは、誰にも
全く分りませんが、どんな生き方をしたいか、するかは
自分達で決めた通りに生きられるのです。
同じ人生なら、明るく前向きに生きたほうが良いですよ。
お金があろうと無かろうと、病気があろうと無かろうと、
苦難や面倒なことがあったとしても、止まない雨はない、
何事も一歩一歩と歩を進めればいつかゴールする。
高速で移動すれば早いけど、道端に咲く花は見えない、、
一歩一歩の遅い歩みにも、ちゃんといい所もあるのです。
今の自分に与えられた、今の人生を否定せず肯定する事、
今の人生を楽しもうとする意識が大事です。
『年寄りの冷や水』と言いますが『老木に花』とも言う。
考え方の違いは見た目の老若にも、大きく影響するのは
間違いありません。
年寄りと呼ばれる年代なのに、なんで若く見えるか、、
簡単です。 自分を年寄りだとは思っていないからです。
年寄りなのに若く見える人と話しをすれば分ります。
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